永享八年(1436)二月二十四日条
(『図書寮叢刊 看聞日記』5─242頁)
廿四日、小雨降、(中略)次北野参、欲所作之処、念珠緒切了、是吉瑞云々、仏神之
前所作之時緒切事、所願成就之瑞云々、殊珍重也、(後略)
「書き下し文」
二十四日、小雨降る、(中略)次いで北野に参る、所作せんと欲するの処、念珠の緒切れ了んぬ、是れ吉瑞と云々、仏神の前にて所作の時緒切るる事、所願成就の瑞と云々、殊に珍重なり、(後略)
「解釈」
二十四日、小雨が降った。(中略)次いで北野社に参拝した。神前でお勤めをしようとしたところ、念珠の紐が切れてしまった。これは吉兆だという。仏神の前でお勤めをするときに数珠の紐が切れることは、願いが叶う前兆だという。とりわけすばらしいことである。
It rained on February 24th. I visited Kitanotenmagu shrine to worship. When I tried to pray before God, the string of my Buddhist rosary snapped naturally. This is a good sign. This is a omen that wishes come true. This is very wonderful.
(I used Google Translate.)
「注釈」
*神仏への祈願や供養をするときの大切な法具。だからこそ、切れると縁起が悪いような気がしていたのですが、中世では、吉兆だったようです。まるで、ひと昔前に流行った「ミサンガ」のようです。「ヒモが切れること」と「願いが叶うこと」の両者がなぜ結びついたのか、さっぱりわかりませんが、日本中世にも同じような迷信が息づいていたようです。
以前にも、「拾いますか? 拾いませんか?」という記事で、吉凶の前兆に関する事例を紹介しましたが、おもしろい迷信はまだまだあるのかもしれません。
*2020.2.27追記
数珠が切れた事例を追加します。
享徳二年(1453)四月十一日条 (『経覚私要鈔』3─65頁)
十一日、戊戌、雨、(中略)
(古市胤仙) 〔珠〕
一今日又荒神祓播州沙汰之、昨日祓凶事多々令迷惑、一ニハ念殊緒切之、二烏
不取神供、三陰陽師火打袋緒切云々、此子細申送之処、今日ハ悉以吉相在之、
目出存之由申云々、神妙々々、
「書き下し文」
一つ、また荒神祓播州之を沙汰す、昨日の祓凶事多々迷惑せしむ、一つには念珠の緒切る、二つ烏神供を取らず、三つ陰陽師の火打袋の緒切ると云々、此の子細を申し送るの処、今日は尽く以て吉相之在り、目出存ずるの由申すと云々、神妙々々、
「解釈」
一つ、また荒神祓を播州(古市胤仙)が執行した。昨日の祓では凶事が多く、迷惑した。一つ目は念珠の緒が切れた。二つ目は烏が神供を取らなかった。三つ目は陰陽師の火打袋の緒が切れたという。この凶事の詳細を古市方が申し伝えてきたが、今日はすべて吉相があり、すばらしく思うと申してきたそうだ。たいそう尊くすぐれていることである。
「注釈」
「荒神祓」
─乱暴な荒神を祀り、荒ぶる気を鎮め満足の状態で退去を願う陰陽道の祓で、修験道の荒神祓の影響下に成立したものと考えられている(鈴木佐内「荒神祓と荒神供 ─荒神和讃の背景─」『智山学報』27、1978・3、158・163頁、https://www.jstage.jst.go.jp/article/chisangakuho/27/0/27_KJ00009512833/_article/-char/ja/)。
*前掲史料から約20年後、しかも場所は京都ではなく奈良。時間的にも距離的にも少し離れてしまいました。時間の経過とともに吉兆が凶兆に変化したのか、あるいは京都では吉兆であっても、奈良では凶兆であったのか、はっきりしたことはわかりません。同じ室町時代の畿内であっても、一つの現象に対する評価は異なるようです。
ちなみに、カラスがお供えを持っていくのは、吉兆だったようです。