周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

観音霊場の威力 ─中世の物体移動現象─ (Phenomenon of moving things without notice)

  永享六年(1434)四月十一日条

       (『図書寮叢刊 看聞日記』4─304頁)

 

             (庭田幸子)(田向経兼女)(庭田重有室)(田向長資)(西大路

 十一日、晴、早朝石山参詣、南御方・  近衛 ・ 御乳人 ・源三位・隆富朝臣

  (庭田)(世尊寺)基祐             

  重賢・行資・ 参、(中略)抑隆富朝臣於御前観音教一巻入懐中、御経

                   〔議〕

  不読、兼不入懐中之処、自在懐、不思儀事也、御利生歟、何様ニも奇得事也、

 

 「書き下し文」

 十一日、晴る、早朝石山に参詣す、南御方・近衛・御乳人・源三位・隆富朝臣・重賢・行資・基祐参る、(中略)そもそも隆富朝臣石山御前に於いて観音教一巻懐中に入る、御経読まず、兼ねて懐中に入れざるの処、おのづから懐に在り、不思議の事なり、御利生か、何様にも奇得の事なり、

 

 「解釈」

 十一日、晴れ。早朝石山寺に参詣した。南御方(貞成室庭田幸子)・近衛(伏見宮家の上臈田向経兼の娘)・御乳人(庭田重有室)・源三位田向長資・西大路隆富朝臣・庭田重賢・世尊寺行資・基祐も参拝した。(中略)さて、石山寺の御前で、観音教一巻が西大路隆富朝臣の懐に入っていることに気づいた。お経を読んでおらず、前もって懐に入れていなかったが、知らないうちに懐の中にあった。理解できないことである。観音様のご利益だろうか。たしかに、観音様の霊験である。

 

 By the way, in front of Ishiyamadera temple, Nishiohji Takatomi noticed that the sutra of the Bodhisattva Avalokite śvara was in his pocket. It was in his pocket without him noticing. It is unbelievable. That may be the benefit of the Bodhisattva Avalokiteśvara.

 (I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「南御方」

 ─貞成室、彦仁(後花園天皇)・貞常親王母。庭田経有幸子。初め今参局、ついで二条局。文安5年4月13日没(横井清「『看聞日記』の人びと」『室町時代の一皇族の生涯』講談社、2002)。

 

「近衛」

 ─田向経兼の女。伏見宮家の上臈女房(松薗斉「室町時代の女房について」『人間文化』28、2013・9、http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_02F/02__28F/02__28_143.pdf)。

 

「長資」─田向経良子。権中納言・康正2年出家(前掲横井著書)。

 

「隆富」

 ─四条(西大路・大宮)隆富。崇光院院司の同隆仲孫。左中将。伏見殿近臣(前掲横井著書)。

 

「重賢」

 ─庭田重有子。参議・中将・権大納言。幼名慶寿丸、改め政賢、また改め長賢(前掲横井著書)。

 

 

*あるはずのものがなくなる、ないはずのものが出現する。これぞ、心霊現象!(いや認知症!?)というエピソードです。以前に、「拾いますか? 拾いませんか?」という記事を書きましたが、これも石山寺の話でした。源氏物語起筆の寺、西国三十三所観音霊場として有名な石山寺は、今も昔も霊験あらたかなパワースポットだったようです。

 それにしても、信じられないものが、知らないうちに懐に入り込んでいたものです。信心のなせるワザなのでしょうか。加齢とともに、似たような現象が私にも起きるようになったのですが、単なる物忘れでは説明できない、このような尊い物体移動現象を経験してみたいものです。