周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

一軒家から借家への転落

  永享三年(一四三一)四月十九日条 (『図書寮叢刊 看聞日記』3─282頁)

 

      西大路        西大路

 十九日、晴、隆富朝臣窮困過法之間、宿所沽却云々、仍当所移住、御所辺祗候之

  由申、今日参、妻子等相伴云々、不便也、侍臣相加祗候珍重、但可加扶持之条

  計会也、近辺小屋借住云々、

 

 「書き下し文」

 十九日、晴る、隆富朝臣窮困過法の間、西大寺の宿所を沽却すと云々、仍て当所に移住し、御所辺りにて祗候すべきの由申す、今日参り、妻子らを相伴ふと云々、不便なり、侍臣に相加はり祗候すること珍重なり、但し扶持を加ふべきの条計会なり、近辺の小屋を借りて住むと云々、

 

 「解釈」

 十九日、晴れ。四条隆富朝臣がひどく困窮していたので、西大路の邸宅を売却したという。そこで、(隆富は)伏見に移住し、伏見宮家辺りに家を構えてお仕えするつもりだと申した。今日参上し、妻子らを伴っていたそうだ。気の毒なことである。(隆富は)近臣に加わり、(伏見宮家に)お仕えすることはめでたいことである。ただし、(隆富を)援助するべき件については、(こちらも)困窮していて難しいのである。隆富は近所に小屋を借りて住むそうだ。

 

 「注釈」

「四条隆富」

 ─羽林家の家格である四条家の庶流西大路家。隆富は伏見宮家の近臣(井原今朝男「室町廷臣の近習・近臣と本所権力の二面性」『室町廷臣社会論』塙書房、2014、182頁)。

 

 

*以前、このブログでも「涙、なみだの、官僚暮らし」という記事を書いて、外記局の官人で、下級貴族である「中原康富」の窮状を紹介しましたが、今回は中級クラスの公家が貧乏している記事です。これは、公家の貧乏暮らしを語る史料として有名なようです。(高橋康夫「後小松院仙洞御所跡敷地における都市再開発の実態」『日本建築学会論文報告集』263、1978・1、https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/263/0/263_KJ00003748553/_article/-char/ja/、松薗斉「中世後期の日記の特色についての覚書」『日本研究』44、2011・11、https://nichibun.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=487&item_no=1&page_id=41&block_id=63)。

 ただし、この「室町期公家一般貧乏観」ですが、すべての公家が貧乏をしていたわけではないようです。前掲井原著書(「室町廷臣の近習・近臣と本所権力の二面性」『室町廷臣社会論』255頁)によると、一部の貴族の生活は、比較的安泰だったようです。幕府や禁裏から給付金を得るため、自領荘園に下向して年貢などを徴収するため、公務をさぼる名目として「困窮」を訴えることもあったそうです。以下、わかりやすい箇所をそのまま引用しておきます(「結語」『室町廷臣社会論』565頁)。

 

 「室町朝廷では、禁裏と室町殿によって近臣や家礼・家僕として登用された廷臣の公家官人だけが政治的経済的にも生き延びることができた。勅問の輩や八卿八省諸司寮の統廃合が進展し、特権貴族の五摂家清華家の中から没落・廃絶者が多く出た。一条房家の土佐下向、尚基以後の二条家没落や清華家の洞院公数の出家・大臣家中院家一門三条坊門道守の切腹など、家格の高い特権貴族ほど「困窮」を口実に没落を余儀なくされた(第二章)。それに対して、名家・羽林家や半家など、中級・下級貴族は天皇の官吏であるとともに、幕府・摂家の家産官僚制の官吏でもあり、国家官僚制と家産官僚制に両属した二重の官吏として、室町戦国期に活躍し家格の上昇を果たした。天皇と室町殿の公武の廷臣になることで、家格の桎梏を部分的に打破することに成功した。

 禁裏と室町殿両者に奉仕する廷臣層となった中級・下級貴族の諸家は、天皇家の官吏として禁裏御料や官職渡領の知行地を給付されて、中央官僚としての経済基盤を確保した(第一章)。また摂家の家司・家礼として奉仕することによって、殿下渡領の知行地や屋敷地を給恩として安堵された。さらに室町殿の家司・家礼や諸大夫としての出仕を通じて、将軍家御料所の知行地の給付や御訪料などの給付を受けた。天皇は、彼らを「武家下知に任せ」、本所権力として譜代家領を一括安堵する綸旨を発給した。公武の廷臣層は経済的基盤を保障され、本所の家政権力として成長することができた(第一章・第二章)。室町朝廷の公家官制の特質は、百瀬今朝雄が平安・鎌倉・室町期の公家社会の身分秩序について指摘した、官職の身分体系と家の諸大夫・家礼の家格体系の二重構成をなしていたとする見解(『公安書札礼の研究』東京大学出版会、2000)と合致するものである。

 

 今回の四条隆富は、家を売り払っているので、本当に貧乏していたのでしょうが、「涙、なみだの、官僚暮らし」で紹介した中原康富の貧困陳情は、何だか怪しいものに読めてきます…。