周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

自殺の中世史3─7 〜井戸への身投げ〜

  応永十九年(一四一二)四月四日条        (『山科家礼記』1─13)

 

 四日、天陰、刑部次郎カ妻東洞院ノ井ニ入水ス、希代事也、

 

 「書き下し文」

 四日、天晴る、刑部次郎が妻東洞院の井に入水す、希代の事なり、

 

 「解釈」

 四日、晴れ。山科家の中間、刑部次郎の妻が東洞院の井戸で入水自殺した。あやしむべきことである。

 

 「注釈」

「刑部次郎」

 ─刑部二郎。山科家の中間(田端泰子「室町期の荘園領主と農民 ─山科家領を中心として─」『橘女子大学研究紀要』4、1976・10、77頁、https://tachibana.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=186&item_no=1&page_id=13&block_id=21)。

 

*『山科家礼記』(『日本史文献解題辞典』吉川弘文館、2000年)

 山科家家司の日記。略して『山礼記』(さんらいき)ともいう。記者の一人大沢久守の名をとって『久守記』と称することもある。現在、応永十九年(1412)、長禄元年(1457)寛正四年(1463)・六年、応永二年(1468)、文明二年(1470)─四・九・十二・十三・十八年、長享二年(1488)、延徳元年(1489)・三年、明応元年(1492)の十六カ年分がある。記者は応永十九年記は不詳、応永二年・文明二・三年記は大沢重胤(兵衛尉)、その他は大沢久守(長門守)である。内容は応仁・文明の乱中・乱後の山科家を中心とした公家の生活と、洛外山科郷に同家領があったので、山科七郷を主とした惣村の階層・合議制など惣村の記述が豊富である。土一揆の記載も多く、特に文明十二年九月の徳政一揆は惣村とのかかわりもあって注目される。幕府や幕府要人の動静にも興味ある記事がある。江戸時代、柳原紀光が山科家からかりて抄出し、『山礼記』の名を付し、原本は返却する際、各冊に表紙を加えて「文明二年雑記」のように外題を書いたので、後世に同時期の『言国卿記』の付属として『言国卿記雑記』と称されたこともある。原本は十五冊一巻あり、全て紙背文書を有し、文明十八年記を除いて宮内庁書陵部の所蔵で、文明十八年記は国立歴史民俗博物館所蔵(田中穣市旧蔵典籍古文書)である。『史料纂集』に収めて翻刻されている。

 

 

*今回の史料は、山科家の中間刑部次郎の妻が、井戸に飛び込んで自殺したという、とても簡素な記事です。それだけに、いろいろと疑問も浮かんできます。とりわけ問題となるのが、「希代事也」の解釈です。①「世にもまれなこと。非常に珍しいこと。希世」、②「あやしむべきこと。不思議。奇怪。けたい。けたい」(『日本国語大辞典』)の、どちらで解釈するのが適切なのでしょうか。

 かりに①で解釈すれば、「井戸に身投げをして自殺するのは、珍しいことだ」となり、⒜「井戸という場所が珍しい」という記主の思いを読み取らなければなりません。自殺自体は珍しい行為でもないので、このように理解するべきでしょう。一方、②で解釈すれば、「井戸に身投げをして自殺するのは、あやしむべきことだ」となります。このように解釈すると、以下の2つの思いを読み取ることができそうです。1つ目は、⒝「なぜ自殺場所に井戸を選んだのか不審だ」というもので、2つ目は、⒞「井戸に身を投げるのは不審なので、他殺ではないか」というものです。⒜・⒝の解釈は井戸という場所自体の珍しさ・不自然さを問題とするもので、⒞は自殺か他殺かを問題にしていることになるのですが、いったいどちらの解釈が妥当なのでしょうか。

 この疑問はいったん棚上げにしておきますが、もう一つ問題にしなければならないのは、なぜ井戸で自殺したのか、あるいは井戸を殺害場所にしたのか、という点です。そもそも、現場である「東洞院ノ井」とはどのような場所だったのでしょうか。中世の井戸の利用法についてはよくわかりませんが、「東洞院」という地名を冠した井戸である以上、個人所有の井戸ではなく、共同利用の井戸だったと考えられます。不特定多数の人々が毎日利用する井戸の中から死体が見つかれば、すぐに大騒ぎになり噂は一挙に広がるはずです。突発的な殺意によって井戸に突き落としたとも考えられますが、それにしても見つかりやすい場所に死体を放置するのは、賢明な判断とは言えません。したがって、他殺の可能性は低いと考えられます。

 以上、回り道をしながら推測を重ねてきましたが、ひとまず刑部次郎の妻の入水は、「自殺」であったと判断できそうです。では、なぜ彼女は井戸で自殺を遂行したのでしょうか。人目につきやすい公共の井戸で自殺していることからすると、彼女には「見つけてほしい」、あるいは「自殺行為を周知させたい」という意図があったと考えられます。こっそり死ぬつもりなら、人里離れた場所を選ぶはずです。刑部二郎の妻にどのような自殺の動機(原因・目的)があったのか気になるところではありますが、これ以上追究することはできません。

 ちなみに、入水自殺についてはこれまでもいくつか事例を紹介してきたのですが、その場所は川や海でした。管見のかぎりですが、この史料が井戸に身を投げて自殺した最古の事例になります。