周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

『アジアの聖と賤』

  野間宏沖浦和光『アジアの聖と賤』人文書院、1983年

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

P22

 ヒンズー教では牛の糞は、むしろ非常に聖なるもので、汚れを取り除く力があるとされているんですね。だから、あれをずっと家の壁などに張っておくと浄めにもなるわけで、それがまた燃料にもなる。まさに一石二鳥です。なかなかうまいことを考えついたわけだ(笑い)。ヒンズー教徒が尊ぶ『マヌ法典』でも、穢れた人間を清めるいろんな儀式、つまり浄法について書かれていますが、そのなかに、牛から得られる五つのもの、乳、ヨーグルト、チーズ、尿、糞を飲むこと、と書いてある。

 牛といえば、農業に欠くことのできない動物として、牛崇拝が古代からずっと定着農耕民の間にあった。そこへ外から入ってきた遊牧民族であるアーリア人が、先住農耕民の牛崇拝の思想に目をつけた。自分たちは遊牧民族だから、もともと肉を食っていたわけですね。

 しかし、先住農耕民たちを支配してゆくために、しだいに肉食をやめて牛を〈聖なるもの〉として押し出していった。そして、聖なる牛を屠殺したり皮を作ったりする者を、穢れた者として差別し隔離していった。ということは、穢れを軸とした差別的な支配体系を打ち立てる一つの媒介物として、聖なる牛が使われたということですね。そしてたどりたどって、日本でもそういう職業に従事する人が穢れとされた。そのことについては、あとで詳しく触れることにしましょう。

 

P25

 (カルカッタのステーション、ハウラ駅)駅の中で恐れもなく死を待つ姿といい、家もなく街路住民として格別みじめさも感じず生きている姿といい、生き方、死に方に対する、まるで別の価値観があるからではないか。つまり、その二つはインド人にとって裏表といってもいいものではないだろうか。

 そこは非常に大事なところだと思います。乞食もいたるところにいるし、その日暮らしの貧しい大道芸人や行商人もあちこちで見かけた。おそらく彼らの一日の収入は、一、二ルピー、日本円にして一〇〇円にもならない。ヒンズー教ラマ教なんかの行者もおり、各地で托鉢しながらようやく生き延びている。しかし、聖者と呼ばれているこれらの行者も、一皮むけば乞食同然なんですね。

 日本の昔の巡礼と同じような形でトボトボと聖地を歴訪しながら、人の情けにすがって生きてゆくが、最後は路上で野垂死にとなる。

 つまり、ゆきだおれ……。そこまで自分でつきつめて考えているかどうかは別として、宗教的に言えば、〝現世放棄者〟……。

 日本ならば実に悲惨な最期なんだけれど、インドではそんな悲愴感はあまりない。現世放棄者と言えば、日本の中世では、諸国を漂泊する聖ですね。我々は外側から見るほかはないが、どうもそのように思われますね。

 ヒンズー教史によれば、これらの漂泊する現世放棄者はいずれも禁欲苦行者であり、カースト制度を批判して神の前での人間の平等を説いた宗教改革家であった。このことは注目すべきことですね。つまり、彼らは、いつでも反体制派、反カースト制派として、差別されている貧しい民衆の側にあった。

 その点も、日本の漂泊していた聖とよく似ていますね。

 ところで、インド社会を深く研究されている山折哲雄氏は、この〝現世放棄者(サヌヤーシン)〟について次のように述べているが、たいへん的を射た重要な指摘だと思う。

 「今日のインドでは、真のサヌヤーシンは一般的にヒンズー教徒によって〈死者〉と同一視されている。なぜなら、カースト社会と絶縁した人間は現実の社会からすでに葬り去られた人間とみなされるからである。だから、サヌヤーシンが死んでも、彼のために葬儀が行われることはない。なぜなら、彼はサヌヤーシンになったとき、すでに自己の〈葬儀〉を自己の手で完了してしまったと考えられるからである。

 こうして現世を放棄したサヌヤーシンは、まさに日常的に死を生きる人間であると言わなければならない存在である。彼らは死を生きることによって、最も自由な人間として神に祈り、人々に救済の福音を解くことができるのである。」(奈良康明山折哲雄編『神と仏の大地インド』第1章、佼成出版社

 カースト制度の歴史を考える際には、ぜひとも取り入れねばならぬ重要な視点ですね。意を捨てて妻子を捨てて諸国を遍歴するということ自体が、カースト的な枠組みからの離脱を意味するのですね。そのことによってかえって精神の自由を追求し、既成の宗教的儀礼にがんじがらめに縛られた社会秩序を批判してゆく視点を我がものとしてゆく……。

 そういう思想的潮流が、宗教史上において、中国でも日本でもあったということ……。それがまた、インドにおいても確認される。このことの意味は非常に大きい。山折氏は、ブッダの思想も、つきつめればこのような思想的流れの中から出てきたのではないかと示唆されているが……。

 そのことは、インド大陸の古い土着思想から出てきたと言われている自然観あるいは生死感、つまり業とか輪廻の思想、こういう問題とも深く絡まっているように思いますね。ブッダ自身も、広い意味での〝現世放棄者〟であったことはたしかですから。

 生命に対する考え方は、近代合理主義で割り切れない要素を持っているんではなかろうか。生きる、死ぬは自然に属するんでしょうね。

 そういう考え方が、大衆の中にまで浸透しているような気さえする。われわれだったら、行き倒れを見て慌てふためいて、救急車なんかを呼ぶところだが、そういう救急車で近代的な設備の整った病院に運ばれていく価値観の世界とは全然違う。そういう世界で、多くの下層の民衆が生まれ、また死んでゆく。そのズレが、またわれわれにとってはショックなんですね。

 

P35

 日本でもそういうケースが多いでしょう。炭鉱労働者がヤマを閉されて都会に出てくるが、被差別部落に入ってくる労働者が少なくない。沖縄から出てきた労働者もそういう場合がある。戦後放り出されていろんな差別を受けながら生き抜いていかねばならず、どこも受け入れてくれないので被差別部落に入っていった人も少なくない。部落は人情の厚いところだから、そういう困っている人々を受け入れる。お互いに助け合って生きてゆこうという共同体精神がまだ残っているところですからね。

 

P41

 その前にインダス文明があって、これを築いたのはさっき見たように原ドラヴィタ系ではないかと言われていますが、どういうことがあったのか急速に滅亡している。地殻隆起によるインダス川の氾濫で潰れたのか、アーリア人の侵攻によって壊滅したのか、諸説がるが、あるとき突然壊滅していることは、考古学的にも明らかなんです。(中略)それから牡牛を尊重しているということは、遺物からもはっきりしている。シヴァ神の力の象徴とされているリンガ、つまり男根崇拝、こういう土俗信仰に類するものも出土している。

 あの男根は本当にすごいもんですね。インドの至るところで見ましたね。

 ええ。この男根崇拝、すなわち生殖力の賛美は、農耕社会では豊作を期待するための一種の呪術として広く行われていたんですね。のちにヒンズー教もこれを取り入れる。だから、あの男根崇拝はアーリア人が持ってきたんじゃない。あとでふれる業や輪廻の思想にしても、もともとインドの土着信仰に属するものなんですね。それを後から来たアーリア人が、みないただいてしまう。

 

P42

 亜大陸の北部から中部を占拠したアーリア人は、先住民族を南部や奥地へ追いやりながらどんどん駒を進めていった。向かうところ敵なしです。征服から当地へ移る段階で、アーリア人も農耕をやり出す。こうして、アーリア人は牧畜兼農業を営みながら、自分らが持ってきたバラモン教の教義に基づいて─その段階ではまだヒンズー教とは言いません─新たな社会体制を組織していく。そのバラモン教の最古の文献が『リグ・ヴェーダ』ですね。それを読むと、すでに家父長制、祖先の霊魂崇拝、聖火崇拝といった特徴がはっきり現れています。そして、自分たちを「アーリア」、これは「高貴な、尊いもの」という意味ですけれども、そう呼んでいる。また、自分たちが持ってきた神インドラを崇拝しない先住民を、「ダーサ」(敵)と呼んでいる。

 

P45

 戦争しながら相手を征服して、たえず版図を広げていくのは王侯貴族、武士階級。彼らクシャトリアは、戦場へ必ずバラモンを同行している。戦争のときに、穢を祓い清めて戦勝祈願をするバラモンは欠くことはできない。

 日本で言えば、陰陽師。古代の朝廷では、律令の規定にあるように陰陽師が必ずついている。彼らは、占星術もやり、たとえば今日は凶だから天皇は外に出たらいかんとか、今日はかくかくの理由で穢れている日だから何もするなとか、いろんな指示をする。荒っぽく言えば、陰陽師は一種の呪術師だが、これが宗教的権威を背後に持つと絶大な権力を所有するようになる。

 その点、日本の陰陽師はたんなる呪術者であって、自らが宗教的権利を持っていなかったから、支配権力の庇護下にいなければまったく弱い存在になってしまう。日本の中世段階では、権力から見放された下級の陰陽師は、ほとんど賤民身分に近いところまで堕ちますからね。

 ところがバラモンは、自分たちの血統の宗教的聖性と正統性を強調し、神の祭祀たりうる唯一の正常な身分であることを主張してきた。そしてそれを社会体制としても具現化してきたわけですね。

 それがカースト制ですね。

 そのカースト制度において、バラモンはたんに呪術師であるだけではなく、まず何よりも社会秩序を維持するための複雑な祭祀体系の主宰者であり、宗教的権威の保有者であった。だからこそ身分制の最上位として君臨することができた。

 バラモンはそういう存在だったんだな。古代の王権は祭政一致の要素が非常に強いから、宗教的権威に呪術がプラスされると王侯貴族も対抗できない。

 

P48

 ヒンズー教の場合、アートマン(自我)と、ブラーフマン(ブラフマン梵天)があるわけで、アートマンというのは、個人の生命現象、つまり、それぞれの個体の生気や身体の中に潜む本質存在。それと、万物に偏在して万物を動かし客観的宇宙を統御しているブラーフマン─この相即一致というか、無限の宇宙の本質と有限な自我が同化するいわゆる〝梵我一如〟が非常に重要である。これを追求するのがヒンズー教の究極的な目標だという。西洋近代の合理主義思想に馴染んでいる我々には、なかなか難解な論理ですね。一番問題なのは、その論理の根底に不滅の霊魂説がおかれていることですね。

 そのところが、ブッダの説いた仏教と正面から対立するところだ。だから、ボクは、異議を申し立てた。

 

P50

 宗教・道徳上の法を説くダルマ(dharma)、世俗的実利を説くアルタ(artha)、それに男女性愛の満足を説くカーマ(kama)─この三つを基本的にいろんな法典が作られたわけですね。

 

P51

 いくらか異説があるとしても、ちょっと整理しておくと、インドの宗教の歴史は次のように六つの時代に分けることができるというのがほぼ定説です。

 ⑴インダス文明の原始宗教の段階(前30〜前17世紀ごろ)

 ⑵バラモン教の段階(前17世紀ごろ〜前5世紀ごろ)

 ⑶仏教を中心とした非バラモン主義の段階(前5〜後6世紀)

 ⑷ヒンズー教の確立の段階(6〜12世紀)

 ⑸イスラム支配下ヒンズー教の段階(12〜18世期)

 ⑹英国統治下から今日に至る現代ヒンズー教の時代(18世紀〜)

 

P52

 そして、インドを宗教的に制圧したバラモンたちは、霊魂の存在を認め、五火説に代表されるように、死者の霊が⑴まず月に至り、⑵雨となって、⑶地上に降って食物となり、⑷さらに精子となって、⑸母体に入って再生するという、輪廻の五段階を説いた。その生死流転の輪廻が止まるときに、初めて霊魂は永遠の至福に入ると説く。

 ところがさまざまな業がその霊魂に付着するので輪廻は止まない。輪廻から自由になって解脱の境地に入るため、ヨーガなどの苦行が古来から説かれていた。

 

P55

 『マヌ法典』の規定は詳細を極めていて、たとえば、バラモンの職業はこれこれに限るとか、結婚の場合はこうせよとか、何を食ってはいけないとか、セックス のやり方はどうせよとか、修養中の学生は「静液を遺漏することなかれ」、儀礼を守る夫は「常におのれの妻のみで満足し、月経後の妊娠可能な時期に妻に接近せよ」と細々規定している。

 それから女性差別……。

 女性差別もものすごいもので、どんな行状の悪い夫でも、妻は夫を神のように尊敬せよと説いている。あるいは、供犠についても、五大供犠の仕方、客のもてなし方、先祖の祭り方など、民族学的にいう通過儀礼なども詳細に規定している。

 そうですね。接近したらいけない穢れについても非常に細かく規定していて、たとえば、「チャンダーラ、豚、鶏、犬、月経中の婦人及び去勢者は、食事中の再生族を見るべからず」という規定まである。

 『ヤージュニャヴァルキヤ法典』によれば、「自分の妻であっても、その非淫処において、または月経期において行淫する者は、24バナの罰金を科せられる」とある。これではうかつに自分の女房も抱けない(笑い)。

 それから次のような規定もある。

 「最下姓女を犯す(如き卑劣なる)者には、その恥辱の記を烙印して追放せしむべきである。かくの如き首陀羅族(シューダラ)は(自ら)最下姓となるであろう。最下姓男にしてアーリア女を犯した時は、もとより死刑である。」

 

P56

 『マヌ法典』にしろ、この法典にしろ、すべてアーリア人の種姓と血統を守る立場から書かれています。

 それから、もう一つ注目すべきは、身体障害者に対する差別もすごいことですね。片足のない者、目の見えない者、癩を病んでいる者、これらは全部バラモンのいるところから退去させよ、そういう指示を出してます。彼ら障害者は、あるべき身体的秩序に背いているからという理由で、やはり穢れとされていたんです。

 この法典にはおそらく、今日の差別と言われているもののすべて、すなわち、女性差別から身障者差別から、ありとあらゆるものが打ち込まれている。それらを全部穢れとして遠ざけることによって、神の清浄が保持され社会秩序が安定するという。この儀礼的な〈浄・穢〉に関する一連の信念は、ヒンズーイズムの中核的教義を形成している。

 そのような宗教的教義を思想的土台においていたからこそ、カースト制を今日まで持続させることができた。

 その意味では、カースト制こそ、ヒンズーイズムの精神を体制的に表現したものと言えますね。それから、このような〈浄・穢〉観念は、日本の古代からのあらゆる差別思想と、いろんな点で酷似していますね。月経中の女性や産褥にある女性を浮上と見る観念、身体障害者を〝非人〟と見る観念、穢れとされている職業に従事している人間を賤民と見る観念─これらは『マヌ法典』の基調にあるものとほとんど同一ですね。

 

P66から

 『マヌ法典』の第10章では、人間のうちの最下級なるものとして、スータ、チャンダーラ、マーガタなどをあげて、彼らの職業を、馬・戦車の取り扱い、治療技術、後宮の護衛、商人、大工、屠殺業、皮革職、漁夫、楽人などに指定している。

 第三章を見ても、バラモンが避けるべきものとして、芸人、高利貸、医師、売肉業、弓矢製造者、賭博師、飼鳥者、製油者、先生術師、建築家、植木屋などをあげています。それから『マヌ法典』についで実用的価値から見ても重要視されていた『ヤージュニャヴァルキヤ法典』では、賤視されている職業として、それ以外に工匠、織師、洗濯屋、酒屋、籠師、舞台芸人、鉄師、木師、金鍛冶、民間祭祀人、染師などをあげています。

 

P68

 とにかく、先住民族のもっていた土着文化も取り入れるし、民俗慣習や民間信仰なども大胆に取り入れてゆく。

 その点では、ヒンズー教は、いろんな宗教のシクレティズム(諸教混交)という性格を基本的にもっている。『マヌ法典』のようなものが作られたのも、ジャイナ教や仏教の教宣の慎重に対抗するということが一つの重要な契機だったと思われます。

 これも向こうで教えてもらったんですが、ヨーガの起源はきわめて古く、インダス文明時代に、すでにヨーガの萌芽的なものがあったのではないかと推定されている。そのヨーガがバラモン教に吸収されてヨーガ学派となる。制戒、内制、坐法、調息、禅定、三昧などの修行によって、煩悩を除去し、心を統一し、最後に梵我一如の境地に近づいてゆく。

 

P72

 農耕を主とする社会へ転換した後でも、肉食の慣習が簡単に消滅するわけではないし、皮革の需要も増えこそすれなくなるわけではありませんからね。つまり、宗教的な教義上の要請と実際の社会的風習・需要との間には、たんなる制作では片付かぬズレがあった。

 これは日本でも同じですね。朝廷が殺生戒を国家的レベルで実行した後でも、民衆の食肉の慣習は止まなかったし、天皇や貴族でも薬用と称して肉を食べていた。これは文献的にも証明できる。

 そうですね。タテマエとホンネが食い違ってくる。そこで為政者がこの矛盾を乗り切るためには、特別の政策的配慮を必要とした。すなわち、タブーの侵犯者として、スケープ・ゴート(生贄の山羊)として、誰か特定の者に穢を背負わせてこの職務を無理やりに遂行させるしか手がなかった。〝人外の人〟とされた不可触民制が、社会システムとしてつくり出された一つのカギがここにあります。

 

P75 「万物を〈浄・穢〉の基準で配列するヒンズー思想」

 そうすると、〈浄・穢〉の観念が、ヒンズー社会の諸制度や日常生活にくまなく浸透していて、それが宗教と社会を取り結ぶカギになっている…。

 そうなんです。ヒンズー教の宇宙観に基づいて、超自然世界も自然界も、すべてのものが〈浄・穢〉の価値基準によって配列される。万物には、本来的に浄性あるいは不浄性が内在しているとみなされている。下位にランクされたものはその本質的属性として強烈な穢をもっており、それはまた直接的あるいは間接的な接触によって、その穢を他のものに感染させる。

 おそろしい思想ですね。自然界では、たとえば、どんなものが浄で、どんなものが穢なのか。

 非常に複雑な仕組みでデザインされている。自然界でもっとも高い浄性を保持しているのが、牝牛、火、水の三つですね。これらは神聖であるだけでなく、穢そのものを浄化する力をもっている。

 金属も植物も動物も、すべて〈浄・穢〉観念のもとで儀礼的序列があるわけです。

 たとえば動物界ではどうなっているんですか。

 聖なる牛がトップで、それから水牛、コブラ、サル、羊、山羊ときて、下位に鶏や豚がおかれる。物質界では金、銀、真鍮、鉄、土…。肉食でもそうですね。羊肉、鶏肉、豚肉の順序で、今度は逆に牛肉が最下位になる。

  (中略)

 そうでしょうね。それから、植物界ではニンニク、タマネギなどが穢を多量の持っているものとして下位にランクされる。

 古代の日本でも、『令義解』を見ても、ネギ、ニンニク、ニラ、ラッキョウなどは五辛といって食穢とされている。このような思想はインドが源泉で、それから中国や朝鮮を経由して日本に入ってきたものかどうか…。偶然の一致とは考えられませんからね。

 そういう経路も、史料的に追跡してみる必要がありますね。それで人間の身体から出るものも穢とされているわけでしょう。

 ええ。身体からの放出物・排泄物は強烈な穢を内在させていて、その伝染性も、ものすごいとみなされている。特にヘソから上よりも、ヘソから下が穢が濃厚であるとされています。

 なんとなくわかるような気もするね(笑い)。

 出産、性交、排泄行為、経血、死─これらは猥雑で他人からのぞき見られたくないものですが、どうしようもない根源的な生命現象です。いかに高尚な文化を享受していても、この部分だけは、動物としての人間の動物的次元での生の再生産の場面ですね。

 →人間は動物との差異を意識しすぎるあまり、動物と同じような現象を忌み嫌うようになったのか?

 

 本当はケガレでもなんでもなく、生命の再生産のための必要事ですよね。われわれが生きてゆくためには欠くことのできない自然的な生の営みである…。

 しかしヒンズー教では、それが穢の強力な汚染源であるとされた。人間の体内から分泌するもの、『マヌ法典』ではこれらは身体の一、二の不浄物とされている。脂肪、精液、血液、頭垢、大小便、鼻汁、耳垢、痰、涙、眼脂、汗…。医者、産婆、洗濯屋、理髪店が賤業とされるのはそういうものに直接触れているからです。彼らはいつまでも差別されていて、その多くは不可触民の仕事とかかわっている。この点もまた、日本とよく似ています。今挙げた職業に従事している者は、日本の近世の段階でも、地方によって多少の差はありますが、やはり賤に近いと見られていた。被差別部落から、かなり多くの医者を出しているところがありますよ。

 →身分の高い人間に奉仕する、御典医のような連中は、どのように考えられていたのか。この点を明らかにしないと、一概に被差別民と言い切ることができない。また、日本の場合、賤業と呼ばれる人々が賤視されなくなった時期はいつか、その理由は何か、社会背景の違いは何かなど、追究すべき点は多いように思われる。ヒンズー教的価値観をそのまま受け入れたというだけでは、説明不足。受け入れるものと受け入れなかったものがあるはず。その違いは何かを考えないと、日本の特殊性は見えてこないし、その違いを無視すると、インドの価値観を一般化・普遍化しすぎてしまうことにもなる。

 穢について言えば、一番はっきりと差別のかたちで出てくるのは、同火・同食と結婚に関する禁忌ですね。すなわち、穢を背負っているとされている人間と一緒にメシを食べない、通婚を絶対にしない。これはやはり、メシも体の中に入るし、結婚も肉体の直接的接触をまねくから…。

  (中略)

 月経、分娩、性交渉、排泄、死─人間の中の動物的な行為は、すべて不正の記号を背負わされている。人間の精神の尊厳を冒瀆するかのような動物的行動は、のぞき見られたくない醜い部分とされているのですね。

 したがってこれらはみな、強力な汚染性を持っているとされています。これらはすべて儀礼的清浄の秩序から見れば深刻な脅威であり、近づいてはならないものである。

 →清浄とは「制御・秩序・安定」であり、不浄とは「不制御・混沌・動揺」なのかもしれない。とりわけ、上記の不浄は制御不能なものばかりである。コントロールできないものに対する恐れが、穢の根源にあるのかもしれない。

 

 それで『マヌ法典』には、月経や性交渉についてのタブーが事細かく出てるんですね(笑い)。ところで、カースト制の根源にはヒンズーの宇宙観があり、ヴァルナの枠付があるが、そこにさらにいまの浄穢観というものが絡んでくる。これがいちばん生臭いんですよね。

 〈浄・穢〉を基軸とした差別の体系として、インドのカースト制社会をまず捉えねばならない。差別による分類の体系は、もともと伝統的社会の編成原理の基本的モデルです。身分制というのは、人間社会の価値序列を、差別によって定めた分類体系です。中国の律令制も、ヨーロッパでもアフリカでも、伝統的社会はみなそうした身分制を社会秩序の編成原理にしている。その中でもインドのヒンズー教の教義は、差別による分類体系を宗教的信念として確立したという点で、もっとも典型的だと思う。

 特にそれが、〈浄・穢〉という観念を中心に据えているところに大きな問題を孕んでいます。多くの文化人類学者が指摘しているように、この分類の体系は、レヴィ・ストロースの言葉を借りるならば、「非連続性と差異性に支えられた二項対立の体系」(『野生の思考』)としてまず形成されます。たとえば、天と地、昼と夜、明と暗、男と女、高と低、上と下、陰と陽、右と左といった二項対立から始まって、次第に複雑な体型に展開していく。

 〈貴と賤〉にしても、〈尊と卑〉〈浄と穢〉にしても、そういう二項対立的な考え方の延長線に出てきたものですね。だから、人間が原初的な認識の体系を持ち始めた段階から、いち早くそういう思考が現れてきたと言える。

 インドのベナレスでは、ガンジス川の左岸には家が建っていない。荒野そのまま。左が穢だから…。ところが右岸はガート(沐浴場)がずらーっと並んでいる。

 →「きれい」「きたない」といった感覚は、原初的な認識の体系だが、それを政治権力が「政治の問題」にした。〈浄と不浄〉を政治問題にして、人々の行動を規制し、人々を統制した。〈浄と不浄〉は政治の、統制の道具だということ。

 

P79

 穢というものは、もともと定められた「秩序」を犯して、その結果、みなを不安定な危機に追い込むことという観念が基礎にあるわけですね。

 既成の体制としての秩序を乱したもの、制度としての文化を破壊する猥雑なもの、あるいは撹乱する可能性のある危険なもの、それらが穢とされた。

 誰が、何を、穢として認定するかという問題は、よく考えてみると、いつの時代でも権力者の権限に属している。

 見た目に「汚い」とか、「生理的に嫌悪感を催す」とかいうのは、人間のプリミティヴな感情としてかなり一般的にあると思うんですが、それと宗教的に烙印を押されて「穢れ」感覚とは違う。もちろん、権力者はその両方を結びつけようとするが……。

 もともと穢とは、そういう形で制定された〈聖なるもの〉に対する侵犯を意味するんですね。秩序づけというのは、そのような〈聖なるもの〉をめぐる権力・反権力の関係概念ですから。

 そういう点では、穢というものは、〈聖なるもの〉を握った権力者が、自己の神聖さを確保するためにもたえず作り出して行かなきゃならない。「こいつは穢れているのだ」と言い続けて、そこに衆目を集め、それを秩序を犯し体制に危険を持ち込むものとして徹底的に差別してゆかねば、聖なる権威が浮かび上がってこない。日本でも、天皇制という〈聖なるもの〉が存在するために、その対極にたえず賤民制を存続せしめなければならなかった。人間の原初的な認識モデルとしての二項対立は、ここでも生きているわけです。

 →「アイドルはうんこをしない」という言説と似ている。

 

 バラモンと不可触民、天皇制と賤民制─この両者はきわめて相関度の高い二項対立だな。

 そのように、支配的秩序ができ上がった後で、具体的に穢とされるものは何かというと、〈聖なるもの〉を中心とした支配体系・価値体系を根源的に脅かすものですね。

 それから、既成の秩序体系から見て異常なもの、はみ出しているものですね。たとえば、心身障害者は、インドでも、日本でも〝人外の人〟、つまり非人として差別されてきた。穢の保有者として、人間に非ざるはみ出し者として排除される。

 →中世の「悪党」も秩序からのはみ出し者だが、穢の保有者として差別されたわけではなかった。もっと明確に区分けできる基準がありそう。

 

 それから支配者の視点から見て、分類体系からはみ出したもの。たとえば、アーリア的価値基準からいけば、アーリア人でない山岳先住民族やドラヴィダ族は全部はみ出しているから、穢の方へ押しやられる。日本でも大和朝廷によって征服された先住部族は、「蝦夷」にしろ「国樔(くず)」にしろ「熊襲」にしろ「隼人」にしろ、みな動物の名前を付けられて天皇大権による分類体系の外に位置づけられています。

 「土蜘蛛」も同じ理由ですね。動物の名をつけて差別するというのは、中国の歴史のやり方を真似たんですね。

 ええ、征服者が聖なる権威を握って祭政一致の世界を築き上げ、政治的のみならず宗教的にも被征服者を穢として排除していく。彼らは、王化に服せず、伏(まつろ)わぬ〈化外の民〉として扱われる。たとえ王化に服しても、賤民とされる。インドでも、最初にシュードラとして隷属を強制されたのは色の黒い先住民族だった。古代日本でも、「蝦夷」は最後まで王化に伏しなかったので、捕らえられた後でも賤民として各地に配属された。これが伝統的社会における支配の仕方なんです。

 それは実に精密な分析ですね。先住の穴居民族だから「土蜘蛛」というわけで、穢らわしきものという烙印を押す。だから、穢というのを近代的合理主義でもって、生理的嫌悪感とだけ結びつけて考えていると大きな間違いをするわけですね。そこをきちっと抑えないと、歴史が薄っぺらなものになってしまう。

 

P84

 今度行ってみて改めて感じたのだが、単に思想史や文化史のレベルだけではなく、生活実態としても日本の部落差別と似ている……。

 そうですね。近世の被差別民衆の生活と仕事を見てみると、きわめて多くの類似点がありますね。

 ヒンズー社会では、差別体系を維持するために、さまざまの象徴的、実態的差別の社会化が行われてきた。たとえば、過去において不可触民は鈴をつけろと言われた。鈴が鳴れば近づいてくるのがわかるから、カーストの上の者は家に隠れて目に入れまいとする。居住区を村外れに置いてしまうとか、あるいは髪に印をつけろとか、痰を吐くと大地が汚れるから壺を持って歩けとか、いろんな強制をしてきた。これは日本の江戸時代の部落差別とよく似ている。江戸中期以降の御触書を見ても、ことさらに彼らの穢を強調して、一般民衆との交流をタブーとする布告が増えてくる……。

 

P85

 そうですね。律令制に基づく良賤制の場合は、後で見るように賤から良への身分的上昇が可能だった。ところが、カースト制の場合はこれをまったく認めない。内婚制による血統、家柄、身分の純粋性の持続を非常に強調し、社会の流動的変動を防ぎ、既成の支配体制を固定化する。そもそも身分制の狙いはみなここにある。

  (中略)

 ここで、カースト体系についてまとめておきましょう。

 第一に、ヒンズー社会の全体系の根底に〈浄・穢〉の観念がおかれ、これを実態化したものとしてのバラモン(清浄にして聖なるもの)と不可触民(穢れていて賤なるもの)を両極とする社会秩序が編成される。そして、それがカースト制度として固定化され、身分体系として実態化される。

 第二に、このヒンズー社会は、穢を排除し聖なるものの浄性をたえず維持していくことで保持される。したがって清浄な人間とその仕事は、不浄な人間とその仕事からはっきり隔離されねばならず、かくして、浄・不浄の観念が、カースト社会の分業関係の規定に置かれる。

 第三に、そのためには様々な浄法に基づいた浄化儀礼がたえず要求されるが、それを執行するのが、カースト最高位に位置するバラモンである。バラモンたちは〈目に見える神〉としてこの世のすべてを動かし一切の現象を司る機能を有し、宗教儀礼的世界からすべての俗人を締め出す。そして、ヴェーダ学習、五大供犠、沐浴、餐応、洗滌その他多くの戒律、タブーを民衆に課することによって、社会関係をがんじがらめに縛り上げている。

 それが『マヌ法典』に詳細に規定されていて、しかも近代に至るまでそれが生命力を持っていて、イギリスが近代的統治に乗り出したときもこれを大いに利用したというわけですね。

 

P88

 その(解放運動の)」リーダーに自分の住んでいるアウト・カーストの地区を案内してもらった。バナナなどの熱帯樹が繁った、いかにも南部らしい地区だったが、戦前の日本の被差別部落のように、六畳から八畳ぐらいの広さの、非常に屋根の低い家がずらっと並んでいる。そこへ6人から8人が住んでいる。窓もない。(中略)

 ただ、以前の日本と似ていると言っても、今なおインドでは、アウト・カーストの婦人が無理やりに引き連れられていって、強姦されることがあるまた、部落が焼き討ちされたリス。このマドラスでも、しばしばそういう差別事件が起きると言ってましたね。それをまとめたパンフレットももらってきた。考えてもいなかった差別ですね。(中略)

 訴えても全然取り上げないか、取り上げても罰金刑で済んでしまう。それどころか、逆に覚醒剤でやられている警官までが強姦する。どうにもならない状態がある。そんな状態をなんとか打ち破ろうと、運動体を作っていったという。今年で2年目になるそうだが、まだまだ微力なものだと言ってました。彼らに、「あなたの思想はキリスト教か」と聞いたら「違う」という。「マルクス主義か」と聞くと、「違う。マルクス主義を否定するわけじゃないけど、インド共産党は信用できん」と。

 (中略)

 不可触民制は、憲法の上ではなくなっているにもかかわらず、彼らに対する強姦、放火、暴行、なぶり殺しなどが連日のように起こっている。新聞にも出ているが、それは氷山の一角です。政府が発表している統計を見ても、年によっては1千件を超える。

 

P93

 それから、インド各地で見た猿回し。あれは非常に芸が上手だった。戦前に世よく路地裏にやってきた日本の猿回しとまったく同じですね。

 よく調べたら、インドに生まれて中国を回って日本へ入ってきたのかもしれない。

 脚芸の軽業も見ましたが、あれは日本中世でいう放下(砲火)ですね。絵図で見る放下とそっくりでした。放下も、インドから中国を回って日本へ入ってきた芸能ですね。

 

P94

 ガンジー自身は不可触民の子どもを養女にしたり、恩恵的政策では最大限のことをした。しかし、賤民出身のアンベドカルがその融和主義的改革に反対してカースト制度そのものの解体を要求すると、ガンジーはインズーイズムを守るために断食までして抵抗している。

 つまり、アンベドカルがカンジーに向かって「あなたがカースト制を支持すると言い続け、我々をいつまでも惨めな状態に置いておくのなら、我々差別されているアウト・カースト先住民族は、カースト・ヒンズーから分離し独立する」と言ったとき、かつてイギリス帝国に向けられた、あの栄光に満ち満ちた非暴力の武器は、逆にアンベドカルを叩き潰すための武器になり変わった。ガンジーの栄光の裏にこういう悲惨があったということは、やっぱりちゃんと出しておかないといけませんね。

  (中略)

 アンベドカルに対してガンジーは、「不可触民の分離独立は許さない。改革は私がやる」と言った。彼は、自分がヒンズーイズムの枠内でヒンズー教の宗教革命をやれば、カースト差別の問題は解決すると信じ込んでいたに違いない。それにいまインドが分裂したら、せっかくの大インドがバラバラの小インドになってしまう、という思いもあった……。

 

P106

 そうですね。仏教は、我執、つまり、おのれの利害や欲望に執着することを認めていない。西欧的近代の自我観とは異なった観点をもっている。

 その点、ヒンズー教アートマンは絶対的自我で、ヨーロッパ的自我にかなり近い。ブッダの場合はアジア的というか、〝他〟あっての〝おのれ〟という考え方ですね。そうすると、論理的に言っても、他者とともにでなければ自分も救われない。他の衆生とともにあって、はじめておのれも救われる(利他による自利の完成、自と他の弁証法的連関)。おのれの生き様は他人の生き様と無縁なところで展開されるのではない、そういう意味で、他者との社会的諸連関を自分の主体の存在にまで含み込んだ全体性の論理です。実体的な自我を前提としてその自由を中心にものを考える、西欧の近代ヒューマニズムを超えた深いところがある。

 →哲学でよく言われる、「自我は関係性にすぎない」という定義や、平野啓一郎の言う「分人主義」と同じことか。2000年以上も前に、釈迦は、仏教はこうした点に気づいていたことに頭が下がる。

 

P134

 道家は、老子荘子を代表とする諸子百家の一潮流ですね。

 官の側には取り入れられなかったが、在野思想としては重要な系列だ。老子は、現実逃避主義であり、地方の自給自足の農村共同体を理想とした隠遁の哲学と言われています。しかし、それを消極的で無為の政治哲学と見るのは一面的で誤りだと思う。もっと積極的に評価されねばならぬものをもっている。例の「小国寡民」説にしても…。

 少数の人民が住んでいる小国を理想郷と考える説ですね。優れた人材がいても腕を振るう余地がなく、交通機関もいらないし、武器があっても使い道がない。文字を書いたり読んだりすることも必要ない。そういう一種の桃源郷ですね。原始的共同体といってもいい。ところで野間さんは、前々から老子の思想を高く評価されていましたね。

 老子の生まれたのは、紀元前4世紀の戦国時代のころです。そのころに、あのように激しい文明批判の視点を持ちえたということ。しかも「自然に帰れ」という立場から、人類文明が生み出したいろんな毒素を取り去って、〝自然の大道〟に即した人間生活を主張した。彼は自然を生起と変化において捉え、自然の運動とその法則こそ、宇宙間の事物の動きの背後に潜む時空を超越した本体であると考えた。そしてそれを、〈道〉と呼んだわけですね。老子は、すべての生命や物質は、等しく〈道〉の所産として捉えた。人間もそうです。その意味では、《自然・内・存在》としての人間─そういう人間観をもっていたと言えます。

 老子の説く有と無の弁証法も興味深いものですね。常識的な無ではなく無限の無…。

 道は無限である、無は無限の創造力をもつという表現で、老子は、あらゆるものが自然の理に究極的には支配されていることを説いた。道家思想の根底にあるのは、一口で言えば、自然の摂理を天の道と考えて、それを信頼してそれに依拠するという思想ですね。

 無意と人為との比較も、そこから出てくるのですね。老子は、孔子の説いた仁義や道徳を、それは人為であるとして否定した。「大道廃れて仁義あり」、つまり、自然の大道がこの世で行なわれなくなったから、やむなく神器が人為的な手段として作り出されたのだという。老子の説く無為の政治は、何もしないということではなくて、自然の大道、自然の摂理に即した生き方を意味する。

 そのような自然の大道と一体化したとき、人間は、はじめて自由を回復するという。一国の政治も、作物の自然を全うさせる農夫を手本にせよといっていますね。自然の大道が何であるかを一番よく知っているのは、知ったかぶりの為政者や道徳家ではなくて、自然とともに生きかつ死んでゆく農夫である…。

 戦争に対してもはっきり反対ですね。

 「武器は不吉な道具だ」「戦に勝っても名誉とは考えない。それを名誉と考えるものは、生まれついての人殺しである」と断言しています。

 それから、律令制についてですが、次の発言に見られるように、法的に人民を規制して社会を統制してゆくという考え方に反対している。その点では法家の対局にある思想です。(中略)

〔そもそも、禁令が増えれば増えるほど、人民は貧しくなり、人民の知恵が増せば増すほど、社会は乱れているではないか。技術が進めば進むほど、不幸な事件が発生し、法令が整えば整うほど、犯罪者は増加しているではないか。

 聖人はこういっている。「私が無為であれば、人民は自ずと生きる。私が動かずにいれば、人民は自ずと正しくなく。私が手を下さなければ、人民は自ずと豊かになる。私が無欲であれば、人民は自ずと本性に返る。〕(訳 奥平卓・大村益夫)

 身分制についても、「貴は賤をもって本となし、高は下をもって基となす」といっていますね。賤を本にしてはじめて貴が成り立つのである…。

 そういう発言をとってみても、老子の思想を始源とする潮流は、中国思想史のなかでも大きい意味を持っている。

 

P137

 そうですね。さきに孔子をはじめ、諸子百家の貴賤観をざっとみたわけですが、〝穢れ〟とか〝不浄〟とかいう言葉はあまり使われていない。いちばんよく使われているのは〈富貴貧賤〉ですね。孔子にしてもその高弟の中には賤民出身者がいたし、多くの弟子を引き連れて遊行した墨子にしても身分の卑しい出身だった。老子にしても、〈賤〉の立場が本体であると言い切っています。そういうところから見ても、賤民層を〝人外の人〟としてインドのカースト制のように徹底的に差別する思想は、中国の風土からは生まれなかったと見てよいのではないか。

 

P146

 インドのカースト制と違って、中国の良賤制では〈貴・賤〉観念が主軸になっている。これとは対照的に、インドでは〈浄・穢〉という観念が表に出ていましたね。

 ええ。インドの浄・不浄に対して、中国は貴と賤の関係が根底にあった。今まではそこらへんが曖昧なまま放置されていた。思想史的、文化史的にね。

 この〈貴・賤〉観念が律令制の身分秩序の基礎にあったわけですが、いずれの文字も「貝」が関係しています。中国では周の時代の中ごろまで貝が貨幣の役割をしていて、「戔」は小、「虫」は大を表していました。つまり、小さい貝と大きい貝。だから〈貴〉は価値が非常に高く、〈賤〉は価値が低いという意味なんですね。すなわち、身分は人間としての価値の代償を表す。これは〈尊〉と〈卑〉ともいう。だから、中国ではよく、尊卑貴賤という言い方がされる。

 その点、インドは、再生族は上から三つの身分で、一生族のシュードラが四番目で、ここまでが、いちおう人間とみなされていた。ところが、五番目の不可触民は、体系外へはじき出され、〝身分外の身分〟だった。つまり〝人外の人〟だった。

 それが、中国では、〈賤〉は体系の中の最底辺に位置しているが、体型が今では外されていない。これは非常な違いでしょう。

 そうですね。ただ賤の中でも、最低のところに置かれた奴婢は、物として商品と同じく売買され、法的保護の埒外に置かれていた。つまり、私奴婢の場合なんかは主人の私有物とみなされていたわけですね。そういう奴婢が人間とみなされて人権を持つものとして扱われたのかどうか、問題になるところですが…。

 ただ、どんな奴婢でも、触ったらいけない不浄な者とはみなされていなかった。

 そうです。触ったらいかんどころか、主人が奴婢と性的関係をもって子どもを産ませている例がたくさんある。その場合、その子をどういう扱いにするか、いろんなケースが法的に書かれています。また、国家に対する反逆を企てている主人を奴婢は告発できると規定した場合もあります。

 ということは、奴婢であるということ自体は物品と同じものとみなされていたとしても、彼らの潜在的な人格というものは認めていたことになる…。

 そう思いますね。主人の恩赦によって奴婢身分から解放されると、直ちに良民になり得るのだから。根源的な人格権も否認された単なるモノならば、永久に良民になり得ないわけですね。だから奴婢という身分そのものが、その人間を一時的に物たらしめているのであって、その身分から外れた場合は人権を回復する…。

 そこらあたりも、カースト制とまったく違うところですね。不可触民の場合は、どう転んでもその身分から解放されることがない。

 不可触民は生得的に不浄な存在で、どんな浄法で清めてもどうしてもバラモンがとり仕切る〈聖〉の世界に入り得ないとされていたんですね。

 

P148

 〈貴〉の頂点に立つ皇帝は、天命を受けた有徳者として人民を統治する。したがって、身分的秩序の最高位にある。つまり、天命を受けたものとして、天と人とが連なっている接点に位置していた。しかし、孔子を始祖とする儒家は、宇宙の最高神としての上帝という形而上学を次第に抜け出て、皇帝の人格的な徳を強調した。これが〈仁〉。

 皇帝は天命を受けて仁義を世に行なう、そして王道の内容は、務農と興学であり、教学の中心に礼と楽をおいた。これが孔子の学説ですね。

 

P149

 為政者は、善政というか、ほんとに有徳の政治を布かなければ人民に批判されて滅びてしまう。「もし不仁の者が君位にいると、その悪徳を大衆にまき散らす」と孟子は言っていますね。つまり、人民に背いたら、たちまち没落する。そんな王朝はひっくり返してしまえ─これが孟子易姓革命説…。

 

P150

 いろんなものを中国から学び取りながら、君主の呼び名は中国の皇帝を採用せず、天皇とした。日本の古代国家を支配した勢力は、なぜ天皇としたのか。

 唐の時代の皇帝は、絶大な政治権力は所有をしていたが、もはや天命を受けた聖なる君主という、宗教的な神格性は所有していなかった。ところが日本の天皇は、〈聖なるもの〉としての宗教的権威を持っているのに、太政官制度に見られるように、独自の政治権限という点では絶対的な権力は与えられていない。その点では、中国とは反対になっている。(中略)

 その点、二本はまだ法家思想をどうのこうのという段階ではなかった。天皇を神聖なものとしてタテマツリ、君主は天と直接繋がって、天命を受けたということにしておいた方が人民に君臨しやすいし、それに万世一系というところにもってゆくのに都合がよかった。宗教的権威の聖性・統治権の絶対性・身分と地位の永続性─子の三位一体を保持してゆくためには、万世一系というのはきわめて有効なタテマエだ。

 しかもその万世一系ということ自体がひとつのフィクション。江上波夫氏によれば、万世一系という「血統による君主位継承制」は、北方騎馬民族国家の特徴であってそれが日本に伝来したという…。

 だから、天皇制にとっては、『孟子』は、革命を説く危険な書であった。

 

P152

 元を倒したのは、漢民族の上流階級や将軍ではなく、政治の腐敗に基づく社会不安と生活苦の中から立ち上がった下層の農民たちですね。いわゆる「紅巾賊」と呼ばれた一揆的な革命運動。これにやられた。

 その紅巾軍を支えた思想が〝白蓮教〟。これはもともとは念仏三昧を唱えて阿弥陀仏の浄土への往生を根月教団であったが、弥勒信仰や明教(マニ教)などの信仰も加えて、一種の土俗的な仏教運動として展開された。下層の苦しんでいる農民がどんどんこの運動に入って、権力と戦う秘密結社的な組織として大きくなっていった。政府から見れば、得体の知れぬ妖俗であったわけで、これが革命の母体となった。

 厳密にいえば教義は違うけれど、念仏から出発したあたりや、下層の民衆を組織基盤とした点から言えば、日本の一向一揆とかなり似ているところがあるように思われる。農民だけではなく、いろんな無頼の徒や人夫や職人層なども参加したと言われていますね。

 そういう反乱の中から出てきたのが朱元璋。彼は非常に貧しい小作(佃農・でんのう)の出身で、旱魃と伝染病のために父母を失い一家離散し、自分も乞食僧となって諸国を流浪していた。そういう仮装身分の出身者が元朝を倒して

明朝をたて、その初代皇帝となった…。

 これこそまさしく易姓革命

 日本でも豊臣秀吉は賤民荘に近いところから出てきて天下をとったわけだが、自分は皇帝にならなかった。むしろ天皇の権威を積極的に利用した。

 そういうところが違うところです。朱元璋にとっては、皇帝の権限は、もはや俗のレベルのもので聖のレベルのものではなかった。だから皇帝になれたし、なった。なった途端に行政権も軍事権も直接統括とし、隋・唐の律令にもみられない、皇帝の絶対的な独裁権を樹立した。

 ところが、秀吉の場合は、とても天皇の聖性を侵犯できないという観念が、前々から頭の中にあったのではないか。だから天皇の聖性をできるだけ利用して、自分は俗界のトップにいることで満足した。

 そこらへんが万世一系という擬制のもっている威力…。

 擬勢としての聖なる宗教的権威を歴代の君主が連綿と保持してゆくためには、万世一系という犠牲に基づく世襲制度はどうしても必要ですからね。

 擬制に基づく擬勢であったという点では、万世一系天皇制はまさに一大フィクションであった。

 →法的・行政的なシステムよりも、万世一系のような観念の方がやんわりと人を束縛するから長続きするのか。

 →中国も日本も、下克上で天下をとる下層民が現れるのが中世の特徴か。

 

P158

 一口に言えば、賤民は主権を奪われていたという点では国家秩序の正式の構成員とは認められず、その外側から国家を支える補完物に過ぎなかったと言えます。したがって、法規制も、秩序の構成員である良民を主たる対象としたものであって、賤民に関する条項は、良民と関わる場合にだけ現れてくると言えますね。

 まとめて言えば、賤民は、農業に従事する良民以外の、農業より価値低しとされていた仕事に従事する者であったという側面と、国家の定める秩序に対する反逆者として罪人にされたというもう一つの側面がある。後者は、君臣の大義に反した者、家父長制秩序を犯した者、人倫の大義に反したものというように分けられる。

 

P312

 これまでの部落問題は、貧困悲惨論、封建的スラム論、日本残酷物語の一コマの中に押し込まれてきた。もちろん、それぞれが部落問題の一つの側面をついていることはたしかである。だが、そのレベルにだけ絞って語られると、重要なものがすっぽり抜け落ちてしまうのである。

 日本史の中で、賤民と呼ばれてきた被差別民衆の果たしてきた生産的・創造的な役割についての正しい認識が普遍化してくるときこそ、むしろ真の解放への第一歩が始まったと言えるのではなかろうか。

 被差別民衆の歩んできた長い苦闘の歴史を踏まえ、それを基底において、そこから日本の歴史と社会を逆転的に捉え返すこと─そのような新しい視座を持たないで、差別から解放を一般的に唱えても、結局は上からの同情・融和・救済の運動に終始する他はない。民衆の生活と歴史、とくにその核にあった被差別民衆の歴史を原点として、これまでの歴史や文化を見直すこと、それによって身分制のバックボーンとなっていた《貴・賤》《浄・穢》《尊・卑》の観念を根底から破砕していくこと─それを目指さねばならないのだ。

 人間の歴史や文化は、名もなき多くの民衆の手によって作られてきたという事実を明らかにしていくこと、自分たちの祖先が賤民であったことを堂々と胸を張って誇りをもって言える時代が来ること─そのような新しい時代をすべての民衆の手によって実現していく過程こそ、真の意味での解放への思想的基点となるのだ。

 賤民史の構想についての思想的な糸口は、すでに「水平社宣言」の段階で次のようにはっきりと語られている。

 「吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であったのだ…。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。我々がエタであることを誇りうる時が来たのだ…。」

 

 →真の平等を目指すなら、差別をなくすなら、人間に対する「貴・浄・尊」という見方をなくさなければならないということになる。「貴・浄・尊」といった身分の人間が存在しなくなれば、「賤・穢・卑」といった身分の人間も存在しなくなる。できるか?こうした慣習や見方に囚われていることを自覚していない、または自分がそういう状態にあることを客観視できてない人間が、いまだにヘイトスピーチなどを平気でやる人間の正体ではないか。人文系知識は教養と呼ばれ、実学に比べると価値の低い虚学と言われることが多いが、やはり、こういう勉強をしない人間はダメだということがよくわかる。