周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

あかちゃんの頭… (Baby's head ...)

  永享十年(一四三八)二月十・十一日条

                   (『図書寮叢刊 看聞日記』6─123頁)

 

                                  (賀茂)

 十日、晴、(中略)抑台所縁下赤子頭犬食来歟、巳時見付、吉凶不審之間、在貞朝臣

                   

  尋之、凡赤子頭吉事之由申、其所云々、然而不審事也、在貞返事病事・

                             (竹田) (庭田重有室)

  口舌云々、但吉事也、有証拠之由面々申、雖然門外捨了、照善参、御乳人

  内裏祗候之間、穢中不可参之由令申、五体不具穢七ヶ日也、宝厳院被帰、

                       (大中臣清忠)

 十一日、晴、(中略)抑五体不具穢事猶不審之間、伊勢祭主尋之、五体不具七ヶ日

  穢之由申、

 

 「書き下し文」

 十日、晴る、(中略)抑も台所の縁の下に赤子の頭を犬食ひ来たるか、巳の時に見付く、吉凶不審の間、在貞朝臣に之を尋ぬ、凡そ赤子の頭は吉事の由申す、其所に捨てよと云々、然るに不審の事なり、在貞の返事病事・口舌と云々、但し吉事なり、証拠有るの由、面々に申す、然りと雖も門外に捨て了んぬ、照善参る、御乳人内裏に祗候するの間、穢中参るべからざるの由申さしむ、五体不具穢七ヶ日なり、宝厳院帰らる、

 十一日、晴る、(中略)抑も五体不具穢の事猶ほ不審の間、伊勢祭主に之を尋ぬ、五体不具七ヶ日の穢の由申す、

 

 「解釈」

 十日、晴れ。(中略)さて、台所の縁の下に犬が赤ん坊の頭をくわえてきたのだろう。巳の時に見つけた。吉凶がはっきりしないので、賀茂在貞朝臣に尋ねた。だいたい赤ん坊の頭は吉兆だと申す。そこに捨てよという。しかし、依然として不審に思い、もう一度尋ねた。在貞の返事は病気・争論と占ったそうだ。ただし、吉兆である。証拠があると我々に申した。そうではあるが、門外に捨てた。医師の竹田照善がやって来た。御乳人庭田重有妾賀々は内裏に祗候していたので、穢れているこちらに参上してはならないと申し上げさせた。五体不具穢は七日間忌み慎むのである。宝厳院恵芳がお帰りになった。

 十一日、晴れ。(中略)さて、五体不具穢のことは依然としてはっきりしないので、伊勢祭主大中臣清忠に尋ねた。五体不具穢は七日間の物忌みであると申した。

 

 It was fine on February 10th. Well, a dog has brought a baby's head to the kitchen. I found it around 11 am. I asked Kamono Akisada(the Yin-yang master) for fortune telling about this event. He said that the baby's head was a good omen. And he said, "Dump it there." But I asked him again because I couldn't believe it. Then he told me it was a precursor to illness and conflict. However, he told us that it was a good omen and he had the evidence. However, I could not believe it and dumped the baby's head out of the gate.

 (I used Google Translate.)

 

 「注釈」

「五体不具穢」

 ─不完全な死体に触れる穢を五体(躰)不具穢と呼び、その忌み慎む日数は七日間であった。この詳細な研究については、山本幸司「穢とされる事象」(『穢と大祓』増補版、解放出版社、2009年)を参照。

 

「照善」

 ─竹田照善。水谷惟紗久「古記録にみえる室町時代の患者と医療(1)―『看聞御記』嘉吉元年入江殿闘病記録から―」(『日本医史学雑誌』43─1、1997・3、35頁、http://jsmh.umin.jp/journal/43-1/index.html)参照。

 

「宝厳院」

 ─二条冬実の娘。松薗斉「『看聞日記』に見える尼と尼寺」(『人間文化』27号、2012・9、http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_02F/02__27F/02__27_1.pdf)参照。

 

 

*もう、わけがわかりません…。自分の家の縁に、野良犬が赤ん坊の頭をくわえてやって来ること自体、現代の日本ではありえないことですし、あってほしくもありません。ただ、陰陽師がこの一件を占い、先例によって判断を下していることから、当時こうした出来事は珍しくも何ともなかったことがわかります。さらに、わけがわからないのは、この一件を、「吉事」?と判断しているところです。病気や言い争いの予兆としながらも、「吉事」と主張するのです。いったい、この事件のどこに縁起のよいところがあるのでしょうか。禍福は糾える縄の如し? 人間万事塞翁が馬? 占いなんてこんなもんでしょうか。ただ、死穢は発生しているので、その消滅を待つために、七日間の物忌みはしなければならなかったようです。