周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

荒谷文書5(完)

    五 備中国賀陽郡妹尾庄内打渡坪付

 

  備中国萱郡妹尾庄之内捌貫配田畠坪付之事

 中ノ郷         五斗代           保頭

 一所田廿代       分貳斗       新三郎

 免田ノ坪        五斗代

 一所田一段廿代     分七斗       同 人

           五斗代

 一所田一段廿五代    分七斗五升     同 人

 内野田         六斗代

 一所田一段四拾代    分壹石八升     同 人

 五かん田        四斗五升代

 一所田一段四拾代    分八斗一升     同 人

 はしりほりまゝこノ町  四斗代

 一所田廿五代      分貳斗       同 人

 同所          四斗五升代

 一所田一段四拾代    分八斗一升     同 人

 同所          三斗五升代

 一所田廿代       分壹斗四升     同 人

 同所          四斗五升代

 一所田三段       分一石三斗五升   同 人

 中ノ郷                      和田ノ

 一所田壹段       分五斗         四郎右衛門

 舟津          五斗代

 一所田四拾五歩     分四斗七升五合   同 人

 東たれ川        五斗代

 一所田四拾五代     分四斗五升     同 人

 城ノ北                      ミねノ

 一所畠拾五代      分拾八文      孫 六

 ゑひ山同所

 一所畠九歩       分三文       同 人

 城ノひかし                    ミねノ

 一所畠廿代       分廿四文      五郎兵衛

 ゑひ山の岡

 一所畠卅代       分六拾文      同 人

 坂東山ノ辻

 一所畠拾代       分廿文       同 人

                       

 一所畠四拾代家     分四百八拾文    五郎兵衛

      田数壹町五段貳拾代

       分米七石四斗六升五合

    以上

      畠貳段拾五代九歩

       分銭六百文

     (1577)             井上右衛門尉

     天正五年〈丁丑〉五月廿日      盛貞(花押)

                    岡和泉守

                       就栄(花押)

                   井上又右衛門尉

                       春忠(花押)

                    磯兼左近大夫

                       景道(花押)

                    桂右衛門大夫

                       景信(花押)

          (勝長)

        荒谷善五郎殿 まいる

 

 「注釈」

「妹尾庄」─笹ヶ瀬川右岸の妹尾を遺称地とし、一帯に推定される。同川河口一帯に大

      福・古・興除の各新田が開発される以前は海に面していた。平家に仕えた

      妹尾氏の名字の地。「平家物語」巻八に「(妹尾)兼康が知行仕候し備中

      の妹尾は、馬の草飼よい所で候」とあり、同書長門本巻四には鬼界島へ流

      罪となった藤原成経は「妹尾の湊ゆくいといふ所」より出帆したという。

      元暦二年(1185)四月二十九日、源頼朝は妹尾郷を平家没官領として

      崇徳院法華堂に寄進(吾妻鏡)。

      鎌倉末には妹尾庄和太方半分は紀州高野山崇徳院御骨三昧堂領で、領家

      職・地頭職の半分は阿野(藤原)家が所持していた。正和四年(131

      5)五月二十三日、阿野公廉は外祖相伝の地として和太領家職半分を子息

      季継に譲った(「阿野公廉譲状」藤波家文書)。また地頭職半分は息女妙

      僧に譲られ、元弘三年(1333)七月五日の後醍醐天皇綸旨(同文書)

      で安堵されている(同年七月二十六日「足利尊氏御教書」阿野文書)。季

      継が南朝に従ったため、尊氏によって没収されたためと思われる。康永元

      年の「備前一宮社法」によると、吉備津彦神社の祭礼にあたり「せのう両

      浦村之あき人」が浦役・浜役として魚貝類を奉納した。天正四年(157

      6)宝福寺寺領検地帳(宝福寺文書)には妹尾に六貫文余の寺領がみえ、

      翌年の小早川氏から荒谷勝長への妹尾庄内打渡坪付(荒谷文書)には八貫

      文余がある。同坪付の字地には船津・中ノ郷・ミねのやしきなどがみえる

      (『岡山県の地名』平凡社)。