周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

里見弴

 里見弴『私の一日』(中央公論社、1980年)より

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

 

 親しくした人たちがどんどん死んで行く。年々歳々それが頻繁になるのは、こちらが人並よりいくぶん長く生き残ってゐる報ひとして甘受しなければならぬ自然の理ゆゑ、ウンもスンもないわけ。とはいへ、「死」といふ、この上なく厳粛な事実でも、永年に亘り、夥しい数に直面するうちには、馴れッこになる、といふか、麻痺してしまう、といふか、あのズシンと重い胸への響きにいくらかづつの緩みがついて来る……。ましてや、他家のはもとより、わが家の子孫であらうと、誕生を知らされての喜びなどは、正直なところ、もはやゼロにちかい。かういふ、老耄と同義語の不感症を、さも、生死の一大事を超越したかのやうに勘違ひはしないにしても、しかし時折、われながら「非人情」になつたものだ、と思ふことはある。生を祝ぎ、死を悼むのは、古今東西を通じての「人情」なのだから。……「非」か「不」か。「不」は感心しないが、「非」なら仕方なかろう、といつた風な、一種怠慢な考へ方だけれど……。

 そんなつまらぬ詮索はさて措き、実際問題として、ここ数年来の、親しくした人たちの死に方と来たら、「ちつと遠慮したらどうだ」とボヤキたくなるくらゐだ。「それは、お前が、あんまり大勢の人たちと仲よくした報ひで、自業自得ぢやないか」といはれて、「ああなるほどさうか」……まさかそれほどでもないし、第一、相手は死神だ、遠慮などさせてくれるものか。

 概して云つて、親しい者の死に際会する場合も稀な筈の、少・青年時代、まともに、すなほに、胸いつぱいに受け止める「死」の痛撃、……「死」の周囲には、不思議にすなほな空気が立ちこめるものだが、……あの、再び起ちなほれまい、と思ふほどの、あの、文字どほりのデッド・ボールをこの年齢になるまで、満身に浴びとほし2、生きて来られるものかどうか。万が一にもさうであつたとしたら、私は超人だ。万年でも横綱が張りとほせる。

 さうかといつて、死んだ人の死によつて、こちらの心身に受ける傷害で寿命を縮められてたまるか、といふやうな、打算的な顧慮から、なるべく控へ目に悲しんで置かうなどと、そんな器用なまねは、いかに世智辛くなつた今の世の中でも、ちよつとやり手があるまい。どだい意識にのぼらず、なほさら、さういふ思議は用ゐないでも、あらゆる生物に共通の、みづから衛る本能の然らしむる所で、是非おん範囲外だ。誰でもが大威張りで「別に工夫なし」と断言できる場合だ。

 ついこの数日来、広津和郎君、野田高梧君と続けさまに急逝の報を受けた。時間に縛られることない、たまにあればなんとかかんとかそれをひッぱづしてしまふ、早くいへば「怠け者」で「閑人」の私、ズシンと重い胸への響きも、まるで名鐘の余韻の如く、清らかに

静けく、遠く、遥けく薄れて行くに任せて、いつまでも黙つてゐられる。

 親しくした歳月の長い短いなどには関係なく、あの日のこと、あの時のこと、……私の性分のせゐか、必ず具象的に、……その場その場の光景で眼前に髣髴として来る。しかもどれ一つとして楽しく愉快な想ひ出でないものはない。告別式の祭壇の前で読まれる弔詞の多くがさうであるやうな、故人の業績とか、人と成りの美点とか、さういふ抽象的な面は少しも浮んで来ない。そのうち、「ズシンと重い胸への響き」など、あとかたもなく消え失せてしまひ、例へば、広津君の、まぬけな自分の失敗を、まるでひとごとのやうにくッくと可笑しがる、あの酸ッぱいやうな笑ひ顔とか、野田君の、自己流踊りで、ここぞとばかり片足で立つて見せるつもりが、ひよろけかかつたりする様子とか、その他等々が、瞑がない目の前の絵となつて現れたとすれば、ニヤニヤと、私の頬の肉はうごめきだすだらう。そこを糞真面目な男が見たら、「なんだ、友達の死を楽しんでゐやアがる。怪しからん奴だ」と怒号するかも知れず、歯に衣をきせぬ女だつたら、「いやアねえ、いい年齢をして、思ひ出し笑ひなんかして。みつともないわよ」と冷笑を浴びせることだらう。

 こんな風に、死んで行つた人たちとのつきあひで、楽しかつたこと、嬉しかつたことなど、特に選ぶのでもなんでもなく、おのづとさういふのばかりが思ひ出されるといふのも、前にいつた自衛本能の作用に違ひない。若い頃だつたら、厳粛な「死」を冒瀆するものだ、とか、友情を裏切る軽佻だ、とか、そんな反省、自責に苛まれたかも知れないが、いつかさういうふものとは、きれいさつぱりと手が切れてゐた。