周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史3─5 〜僧侶の昇進と自殺未遂〜

  応永十七年(一四一〇)十一月十七日条『大乗院日記目録』一

                    (『大乗院寺社雑事記』十二、角川書店

 

 十七年

   (中略)

   十一月十七日、寺務良兼法印被切腹、極官事無勅許故云々、

 

 「書き下し文」

   十一月十七日、寺務良兼法印切腹せらる、極官の事勅許無き故と云々、

 

 「解釈」

   十一月十七日、興福寺別当の良兼法印が切腹なさった。極官の勅許がなかったからだという。

 

 「注釈」

「良兼」

 ─ 1385─1414 室町時代の僧。至徳2=元中2年生まれ。近衛兼嗣(かねつぐ)の子。法相(ほっそう)宗。良昭にまなび,奈良興福寺一乗院の住職となり,応永14年維摩会(ゆいまえ)の講師(こうじ)をつとめる。15年興福寺別当。17年切腹事件をおこすが,一命をとりとめた。僧正。応永21年9月23日死去。30歳(『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、https://kotobank.jp/word/良兼-1120884)。

 

*極官である僧正の勅許を得られなかったため、良兼は切腹したのだと考えられます。望みどおりに昇進できなかったことは、良兼にとって切腹するほどの挫折だったようですが、関連史料が見つからないので、これ以上の推測は止めておきます。