解題
本文書は文化十一年(1814)正月、財満氏伝来諸旧記類改写帳に所収されたものである。石井正樹家の一号文書一通、石井昭家の全九通の写とすでに原本を失った二十一通の写をのせる。江戸時代後期の写であるが原本の存するものを校してみるに資料としての使用に耐えると認められるのでここに掲載した。
同帳末尾にのせる元和丁巳中(三)夏日の年紀のある由緒書によると、石井氏は平姓で大内義興に従い、芸州志和内村に在城した石井内蔵允康永を初代とし、二代 平左衛門尉元家 三代 九郎三郎宣家 四代 蔵人賢家は世々内村の城主であった。陶氏により大内氏が滅び、陶氏も毛利氏によって厳島に滅ぼされるや石井氏は毛利氏に属することになった。五代和泉守房家は正力に在住する。六代弥三郎宗勝 七代孫兵衛勝家としている。
一 大内義長安堵状寫
大内義長公
御書判『アリ』
『竪紙』
所帯證文事、藝州錯乱之時紛失云々、任二先規一領掌不レ可レ有二相違一之状如レ件、
(1554)
天文廿三年十月廿三日
(賢家)
石井蔵人殿
「書き下し文」
所帯証文の事、芸州錯乱の時紛失すと云々、先規に任せ領掌相違有るべからざるの状件のごとし、
「解釈」
所領・所職の証文こと。安芸国の争乱時に紛失したという。先例のとおりに領有することに間違いがあるはずもない。