六 比丘尼浄蓮自筆書状
(端裏書)
「 [ ] 」
真道房便宜証文委承候了、
一楽音寺院主御代官職事、可レ為二」真道房之由仰給候、御一期之間」何御弟子
ニも御計候ハん事者、」其旨こそ、まほりまいらせ候ハん」する事ニ候へハ、
別子細ニ不レ及候、」其付候天十二人請僧をしたて」られ候へきよし御計候事、
尤目」出覚候、但十二人僧相節分」者、寺内田畠を皆所当田ニ可レ被レ」落候之
由御計候事を、住僧等」承候て、歎申候事者、於二田畠一者」自二先々一任下被二
定置一旨上、至二其勤行」或燈油明公事一、于今無二懈怠一候、」先々雖レ被三改二
補院主一、代々彼燈油」勤行等事、全無二相違一之由申候も」理ニ覚候之間、
真道房ニ此様を相尋候」之処、注文者雖二加様一候、内々方丈仰候者、」無二人
歎一様ニ随二事体一可二相計一之由候し」かハ、非レ可レ背二先例一候之間、不レ
可レ有二別子細一」之由候へハ、寺僧等成二安堵思一候者、」為二御心得一申候、
(小早川茂平)
一御修理之間事度々も仰候、 故」本仏生霊之十三年ニ遂進候」ハん事者、尤目出
事ニ覚候へハ、」志を思進候事者、たれニも」まさりまいらせてこそ候へと
ん、」故入道殿御時之様ニも候ハす、い□」各別ニ成りぬれハ、分々御公事」
先々ニもまさり候上、毎年のいま」ひへと申方之公事のミ候之間、」我身のけい
らくたにもはかゝゝ」しくも候ハねハ、身ニ取候てハ、取」様候ていとなミ進候
ハん事者、」一切かなうましく候、けにも」御力ニ天御修理候ハんニつき候
て、」自然ニ身ニたへ候ハんほとのさゝ」へをも、しまいらせ候ハん事者」さも
候へく候、又しよの殿原之御」事者、此方ニて御座候へハとて、すゝ」めまいら
せ候とても、ふつとかなうまし」く候、自其御寄進候有レ限用途」をたにも、
たれへも無御沙汰之由、
一承候、又卿殿、少輔殿御許ニ、御修」理用途二百余石者候ハんすらん」をハ、
可二請取一之由仰候へハ、其様を尋」承候へハ、楽音寺を一円ニ雖二知行候一、」
さ様之用途者候へしとん不レ覚候、」まして申候ハん、十二人中分けられ候
ぬれハ、衣食二事たにもた」らぬ事ニ候之由被レ申候、」此間事者、卿殿少輔
殿」より申され候へきよし」承候へハ、定きこしめさる」へく候、あな
かしこゝゝゝゝゝ、
(梨子羽)
五月三日 なしハより
(浄蓮)
(花押)
法泉阿闍梨御房
「書き下し文」
真道房便宜証文委しく承り候ひ了んぬ、
一つ、楽音寺院主御代官職の事、真道房たるべきの由仰せ給ひ候ふ、何の御弟子にも御計らひ候はん事は、其の旨こそ、守り参らせ候はんずる事に候へば、別の子細に及ばず候ふ、其れに付け候ひて十二人の請僧を仕立てられ候へき由御計らひ候ふ事、尤も目出たく覚え候ふ、但し十二人僧相節分は、寺内の田畠を皆所当田に落とさるべきの由御計らひ候ふ事を、住僧ら承り候ひて、歎き申し候ふ事は、田畠に於いては先々より定め置かるる旨に任せ、其の勤行或いは燈油明公事に至りては、今に懈怠無く候ふ、先々院主を改補せらると雖も、代々彼の燈油勤行等の事、全く相違無き由申し候ふも理に覚え候ふの間、真道房に此の様を相尋ね候ふの処、注文は加様に候ふと雖も、内々に方丈仰せ候はば、人の歎き無き様に事の体に随ひ相計らふべきの由候ひしかば、先例に背くべきに非ず候ふの間、別の子細有るべからざるの由候へば、寺僧ら安堵の思ひを成し候ふてへり、御心得の為申し候ふ、
一つ、御修理の間の事度々も仰せ候ふ、 故本仏生霊の十三年に遂げ進め候はん事は、尤も目出たき事に候へば、志を思ひ進らせ候ふことは、誰にも勝り参らせてこそ候へとん、故入道殿の御時の様にも候はず、い□各別に成りぬれば、分々の御公事先々にも勝り候ふ上、毎年のいまひへと申す方の公事のみ候ふの間、我が身のけいらく他にも捗々しくも候はねば、身に取り候ひては、取る様営み進らせ候はん事は、一切叶うまじく候ふ、実にも御力にて御修理候はんにつき候ひて、自然に身に堪え候はんほどの支へをも、し参らせ候はん事はさも候ふべく候ふ、又自余の殿原の御事は、此方にて御座候へばとて、進め参らせ候ふとても、ふつと叶うまじく候ふ、其れより御寄進し候ふ限り有る用途をだにも、誰へも御沙汰無きの由、
一つ、承り候ふ、又卿殿、少輔殿の御許に、御修理用途二百余石は候はんずらんをは、請け取るべきの由仰せ候へば、其の様を尋ね承り候へば、楽音寺を一円に知行し候ふと雖も、さ様の用途は候ふべしとん覚えず候ふ、まして申し候はん、十二人中分けられ候ひぬれば、衣食二事だにも足らぬ事に候ふの由申され候、此の間の事は、卿殿・少輔殿より申され候ふべき由承り候へば、定めて聞こし召さるべく候ふ、あなかしこあなかしこ、
「解釈」
真道房の手紙と証文をいただき、詳しく事情をお聞きしました。
一つ。楽音寺院主の御代官職のこと。真道房であるべきだ、とあなた様(法泉)は仰せになりました。だれのお弟子でも、あなた様がお取り計らいになりますことは、そのお考えを私(浄蓮)は守り申し上げるつもりでおりますので、とくに異議を申すまでもありません。この件に付随しまして、あなた様が、十二人の請僧を据えようとご計画になっておりますことは、当然すばらしく思われます。ただし、十二人の僧侶の給分については、寺内の田畠をすべて彼らへの給分を負担する田地として没収しようと、あなた様はご計画になっておりますことを、楽音寺の住僧らがお聞きしまして、歎き申しております。田畠においては、以前から取り決められていた規則のとおりに、その勤行や燈油明公事については、(住僧らは)怠けることなく勤めております。以前、院主が改補されたけれども、代々続くその燈油勤行などは、今までとまったく変わりはない、と(住僧らは)申しておりますのも道理に思われます。したがって、真道房にこの状況を尋ねましたところ、注文はそのとおりでありますが、内密に方丈(院主ヵ)がお命じになりますならば、私(真道房)は、住僧らの歎きがないように、事の成り行きにしたがって取り計らうつもりでしたので、先例に背くつもりはありませんでした。だから、真道房は特に異論を挟むつもりもないとのことですので、寺僧らは安堵しているそうです。あなた様にご理解いただくために申し上げます。
一つ、御修理のことも、あなた様(法泉)は度々仰せになっております。亡くなった小早川本仏茂平の十三回忌に修理を遂行しますようなことは、当然すばらしいことですので、その構想を考え進めなさいますことは、誰よりも勝り申し上げていることです。故茂平殿の時代のようではありません。い□は、別々になったので、身分相応の御公事は以前にも勝っております(負担が重くなっております)うえに、毎年の「いまひへ」という方の公事ばかりがあります。だから、私自身の所領支配はその他についても順調に進んでおりませんので、私自身にとりましては、楽音寺を経営し申しますようなことは、まったく思いどおりになりません。本当にあなた様(法泉)のお力で御修理になりますようなことにつきまして、ひとりでに私自身に耐えられますような支援をし申しますようなことは、そのようにするつもりです。また、その他の殿原のことは、こちらのことでございますからといって、(寺の修造を)進め申し上げましたとしても、まったく思いどおりになるはずもありません。せめて、そちら様(法泉)が御寄進になりました重要な用途(寄進地からの上納分)だけでも、誰へも御配分にはならない、とお聞きしました。
一つ、また、卿殿・少輔殿のもとに、御修理用途二百余石があるようなものを、あなた様(法泉)が私(浄蓮)に受け取れと仰せですので、卿殿・少輔殿にその事情を尋ねてお聞きしましたところ、「私ども(卿殿・少輔殿)は楽音寺を一円に知行しておりますが、そのような費用があるはずだとも思えません。まして、申し上げておりますように、請僧十二人中に寺内の田畠が分けられましたので、衣食の二つの事でさえ不足していることです」と彼ら(卿殿・少輔殿)は申しております。このようなことは、卿殿・少輔殿から(直に)申し上げなさるはずです、とお聞きしていますので、きっとあなた様(法泉)もお聞きになるはずです。
*びっくりするほど、まったく訳すことができませんでした。
「注釈」
「いまひへ」─未詳。「新日吉」神社を指すか。
「けいらく」─未詳。「経略」のことか。
「殿原」─①武家の男子の敬称。②荘園村落内の上層身分の者、地侍層を指していう
(『古文書古記録語辞典』)。
「卿殿・少輔殿」─もとからいる楽音寺の役僧か。