周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

楽音寺文書58

    五八 比丘尼浄蓮自筆寄進添状    ◯東大影写本ニヨル

 

           (浄蓮)

            (花押)

 (楽音寺)    (田)  (畠)    (寄進)   (意趣) (塔)  (造営)

 かくをんしへ、このたと、はたけとを、よせまいらす、いしうハたうの御さうゑい

            (塔)               (浄地坊) (計)

 の御ためなり、たゝしたうの御さうゑい、をハりてのちハ、上ちハうのはからひ

           (持斎) (僧)  (置)      (故入道)   (今後)

 として、かたの事も、ちさいのそうを、おきまいらせて、こにうたう殿、こんこ

 (尼浄蓮)    (菩提)  (懈怠)  (弔)        (浄地坊) (期)

 あましやうれんかほたいを、けたいなくとふらハれ候へき物也、上ちハう一こ

      (法泉房)

 のゝちハ、ほうせんハうにゆつられ候へし、おほか井の上人いんこくに、ほうせん

               (田畠)      (散)     (僧職)

 をまいらせたきゆへなり、このたはたけハ、つゆもちらさす候て、そうしきに

         (浄地房)            (計)

 せられ候へく候、上ちはう、ともかくもよきやうに、はからいてあるへく候、

        (自)     (浄地坊)

 のちのために、ミつからかきて上ちハうに、たてまつるところなり、

      (應) (1291)

     正をう四年〈かの」とのう〉二月十九日

                      比丘尼浄蓮)

                      ひくにしやうれん

     (院主)(楽音寺)  (浄地坊)

     いんすかくをんしの上ちハうへ

        ◯本文書紙継目裏ニ浄蓮花押アリ

 

 

 「漢字仮名まじりの書き下し文」

 楽音寺へ、此の田と、畠とを、寄せ進らす、意趣は塔の御造営の御為なり、但し塔の御造営、畢はりて後は、浄地房の計らひとして、かたの事も、持斎の僧を置き進らせて、故入道殿、今後尼浄蓮が菩提を懈怠無く弔らはれ候ふべき物なり、浄地房一期の後は、法泉房に譲られ候ふべし、おほかいの上人いんこくに、法泉を進らせたき故なり、此の田畠は、つゆも散らさず候ひて、僧職にせられ候ふべく候ふ、浄地房、兎も角もよき様に、計らいてあるべく候ふ、後の為に、自ら書きて浄地房に、奉る所なり、

 

 「解釈」

 楽音寺へ、この田と畠とを寄進する。その理由は三重塔のご造営のためである。ただし、塔のご造営が終わった後は、浄地房舜海(あなた様)の計らいとして、法要における声明のことも含めて、戒律を守っている僧侶を定め置き申し上げて、故入道殿(父小早川茂平)と尼浄蓮(私)の今後の菩提とを、怠ることなくお弔いにならなければならないものであります。浄地房(あなた様)が亡くなった後は、法泉房賢海にお譲りになるのがよいです。「おほかいの上人いんこくに」、法泉房を差し出したいからである。この田畠はまったく散在させてはならず、僧の得分になさるのがよいです。浄地房(あなた様)は、あれやこれやと良きように取り計らうべきです。将来のために、私自らが書いて、浄地房(あなた様)に差し上げるところである。

 

 「注釈」

「かた」

 ─伽陀のことか。広義には韻文体の歌謡、漢文の詩句、偈文など、狭義には十二部経の一つで、経文の一段、または全体の終わりにある韻文体の詩句をいう(『日本国語大辞典』)。また、「伽陀」(『新纂浄土宗大辞典』、http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/伽陀)も参照。

 

「おほかいの上人いんこく」─人名か。未詳。