解題
三戸源十郎は有次の二男で、元就の代に新規に召し出され、別家を建てたという。永禄五年(一五六二)元就から就の一字を賜り、就安を称することになる。元亀二年(一五七一)西市助、同三年輝元から一郎右衛門に任じられている。
一 毛利輝元書状(切紙)
急度令レ申候、尼子諸窂人一揆相催之由候、其表之儀、無二御油断一御心遣可レ爲二
本望一候、猶委細此者可レ申候、恐々謹言、
(永禄十二年ヵ)(1569)
六月十三日 輝元(花押)
山中治部少輔殿
(就安)
三戸源十郎殿 御旅所
「書き下し文」
急度申さしめ候ふ、尼子諸窂人一揆相催すの由に候ふ、其の表の儀、御油断無き御心遣ひ本望たるべく候ふ、猶ほ委細此の者申すべく候ふ、恐々謹言、
「解釈」
取り急ぎ申し上げます。尼子の牢人どもが一揆を起こしたということです。その事柄について、ご油断のないお心遣いに満足しております。なお詳細についてはこの者が申し上げるはずです。以上、謹んで申し上げます。