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大塚久雄 『共同体の基礎理論』

 大塚久雄『共同体の基礎理論』

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

(1)土 地

土地は多かれ少なかれ、その上で行われるあらゆる労働のための包括的な「主要な生産条件」をなしており、それに相応して、「土地」はそのうちにあらゆる種類の労働生産物をその「自然的形態」のままで、したがってそうしたすべての個別的な「富」をその「特殊性において」「直接に」包み込んでいるところの、「富」の包括的な基盤──あるいは原基形態と言っても差し支えなかろう──として現われている。

「土地」とは、やや立ち入って言えば、一定の社会をなして生産しつつある人類によって「占取」された限りにおける「大地」──生産の原始的な客観的条件としての「大地」──の一片に他ならない。

「大地」と我々が呼ぶところのものは、人間にとって、本源的には居住の場所のみならず、食料やその他既成の生活手段を貯蔵するいわば天与の大倉庫としてあらわれる。大地は人間に独自な、全く独自な生活過程たる生産活動(=労働過程)に対して、そのために必要な原始的な客観的諸条件(原始的生産手段)の堆積という意義をも帯びてあらわれる。この場合、原始的というのは、人間の手が加わることなしに、なお伏能的に自然から与えられたままのものであるということ、労働の成果ではなくして未だ自然そのものであることを意味する。人間は生産活動の前提としてこうした「大地」の諸断片を占取する。そしてそのように占取された限りにおける「大地」がほかならぬ「土地」なのである。

捕獲されうる水中の魚類、伐採されうる原始林の木材、採掘されうる鉱石等のように、労働によって直接に大地から取り出されうる一切のものを思い浮かべる。(それらのものは労働によって大地から切り離されたとたんに第二次的な消費資料や原料に転化する。)

歴史上労働過程がいくらかでも発展してくると(特にたとえば定住にともなって)、人間は自ら直接に占取する「土地」のうちから必要な生活手段──必需品にしろ奢侈品にしろ──のすべてを必ずしも常に獲得できなくなってくる。それはさしあたって、地味や地下埋蔵物やその他の諸条件の地域的相違によって生じてくるものであるが、例えば、塩や青銅、鉄、また家畜や穀物等のように歴史上早くから「共同体」間の交換の対象となった諸物資を思い浮かべてみる。このような「共同体」間の商品交換がある程度展開し、素朴な形ではあれ貨幣と呼ばれるべきものが発生する。特定の「土地」において不足する種々な物資を、いわば伏能的に自らのうちに包含するところの「貨幣」がまさしく宝庫としての「土地」の欠けたるを補うものとしてあらわれるようになり、こうして、「土地」の補充物として「貨幣」の堆積が形づくられるようになってくる。

 

  • 共同体と土地占取の諸形態

(1)アジア的形態

①共同体内部に見られる土地の私的な占取関係の進展度。この事実のうちの生産力の増大、したがって社会的分業(=生産諸力の分化)の進展度が直接に表出されているのであり、したがって土地の私的占取関係の如何は「共同体」と呼ばれる一定の生産関係の積極的な側面を形作っている。この点からするならば「共同体」なるものは社会的分業の体系であり、その特定の歴史的存在形態だと見ることができる。②それに相応する基本共同体の推転および「共同体」の内部的編成の如何(=とくに血縁関係の弛緩度)およそ「共同体」が原始的血縁共同体から系譜を引く一定の原始的な、経済外的な外枠(=共同組織)を持ちこれが「共同体とよばれる生産関係のいわば消極的側面を過怠づくっていることは既に見たところであるが、土地の私的占取関係とそれに相応する成員諸個人の私的活動の進展の結果として、「共同体」の持つこの共同体的側面もまたそれに相応した姿をとってあらわれ(=とくに血縁関係の弛緩)、それぞれの段階に応じて基本共同体は、種族→都市→村落、というコースで上向的な推転を遂げる。

 

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(1)「アジア的共同体」では種族あるいはその部分体たる血縁集団が土地の共同占取の主体となっている。すなわち、「種族」組織が共同体の支柱を構成する基本共同体をなしており、したがって、「アジア的形態」の共同体はすぐれて「種族」共同体であると特徴付けることができる。もちろんこうした「種族」共同体の内部にも村落や家族などの従属的共同体が形作られており、家父長制「家族共同体」が単なる原始的な血縁共同体の場合に比していっそう重要性を増してきた結果、「種族」共同体の内部構成そのものも、たとえば「種族の形にまで拡大された家族、相互の婚姻によって結ばれた一連の家族」というような、家父長制大家族(ないし同族団)の連繋体ともいうべき様相を示すにいたっているが、それにもかかわらず、依然として「アジア的共同体」が優れて「種族共同体」であることは記憶にとどめなければならない。

(2)ところで、種族共同体によって共同に占取された土地のまっただ中には、今や各家族によって永続的に私的先取される土地、すなわち「ヘレディウム」(自己の宅地および庭畑地)が既に広く形作られている。そしてこれは既に、単なる原始的な家族内の自然生的分業をこえた生産諸力(特に手工業)のある程度の発達を前提し、したがって家父長制家族の一段と明瞭な形成に対応しているというべきであろう。

(3)しかし、それにもかかわらず、「アジア的形態」の共同体においては「土地」の永続的な私的占取(私的所有)はいまだ「ヘレディウム」という形でわずかに橋頭堡を形作っているに止まり、「富」の基本形態たる「土地」の主要部分は「共同マルク(占取された土地)」として直接「種族」共同体自身による「共同占取」(=種族的共同所有)のもとにおかれている。各家族はたかだかそれの個別的利用(=一時的な私的占有)を許されているに過ぎない。この事実は、多かれ少なかれなお重要性を持っている共同労働(大家族=同族団による共同耕作・開墾から灌漑設備の構築にいたるまでの村落的・種族的な共同労働)におそらく関連を持っていると考えられるが、ともかく「富」の基本形態たる「土地」の私的所有はいまだ「ヘレディウム」の形で種族的「共同所有」の大海の中からわずかに頭をもたげているに止まり、「土地」の主要部分は、耕地であれ牧地であれそのほかであれ、すべてなお「共同所有」の深みのうちに沈んでいるのであって、ここから「アジア的共同体」における「所有の欠如」の相貌が生ずるのである。

(4)このことはまた、共同体の成員諸個人に対する種族的「共同体規制」の圧倒的な強さをも意味する。すなわち、個々人は共同体に極めて強い規制力を持って従属せしめられており、「共同体に対して自立的となることはない」のである。これは一方では「アジア的共同体」の強靱な持続性の基礎をなすとともに、他方では特殊アジア的な階級分化、いわゆる「一般奴隷生」の展開の起点ともなる。それにしても、「アジア的形態」の共同体においては「ヘレディウム」の確立を基礎として、単なる種族的「血縁関係に拘束されない自由人」間の生産関係の端緒がすでに形成されていることを看過すべきではない。

 

(1)「アジア的形態」の共同体もまたすでにその成立の条件として一定度の共同体な分業の存在を前提としている。(2)しかし、「アジア的形態」の共同体は、それがいつまでも存続するためには、この共同体内分業が一定程度以上進展することをなんらかの様式で押しとどめねばならい(exインドのカースト)。

 

  • 古典古代的形態

ギリシヤ、ローマにおける奴隷制社会の基礎を形づくるものであったと考えられる。「古代は都市とその小領域から出発したが中世は農村から出発した」(マルクス)。

「古代は都市とその小領域から出発した」ということは、いったいどのような意味に理解されるべきであろうか。(1)古代奴隷制社会の典型的な社会構成がいわゆる「都市」国家(exポリス)であったことは周知のとおりであるが、この「都市」(=ポリス)は最初一定の小領域内に住む諸種族の連合体を土台として、いわゆる「集住」によって、その擬集点に漸次に形成されたものであった。ともかく「都市」の成立には一般に諸種族の形づくる「農業共同体」の存在があらかじめ前提されていたのであり、事実征服された「都市」は時に「農村」に解体されたばかりでなく、古典古代を通じて、「農村」のままで「都市」の姿をとる事のなかったもの(ex初期のスパルタ)もまた極めて広く存在したもののようである。それはそれとして、このように「都市」形成の一般的な土台を形づくった「農業共同体」は、それぞれ一応「種族」共同体とよばれるべきものであり、前述したような古い血縁集団としての編成の面影をもちろんいくぶんとどめていた。とはいえ、その内部においては、原始的な血縁の紐帯や呪術的な規制はすでに著しく弛緩し、さらにまた集住による「都市」の形成を可能ならしめるような積極的な諸要因のほうが─例えば戦闘隊形における定住様式─をも内にははらんでいたのであって、その意味で、これらの「農業共同体」はすでに「半=都市的」であったともいわれるのである。

 

(3) ゲルマン的形態

現在における実証的研究の成果として、(1)まず、帝政末期ローマの版図内において、「都市」および「奴隷制所領」の支配かに「下から」抵抗の組織として新しい「共同体」の萌芽が形づくられ始める。しかし、こうした「ゲルマン的」共同体の萌芽は自由に展開しえず、また絶えずその成果を「上から」摘み取られていく。(2)ついで、ローマの版図内におけるゲルマン諸部族の定住地ではじめてまごうかたなき「ゲルマン的」共同体の形成が行われ、それがやがて特にフランク諸部族のもとにおける「ゲルマン的」共同体の典型的な展開となってあらわれてくる。(3)このような「ゲルマン的」共同体が、フランク王国の形成と拡大に伴って、広大な征服地の各所に伝播された。この新しい「共同体」を基盤とし、かつその内部から生み出されていく階級構成を基軸としてヨーロッパ封建社会の全構造が築き上げられることとなったのである。

「ゲルマン的」形態の「農業共同体」の基本的特質は、(1)「ゲルマン的」形態の場合基本共同体は今や「村落」─定住形態としての「村落制」といよりはいま少し広い土地占取者の隣人集団という意味での「村落」─となり、したがって共同体は優れて「村落」共同体の姿をとるにいたったということである。すなわち、「ゲルマン的」共同体においては、土地の共同占取および成員の私的活動に対する共同体規制の主体は、もはや古い「種族」的血縁組織や「半=都市的」戦闘組織などではなく、土地占取者の隣人集団たる「村落」となっている。一定の形式のもとに「氏族」からの自由な離脱を認め、他方で、外来者を村民(共同体成員)として承認する場合、「隣人」たちの全員一致の合意が必要とされている。土地の私的占取関係は、「氏族」によってではなく、「村落共同体」によって規制されており、相続権者を欠く場合などには結局「村落」内の「隣人」の手に帰属することとなっていた。共同体規制を遂行するために、「村長」や「村役員」などの村落自治機関がすでに確立されていた。

 

(2)「ゲルマン的」共同体の場合、「村落」を構成する個々の「家族」共同体もまた、共同体そのものの歴史的性格に対応して、独自の姿をとっていた。一般に「ゲルマン的」家族は、「古典古代的」なそれとともに、基本的にはすでに「家父長制小家族」の姿をとっていたと考えられており、その点で「アジア的」な「家父長制大家族」ないしは「同族団」と顕著な対象をなすとされている。シカも「ゲルマン的」家族が、等しく「小家族」でありながら、「古典古代的」なそれと基本的に異なった様相を帯びていることも否みがたい。「ゲルマン的」家族においては「家長権」の家族に対する支配力が、ローマの「家長権」にくらべて、不徹底なものとなったばかりではなく、その支配の様式も異なったものとなっている。「ゲルマン的」共同体にあっては、そうしたいわゆる「家父長制奴隷」もまた「家長権」の支配から身分的にもまた財産の私的占取についてもある程度まで相対的に独立した地位を与えられていたようであり、事実彼等が一般に「土地」を賦与されてしだいに明白な農奴の身分に上昇していくて傾向にあった。

 

(3)このような「家族」共同体の特質は、すでに示唆しておいたように、「村落」共同体内部における成員諸個人の相対的自立とその私的活動の度合いが、前述の他の共同体所形態の場合にくらべて、いっそう進展していることを意味している、といって差し支えないであろう。