一三 日名内慶岳書状(折紙)
呉々、夫丸同前之」在所も於二御尋ニ一者、可レ」有二御座一之条、為二
御心得一」候、雲州御陣之時」被二仰出一旨も」候する哉、
法持院御抱京市」夫丸長々被二留置一候」条、対二貴所一御理」雖レ被レ仰候、
彼出入御」無二案内一之由、御返事」候之条、前々辻可レ申」之由、従二法持院一
承候」間申入候、先年も遠」国役之時ハ六十日」相過候ヘハ、月俸被レ」遣夫役
(先ヵ)
相勤候、以二」其筋目一去年雲」州於二御陣一も、六十日」以後之儀ハ被レ成二御
下用一」候、何之御奉行衆も」可レ為二御存知一候、御暇を」被レ遣候共、又ハ
(安)
飯米」被レ遣候共、旁々之儀」御相談彼夫丸致二」案堵一候様、御心得頼存」之由
候、猶御帰陣之時」可二申承一候、恐々謹言、
日名内但馬入道
正月十二日 慶岳
河合四郎右衛門尉殿
まいる
○以上、一三通ヲ一巻ニ収ム(第一巻)
「書き下し文」
法持院御抱えの京市夫丸を長々留め置かれ候ふ条、貴所に対し御理を仰せられ候ふと雖も、彼の出入りに御案内無きの由、御返事候ふの条、前々に辻申すべきの由、法持院より承り候ふ間、申し入れ候ふ、先年も遠国役の時は六十日を相過ぎ候へば、月俸を遣はされ夫役を相勤め候ふ、其の筋目を以て先年雲州御陣に於いても、六十日以後の儀は御下用を成され候ふ、何れの奉行衆も御存知たるべく候ふ、御暇を遣はされ候ふとも、又は飯米を遣はされ候ふとも、旁々の儀ご相談し彼の夫丸を安堵致し候ふ様、御心得頼み存ずるの由に候ふ、猶ほ御帰陣の時申し承るべく候ふ、恐々謹言、
呉々も、夫丸同前の在所も御尋ねに於いては、御座有るべきの条、御心得を為し候ふ、雲州御陣の時仰せ出ださるる旨も候はんずるや、
「解釈」
法持院お抱えの京市人夫を、あなた様(河合)が長々と留め置きなさっております件について、法持院に対して道理を仰せになりました。だが、京市人夫を差し出す先例はない、と法持院からのご返事がありました件について、以前に辻が申し上げるはずであった、と法持院から伺いましたので、あなた様に申し入れました。先年も人夫を遠国に遣わしたときは、六十日を過ぎますと、月の手当てをお渡しになって夫役を勤めました。その手続きは先年の出雲攻めでも、六十日以後は俸給を下行なさいました。どの奉行衆もご存知であるはずです。お休みをお与えになったとしましても、あるいは飯米をお与えになったとしましても、いずれにせよ法持院とご相談になり、あの京市夫丸を法持院に安堵しますよう、あなた様(河合)がご承知くださることを、お頼み申し上げますとのことです。なお、御帰陣のときにお話を伺うつもりでおります。以上、謹んで申し上げます。
くれぐれも、あなた様の麾下にいる夫丸に対して、京市の在所であるかをお尋ねになるべきだ、という件をご承知ください。出雲攻めのときにご命令になったこともありますのでしょうか。
*追而書の解釈がさっぱりわかりません。
「注釈」
「京市」─未詳。沼田庄内の市場か。
「夫丸」─領主が農民に賦課する夫役で、実際に人身を使役するものをいう。丸は身分
の卑しい下層の者につける称との説もある(『古文書古記録語辞典』)。
「辻」─未詳。人名か。