敬白
(安芸賀茂郡西條) (之)
新宮大明神江願書⬜︎事
一廿貫之地、於二防芸之間一、可レ致二寄進一者也、
右意趣者、去月廿八日如二御詫一、来二月三月之間、当[ ]事者、右之
所願速可レ致二成就一者也、依レ之仰二神威一[ ]祈誓如レ件、
(1560)
永禄三年十二月七日 隆元(花押)
元就(花押)
「書き下し文」
敬白
新宮大明神江願書之事
一つ、廿貫の地、坊芸の間に於いて、寄進致すべき者なり、
右の意趣は、去月二十八日御詫びのごとく、来たる二月・三月の間、当[ ]事者、右の所願速やかに成就致すべき者なり、之により神威を仰ぎ、祈誓する所(ヵ)件のごとし、
「注釈」
謹んで申し上げる、新宮大明神への願文のこと。
一つ、二十貫の地を、周防国と安芸国の間で、寄進いたすはずである。
右の意向は、去る十一月二十八日に(そちらが)歎願なさったとおりに、来たる二月から三月の間に、(解釈不能)右の願いを速やかに叶え申し上げるはずである。この寄進により神威を尊び、祈誓することは、以上のとおりである。
*書き下し・解釈ともによくわかりませんでした。
「注釈」
「新宮大明神」
─団子山南麓に鎮座する新宮神社(旧村社)は大同二年(807)の勧請と伝え、伊邪那美命など十四神を祀る。毛利元就・隆元父子が永禄三年(1560)願文を捧げ二〇貫の地を寄進している(磯部文書)。六日市付近にあった賀茂社が消失したので合祀したと伝え、「芸藩通志」は「熊野新宮賀茂社」と記す。元就が賀茂社に奉納したという鏡が現存。村北部の郡八幡神社(旧村社)は伊邪那岐命など十六神を祀る。もと福原神社と称したが、明治四二年(1909)村内の郡八幡神社・雨乞神社を合併し、翌年改称したという。もとの郡八幡神社は賀茂郡総鎮守社だったのでこの称があると伝える(「寺家村」『広島県の地名』平凡社)。