周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

未来からのサイン ─物言ふ動物・予言獣─ (Signs of death)

「予言鶏 & 予言馬」


  応永三十二年(1425)二月二十八日条

          (『図書寮叢刊 看聞日記』3─99頁)

 

             参議右中将義量

 廿八日、晴、入風呂如例、将軍他界実事也、昨夕云々、為天下驚歎、両三年内損、此

  間興盛、種々被尽祈療、然而無其験、遂被堕命、当年十九歳也、尤可惜々々、室町

  殿於于今無一子、将軍人体忽闕如、天下惣別驚入者也、荼毘明日於等持院可有沙汰

     (日野栄子)

  云々、御台母儀、不堪悲歎存命不定云々、公家武家俗侶馳参、都鄙騒動也、当年

  相当三合、此歳天下必有凶事、自往昔度々例天下重事不可勝計、仍自旧年諸門跡御

  祈禱事被申云々、然而無其験歟、既二宮御事将軍連続、天下又大乱風聞、旁呈凶事

  了、正月中種々怪異風聞巷説雖難信用、聊記之、

                      管領(斯波義淳)

  正月一日、早朝大雨雷鳴、其時分勘解由小路武衛屋形棟上冑降下、銘将軍ト

  書云々、〈此事大に不審、定虚説歟、武衛堅隠密云々、〉其後〈月日不聞、〉

  甲斐宿所僧一人太刀持参申云、八幡参籠之時、此太刀是可持参之由蒙霊夢

             〔議〕

  了、夢覚太刀現形、不思儀之間持参之由申、甲斐若党比興イタカ之由申、太刀不

  請取追返了、然而不思儀之間、又彼僧召返太刀請取、事子細猶欲相尋之処、

                           斯波高経

  カキ消之様逐電、如何とも行方不知、件太刀武衛先祖七条入道太刀也、八幡

  奉納太刀也云々、此事実説云々、猶不審々々、

  正月一日、室町殿北野社参、宮廻之時、御殿内有声、当年御代可尽云々、又

                称光天皇

  北野鶏物ヲ言、今年御代可尽、主上可有崩御云々、此鶏被流捨云々、又管領

  (満家)

  畠山、厩馬物云、只今ヘシ、能々可養云々、其時厩馬共同様イナヽク

  ト云々、

  又正月一日、将軍室町殿御前被参之時、鳩二来喫合死云々、

  同中旬之比、天狗拍物ヲシテ夜々クルイ行云々、

  又華王院夢想神祇官シキ諸神会合、一座人云、将軍代欲尽、諸神已捨

  給了、但北野未捨給之由被申蒙夢想云々、仍披露申、北野可参籠之由被仰云々、

  又去比、日吉大宮社頭モナキ猿二死テアリ、此社檀ニハ猿不入、惣シテ鳥獣も

  不入云々、不思儀事也、

  又二月将軍病気已火急之時、室町殿寝殿棟瓦白羽箭一筋立、其箭紙ニテ

  羽ヲハク、箆華也云々、瓦立事殊不思儀云々、其後無幾程将軍死去云々、

  謳歌説事々不足信用、雖然天下風聞説大概記之、

   (後略)

 

 「書き下し文」

 二十八日、晴る、風呂に入ること例のごとし、将軍他界実事なり、昨夕と云々、天下驚歎たり、両三年内損するも、此の間興隆す、種々祈療を尽くさる、然れども其の験無く、遂に命を堕とさる、当年十九歳なり、尤も惜しむべし惜しむべし、室町殿今に一子無く、将軍の人体忽ち闕如す、天下惣別驚き入る者なり、荼毘明日等持院に於いて沙汰有るべしと云々、御台母儀、悲歎に堪へず存命不定と云々、公家武家俗侶馳せ参じ、都鄙騒動なり、当年三合に相当し、此の歳天下に必ず凶事有り、往昔より度々の例、天下の重事勝げて計ふべからず、仍て旧年より諸門跡に御祈祷の事を申さると云々、然れども其の験無きか、既に二宮の御事将軍連続す、天下又大乱と風聞す、旁々凶事を呈し了んぬ、正月中種々の怪異の風聞巷説信用し難しと雖も、聊か之を記す、

  正月一日、早朝大雨雷鳴、其の時分勘解由小路前管領武衛屋形の棟の上に冑降下す、銘に将軍と書く云々、〈此の事大いに不審、定めて虚説か、武衛堅く隠密すと云々、〉其の後〈月日聞かず、〉甲斐の宿所へ僧一人太刀を持参し申して云く、八幡参籠の時、此の太刀を是へ持参すべきの由霊夢を蒙り了んぬ、夢覚め太刀現形す、不思議の間持参するの由申す、甲斐の若党比興のいたかの由申し、太刀を請け取らず追ひ返し了んぬ、然れども不思議の間、又彼の僧を召し返し太刀を請け取る、事の子細を猶ほ相尋ねんと欲するの処、カキ消ゆるの様に逐電し、如何に尋ぬとも行方知らず、件の太刀武衛先祖七条入道の太刀なり、八幡に奉納せる太刀なりと云々、此の事実説と云々、猶ほ不審不審、

  正月一日、室町殿北野へ社参す、宮廻りの時、御殿の内に声有り、当年御代尽くべしと云々、又北野に鶏物を言ひ、今年御代尽くべし、主上崩御有るべしと云々、此の鶏流し捨てらると云々、又管領畠山、厩の馬物を云ひ、只今に骨を折るべし、よくよく養ふべしと云々、其の時厩の馬ども同様にいななく云々、

  又正月一日、将軍室町殿の御前に参らるるの時、鳩二つ来たりて喫ひ合ひに死すと云々、

  同中旬の比、天狗拍物をして夜々くるい行くと云々、

  又華王院の夢想に、神祇官と覚しき所に諸神会合す、一座の人云く、将軍代尽きんと欲す、諸神已に捨て給ひ了んぬ、但し北野未だ捨て給はざるの由申さると夢想を蒙ると云々、仍て披露し申す、北野に参籠すべきの由仰せらると云々、

  又去んぬる比、日吉大宮社頭に頭もなき猿二つ死してあり、此の社壇には猿を入れず、惣じて鳥獣も入れずと云々、不思議の事なり、

  又二月将軍の病気已に火急の時、室町殿寝殿の棟瓦の上に白羽の箭一筋立つ、其の箭紙にて羽をはき、箆は華なりと云々、瓦の上に立つ事殊に不思議と云々、其の後幾程も無く将軍死去すと云々、謳歌の説事々しく信用に足らず、然りと雖も天下風聞の説大概之を記す、

   (後略)

 

 「解釈」

 二十八日、晴れ。いつものように風呂に入った。将軍足利義量の他界は事実である。昨夕だという。世間は驚嘆した。二、三年内臓を痛めていたが、ここのところ回復していた。多様な祈祷と治療を尽くした。しかし、その効き目はなく、とうとう命を落としなさった。当年十九歳である。いかにも残念なことである。足利義量には現在一人の子もなく、次の将軍になる人物は突如いなくなってしまった。世間は総じて驚くばかりである。荼毘は明日等持院で行われるはずだそうです。足利義持御台所で母である日野栄子は悲嘆に耐えられず、その生死ははっきりしないという。公家や武家、僧侶などが大急ぎで参上し、都も田舎も大騒ぎである。今年は三合に相当し、この年は天下に必ず凶事が起こる。昔からたびたび先例があり、天下の重大事件は数え尽くすことができない。そこで、去年から諸門跡にご祈祷を申し付けなさったそうだ。しかし、その効き目はなかったのだろう。すでに二宮(小川宮)の薨御と将軍薨去が連続した。天下がまた大いに乱れると噂が立った。正月中に様々な怪異の噂があり、信用することはできないが、少しばかりそれを記しておく。

  正月一日。早朝に大雨が降り、雷が鳴った。その時分に勘解由小路前管領斯波義淳の屋敷の棟の上に冑が落下した。その銘に将軍と書いてあったそうだ。〈このことは大いに不審である。きっと根拠のない噂だろう。斯波義淳はひた隠しにしたという。〉その後〈月日は聞いていない。〉甲斐将久の宿所へ僧が一人太刀を持参し、申し上げて言うには、「石清水八幡宮に参籠したとき、この太刀をこちらへ持参せよとの霊夢を見た。夢が覚めると太刀が姿を現していた。不思議に思ったので持参した」と申し上げた。甲斐将久の若党はつまらない乞食坊主だと申し上げ、太刀を受け取らずに追い返した。しかし、不思議に思ったので、またこの僧侶を呼び戻し太刀を受け取った。さらに事情を尋ねようと思ったところ、かき消すようにいなくなり、どのように探しても行方がわからない。この太刀は斯波義淳の先祖七条入道斯波高経の太刀である。石清水八幡宮に奉納した太刀であるという。このことは事実だそうだ。それでもやはり不審である。

  正月一日、室町殿足利義持が北野社へ参拝した。社殿を巡拝しているとき、社殿の中で声がして、「当年称光天皇の治世が終わるにちがいない」と言った。また北野社にいる鶏が人語をしゃべり、「今年称光天皇の治世が終わるにちがいない、帝がお亡くなりになるはずだ」と言った。この鶏は流し捨てられたそうだ。また管領畠山満家の厩の馬が物を言い、「今すぐ骨を折るはずだ、十分に養生しなければならない」と言った。そのとき、厩の馬どもが同様にいなないたそうだ。

  また正月一日、将軍足利義量が室町殿足利義持の御前に参上しなさったとき、鳩が二羽やってきてぶつかって死んだという。

  正月中旬のころ、天狗が楽器をもって毎夜狂い歩いているという。

  また華王院は、神祇官と思われる場所で諸神が会合している夢を見た。一の座の人が言うには、将軍の治世が終わろうとしている。諸神はすでに見捨てなさった。ただし、北野の神はまだ見捨てなさっていない、と申し上げたという夢を見たという。そこで、その夢の内容を(後小松上皇にヵ)披露し申し上げた。(上皇は)北野社に参籠せよと(室町殿にヵ)仰せになったそうだ。

  また先日、日吉大宮社の社殿前に、頭のない猿が二頭死んでいた。この社壇には猿を入れず、すべての鳥獣を入れないそうだ。不思議なことである。

  また二月、将軍の病気がすでに重篤になっていたとき、室町殿足利義持邸の寝殿の棟瓦の上に、白羽の矢が一本立った。その矢は紙で羽をはってあり、矢竹は花であったそうだ。瓦の上に立つことがとりわけ不思議であるという。その後、ほどなく将軍は亡くなったそうだ。みながそろって口々に言う噂は、大げさで信用に足りない。そうではあるが、世間の噂はだいたい記載しておいた。

 

 

 It was fine on February 28th. I took a bath as usual. Shogun Ashikaga Yoshikazu died last night. His death shocked everyone. He has been hurting his internal organs for the past couple of years, but he has been recovering recently. He was repeatedly prayed for recovery and treated. However, there was no effect of the prayer and treatment, and at last he died. He was 19 years old. What a pity it is. As Ashikaga Yoshikazu had no child, the person who succeeded was suddenly lost. Everyone is surprized. The cremation should be executed tomorrow in Toujiin temple. Ashikaga Yoshimochi's wife, Hino Eishi, can not stand that sadness and is stunned, I heard. Aristocrats, samurais, monks rushed to the generals residence in a hurry, and it was noisy both in the city and the countryside. It has been rumored that disaster will surely occur this year. So, the emperor ordered many temples to pray for disaster prevention from last year. However, it probably had no effect. The second prince (Ogawanomiya) has already died, and the general has also died. It is rumored that the world will be greatly disturbed again. There are various strange rumors during the New Year, and I can not trust it, but I will write it down a little.

 New Year's Day. In the early morning, thunder rang and it rained heavily. At that time, a helmet fell on the residence of former Kanrei (shogun's deputy) Shiba Yoshiatsu in the Kadenokouji district. It was written as "Shogun". <I can not believe it at all. That's completely unfounded rumor. I heard that Shiba Yoshiatsu just kept hiding it. 〉After that, a monk brought a sword to the Kai Masahisa residence. The monk said, "When I came to Iwashimizu Hachimangu shrine, I was asked to bring this sword to Mr. Kai in my dream. Because I was wondering, I brought it". Kai Masahisa's vassal thought he was good for nothing and repulsed him without receiving a sword. But as Masahisa was wondering, he called back the monk again and received the sword. Masahisa wanted to ask for more information, but the monk disappeared. This sword was a sword of Takatsune, an ancestor of Shiba Yoshiatsu. This was the sword that Takatsune dedicated to Iwasimizu Hachimangu shurine. I heard that this is true. Still, I can not believe it.

 On New Year's Day, Former Shogun Ashikaga Yoshimochi visited Kitano Tenmangu Shrine Shrine. When he was praying there he heard a voice in the building. Someone said, "Shoko Emperor must die this year." Also, a chicken in Kitano Tenmangu shrine said, "Shoko Emperor should die this year". I heard that this chicken was dumped in the river. Also, Kanrei Hatakeyama Mitsuie's horse said, "You should break a bone right now. You have to be careful." At that time, the other horses neighed at once.

 Also, New Year day. When General Ashikaga Yosikazu visited his father, Yoshimochi, I heard that the two doves hit each other and died.

 In the middle of January, I heard that Tengu was walking while playing an instrument every night.

 Keouin also dreamed of the gods meeting at the Department of Divinities. In the dream, one said, "The general will die. The gods have already abandoned him. However, Kitano Tenjin has not abandoned him yet." So, Keouin told the dream to Gokomatsu Joko (the Emperor Emeritus). Joko ordered the general to go to Kitano Tenmangu and pray.

 The other day, in front of Omiya-sha of Hiyoshi Taisha shrine, two headless monkeys were dead. I heard that the priests would never put all the birds and beasts as well as the monkeys in this temple ground. It is unbelievable.

Also in February, when the general became ill, a white winged arrow was stuck on the roof of his father Yoshimochi's house. The arrow was made of flowers and paper. It is very strange to be stuck on the roof. Soon after, the general died. The rumor is unreliable. But I wrote about it.

 (I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「内損」

 ─内臓を痛めること。特に飲酒のために胃腸をなどを壊すこと(『日本国語大辞典』)。

 

「三合」

 ─陰陽道でいう厄年の一つ。暦の上で一年に大歳・太陰・客気の三神が合すること。これを大凶とし、この年は天災、兵乱などが多いとする。三合の年(『日本国語大辞典』)。

 

「二宮」

 ─小川宮。後小松上皇第二皇子。応永三十二年二月十六日薨御(『看聞日記』同日条)。

 

「甲斐」─甲斐将久(法名常治)。斯波家の執事(「第三章 守護支配の展開」『福井県史』通史編2中世、http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-01-02-02.htm)。

 

「いたか」

 ─(「いたかき(板書)」の意か)乞食坊主の一種。供養のために、板の卒塔婆(そとば)に経文、戒名などを書いて川に流したり、経を読んだりして銭をもらって歩くもの(『日本国語大辞典』)。

 

 

【考察】

*凶兆であればあるほど、それをきちんと感知できればどれほどありがたいことか…。今も昔も、未来からのメッセージを正確に読み取るのは難しいようです。逆向き因果の一種と言えそうですが、今回の史料では将軍足利義量の死が原因となって、過去に起きた怪異や夢想が、結果として次々に記されることになったわけです。後からあとから湧いてくる。予兆なんてものは、そんなものかもしれません。

 なお、この記事については、桜井英治『室町人の精神』(日本の歴史12、講談社、2001、94頁)で触れられています。

 

 

*2020.5.30追記

 柳田國男の研究に、「物言ふ魚」(『一つ目小僧その他』小山書店、1934、331〜348頁、「国会図書館デジタルコレクション」コマ番号175〜184、https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444010)という論文があります。これによると、人語を喋る魚が災害を予言する、という伝説が、日本各地に残っているそうです。

 今回の場合は鶏や馬でしたが、生き物の口を通して不幸が予言されるという現象は、室町時代にもあったことがわかります。おそらくこういう怪異が、江戸時代に流行する神社姫やアマビエなどの先行形態だったのでしょう。