二 関東御教書
護
伊予国北条郷地頭多賀江入道申、守○使乱入事、訴状遣レ之、於二篝松役所々一者、
被三停二止使入部一了、而被二放入一之条、甚無二其謂一、自今以後可レ被二停止一
之状、依レ仰執達如レ件、
(1240) (北条泰時)
仁治元年後十月五日 前武蔵守(花押)
宇都宮四郎判官殿
「書き下し文」
伊予国北条郷地頭多賀江入道申す、守護使乱入の事、訴状之を遣はす、篝松役の所々に於いては、使ひの入部を停止せられ了んぬ、而るに放ち入れらるの条、甚だ其の謂れ無し、自今以後停止せらるべきの状、仰せにより執達件のごとし、
「解釈」
伊予国北条郷地頭多賀江入道が申し上げる、守護使乱入のこと。多賀江の訴状をあなたに遣わした。篝火松の用途を負担する所領では、将軍九条頼経が守護使の入部をご停止になった。しかし、守護使を入部したことは、まったく根拠のないことである。今後は守護使入部を停止しなければならないことを、将軍のご命令によって下達する。
「注釈」
「宇都宮四郎判官」─伊予国守護宇都宮(横田)頼業(巻末「鎌倉幕府諸職表 守護」
『角川新版日本史辞典』)。