周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

強制参拝 ─女神様のアメとムチ─ (Forced worship ─Carrot and stick used by the goddess)

  永享四年(1432)四月二十一日条

       (『図書寮叢刊 看聞日記』4─44頁)

 

 廿一日、晴、賀茂祭也、

   (中略)

  (慈光寺)

  抑持経参宮可同道之由、自今春約束申、然而依計会思留云々、而持経妻此間俄為狂

                  〔議〕

  気神宮有御託宣、参宮思留之条不思儀也、不参者可背神慮之趣種々御託宣、驚存必

  可参宮之由怠状申、狂気醒了、不思儀之間、廻馳走之処、自仙洞御訪〈五百疋、〉

  被下、是も神慮也、仍可御共申之由以状申、弥神慮可恐々々、不思儀事也、

   (後略)

 

 「書き下し文」

 二十一日、晴る、賀茂祭なり、(中略)抑も持経参宮に同道すべきの由、今春より約束し申す、然れども計会により思ひ留むと云々、而して持経の妻此の間俄に狂気と為り神宮の御託宣有り、参宮を思い留むるの条不思議なり、参らずんば神慮に背くべきの趣種々御託宣す、驚き存じ必ず参宮すべきの由怠状申す、狂気醒め了んぬ、不思議の間、馳走を廻らすの処、仙洞より御訪〈五百疋〉を下さる、是れも神慮なり、仍て御共し申すべきの由状を以て申す、いよいよ神慮恐るべし恐るべし、不思議の事なり、

 

 「解釈」

 二十一日、晴れ。今日は賀茂祭である。(中略)さて、慈光寺持経は(私・貞成)の伊勢参拝に同道するつもりだと、今春から約束し申し上げていた。しかし、困窮していたので、参宮をためらっていたという。そうこうしているうちに、先日持経の妻は突如気が狂い、伊勢の神からのご託宣を伝えた。「参宮をためらうことはけしからぬことである。参拝しないなら我が意(神意)に背くことになるだろう」ということなど、さまざまなご託宣があった。(持経は)驚き申し上げ、必ず参宮するつもりだとお詫び申し上げた。(すると、妻の)狂気は覚めた。思いも寄らないことだったので、(参宮実現のため、あちこちに)援助をお願いして回ったところ、後小松上皇がご援助金五百疋を下された。これも神の御意向である。そこで、持経は(私・貞成の)お供し申し上げるつもりです、と書状で申し上げてきた。神意は、ますます用心しなければならない。思いもよらないことである。

 

 April 21st, sunny. Today is the Kamo Festival. (Omitted) Well, in spring, Jikouji Mochitsune promised to go to Ise Jingu shrine to worship with me.But he was hesitant to go because he was poor. The other day, his wife suddenly got mad and told him the message of Ise's god. The goddess said, "It is not good to hesitate to come to the shrine. If you do not worship me, you will be against my will." He was so surprised and apologized to the goddess. He promised to go to Ise Jingu to worship. Then his wife came to her senses. He asked many people for assistance in going to Ise Jingu, and Gokomatsu joko (the Emperor Emeritus) gave me money (about ¥ 400,000). This is also God blessing. So, Mochitsune wrote in a letter that he would go with me. We must be careful not to offend God. This is unbelievable.

 (I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「怠状」

 ─過状(かじょう)ともいう。①罪科・過失をわびる文書。②中世、訴人(原告)が訴訟の全部もしくは一部を取り下げるときに出す書状。③「怠状す」といえば、過ちをわびる、屈服するの意(『古文書古記録語辞典』)。

 

*神様とは、やっぱり恐ろしい存在です。以前、「ありがとう、天神様!」という記事でも引用しましたが、中世の神様は、「供養や祈願を怠れば天罰・冥罰を与える存在」だったそうです(井原今朝男「中世寺院の置かれた社会」『中世寺院と民衆』臨川書店、2004、51頁)。

 今回の場合は、慈光寺持経が参拝をためらったために、神様が彼の妻の体に憑依してお説教をする、という強烈なエピソードでした。天照大御神だったのか豊受大御神だったのかよくわかりませんが、どちらにしても優しい女神様にちがいないという私の思い込みは、木っ端微塵に打ち砕かれました。一度参拝すると約束しておきながら、それを延引してしまうと、女神様は怒ってしまうのです。

 ただ、女神様は怒るだけではありませんでした。経済的に困窮していた持経に対して、後小松上皇から援助金をいただくという幸運ももたらしてくれました。神慮とは、まさに畏れ多いものです。