嘉応元年(1169)十月十三日条『百錬抄』第八
(『国史大系』第11巻84頁)
十三日。権律師行禅自害。是依二所領争論事一。被レ付二使庁使一。不レ堪二其鬱一之故也。云々。
「書き下し文」
十三日、権律師行禅自害す、是れ所領争論の事により、使庁の使ひに付けらる、其の鬱に堪へざるの故なりと云々、
「解釈」
十三日、権律師行禅が自害した。これは所領相論のことで、検非違使庁の官人を付けられた。その鬱憤に耐えられなかったからであるという。
「注釈」
*よくわからないことばかりですが、この史料を読むと、所領相論が検非違使庁の裁判に属すことになり、行禅はその鬱憤に耐えられず自殺を遂げた、ということになっています。何が行禅を自殺に至らせるまで憤らせたのか、いまいちピンときませんが、ひとまず原因動機は「検非違使庁の裁判に属した鬱憤に耐えられなかったこと」と説明できそうです。しかし、何のために自殺を遂げたのか、その目的動機はさっぱりわかりません。自殺することで訴訟を有利に運ぼうとしたのか(「訴願目的の自殺」)、鬱憤を抱えたまま生きていく苦痛から逃れようとしたのか(「逃避目的の自殺」)、いろいろと考えられそうですが、これ以上の推測はできません。
*なお私は、古典籍の分析を通して、自殺の目的動機を「逃避」「訴願」「雪辱」「往生」に分類しました(「自殺の中世史43 ─吾妻鏡のまとめ」参照)。ですが、個別具体的な自殺事例が、これらの目的動機のどれかに完全に一致するとは考えていません。各目的動機が複合的に自殺を規定したり、どれか1つの目的動機が強く現れたりしているのが、それぞれの自殺の実態だと思っています。