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楽音寺文書20

    二〇 小早川仲好寄進状

 

 (端裏書)

 「一宮御寄進状 仲好」

 奉寄進

  一宮学頭分并供僧職事

    合田壹町壹段大〈并畠六反」林等事〉

 右彼六名者、依梨子羽郷南方大郎丸名之内、」一円寄付楽音寺南方院主

 頼真処也、」仍於彼名者、令止万雑公事者也、但至公方」役者、

 不難渋之儀、并有限社役等、」任先例懈怠勤仕也、

 自然及怠慢」者、可易彼職者也、仍寄進状如件、

   (1400)

   応永七年〈庚辰〉十月 日

             平仲好(花押)

 

 「書き下し文」

 寄進し奉る 一宮学頭分并びに供僧職の事

    合わせて一町一段大〈并びに六反・林等の事〉

 右彼の六名は、梨子羽郷南方太郎丸名の内たるにより、一円に楽音寺南方院主頼真に寄付する処なり、仍て彼の名に於いては、万雑公事を停止せしむる者なり、但し公方役に至つては、難渋の儀有るべからず、并びに限り有る社役等、先例に任せ懈怠無く勤仕せらるべきなり、自然怠慢に及ばば、彼の職を改易せしむべき者なり、仍て寄進状件のごとし、

 

 「解釈」

 寄進し申し上げる一宮学頭分並びに供僧職のこと。

    都合一町一段大。並びに六反と林等のこと。

 右、この六つの名田は、梨子羽郷南方の太郎丸名内であることにより、まとめて楽音寺南方院主頼真に寄付するところである。そこでこの太郎丸名については、万雑公事の徴収を停止させるものである。ただし、公方役については、出し渋ってはならない。また、重要な社役等は、先例のとおりに怠ることなく勤められなければならないのである。もし怠るならば、この学頭職・供僧職を改易させるべきものである。よって寄進状は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「一宮」

 ─一宮豊田神社。現三原市沼田東町納所、原。三太刀山(現豊田郡本郷町)の対岸、沼田川南岸に鎮座。祭神は市寸島比売命、相殿に宇気母智神を祀る。境内社に稲荷社(祭神は宇迦之御魂神)がある。「国郡志下調書出帳」は現在地から西の宮ノ谷に鎮座と記し、社伝は天保年間(1830─44)に現在地に移転したという。「芸藩通志」は勧請の時は不詳で、一説に土肥実平の勧請と記す。

 建長四年(1252)十一月の安芸沼田本庄方正検注目録写(小早川家文書)の仏神田十町三反のうちに「一宮三丁七反」とあり、応永七年(1400)八月の祐明山林返進状(楽音寺文書)によると梨子羽郷南方(現本郷町)に一宮領の山林六町があった。正和三年(1314)五月十八日の一宮修正会勤行所作人注文(蟇沼寺文書)によると、楽音寺(現本郷町)が当社の学頭職を兼ね、毎年正月二日に当社で修正会を執行したが、東禅寺・平坂寺(現同町)など沼田庄の主な寺院・院主が参加し、神前で「安芸国神名帳」が読誦されており、沼田庄で最も尊崇された社であった。

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「公方役」

 ─室町時代、幕府や守護によって荘園に賦課された公事・夫役。荘園領主や地頭領主も公方と称されることもあったから紛らわしい(『古文書古記録語辞典』)。17号文書から判断すると、幕府の段銭・棟別銭などを指すか。