周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

磯部文書1

解題

 寺家(じけ)(東広島市西条町)の熊野新宮は賀茂社とはもと別の社であったが、賀茂社が消失したため同殿に祭られることになった。磯部氏は同社の社家である。宇多源氏に出、五代章経の時に近江国佐々木に住み佐々木を称し、ついで磯部と名乗ったという。

 建武二年(1335)十五代源左近秀実が賀茂郡西条に下り神官となり、安芸磯部の初代になった。

 

 

    一 源頼忠寄進状

 奉寄進

    (安芸賀茂郡篠)

    佐々村大明神免田事

      坪〈一反所四郎名本正作」半西念名本正作〉

 右件於免田者、大明神奉寄進処也、守社人等此旨、可天長地久御

 祈祷者也、并地頭方之現当二世所願成就故、仍寄進状如件、

     (1354)

     文和参年三月十八日

                    源頼忠(花押)

 

*割書とその改行は〈 」 〉で、記載しました。

 

 「書き下し文」

 寄進し奉る

    佐々村大明神免田の事

      坪〈一反所は四郎名本正作」半は西念名本正作〉。

 右件の免田に於いては、大明神に寄進し奉る処なり、社人ら此の旨を守り、天長地久の御祈祷を致すべき者なり、并びに地頭方の現当二世所願成就の故に、仍て寄進状件のごとし、

 

 「解釈」

 寄進し申し上げる、篠村大明神の免田のこと。

  一反の所在地は四郎名の正作田、半の所在地は西念名の正作田。

 右の免田においては、篠村大明神に寄進し申し上げるところである。神官らはこの取り決めを守り、天長地久の御祈祷を執行しなければならないのである。また、地頭方の現世来世の所願成就のために、寄進することは以上のとおりである。

 

 「注釈」

「佐々村大明神」─現東広島市八本松篠の岩蔵神社(「篠村」『広島県の地名』平凡

         社)。

「正作」─もと荘園における本所・領家の直営地のこと。中世には、一般に地頭・荘官

     の直営地を指していう。百姓を雇仕する手作り地というべきもの(『古文書

     古記録語辞典』)。この史料の場合、地頭源頼忠が自身の正作田を、免田と

     して岩蔵神社に寄進したということになりそうです。