六 大内氏奉行人書状寫
『前ニ同』
去〈天文七〉、従造賀要害令二在城一、人数普請已下別而馳走之段、遂二注進一候
之處、被三成二遣 御感状一候、尤御面目之至候、弥諸事馳走肝要候、恐々謹言、
(杉)
五月十六日 隆信
(房家) 『在判』
石井和泉守殿
*割書は〈 〉で記しました。
「書き下し文」
去んぬる〈天文七〉より、造賀要害に在城せしめ、人数普請已下別して馳走するの
段、注進を遂げ候ふの処、御感状を成し遣はされ候ふ、尤も御面目の至りにて候ふ、
いよいよ諸事馳走肝要にて候ふ、恐々謹言、
「解釈」
去る天文七年(一五三八)より造賀要害に在城し、人員を集めての普請をはじめとして、とりわけよく奔走したことを、大内義隆様に注進しましたところ、御感状を発給なされました。いかにもこの上ない名誉です。ますます諸事に奔走することが肝要です。以上、謹んで申し上げます。