五九 安芸国沼田庄楽音寺縁起絵巻写 その4
*送り仮名・返り点は、『県史』に記載されているものをそのまま記しています。ただし、大部分の旧字・異体字は常用漢字で記載しました。本文が長いので、6つのパーツに分けて紹介していきます。
この縁起の研究には、『安芸国楽音寺 ─楽音寺縁起絵巻と楽音寺文書の全貌─』 (広島県立歴史博物館、1996)、下向井龍彦「『楽音寺縁起』と藤原純友の乱」(『芸備地方史研究』206、1997・3、https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00029844)があります。
ニ シ テ ヲ ク メン ヲ カ ニ ケ ノ
遂入洛経二奏問一言、令レ誅二純友一勢不レ及二倫実力一被レ仰二付余
ニ ント ノ ヲ ノタマハク ナル ナル シテ
虎賁一令レ誅二彼朝敵一云々、天気 云 純友何躰気力哉、倫実奏
ク シ ノ ノタマハク クナラハ ノ ヲ シト
云非二人倫一如二鬼神一、天気 云 如二 鬼神一以二仏力一可レ闘云々、
ノ ニ ス ヲ ル ニ ニ ス ノ ト
于玆倫実弥髪中像致二信心一、依レ勅故当寺号二一院御願所一、
(絵4)
「書き下し文」
遂に入洛し奏聞を経て言く、純友を誅せしめん勢倫実が力に及ばず余の虎賁に仰せ付け彼の朝敵を誅せしめんと云々、天気云く純友何の躰なる気力なるや、倫実奏して云く人倫に非ず鬼神のごとし、天気云く鬼神のごとくんば仏力を以て闘ふべしと云々、茲に倫実いよいよ髪中の像に信心を致す、勅による故に当寺一院の御願所と号す、
「解釈」
藤原倫実はとうとう京に入り帝に申し上げていうには、「誅伐しようとした藤原純友の勢力に倫実(私)の力は及びませんでした。残る勇猛な軍勢にご命令になり、あの朝敵(純友)を誅伐させてください」という。朱雀帝がおっしゃるには、「純友はどのような気力であろうか」。倫実が申し上げていうには、「人間ではなく、鬼神のようです」。帝がおっしゃるには、「鬼神のようであるならば、御仏の超人的な力を用いて戦うのがよい」という。そこで倫実はますます髪の中に籠めた薬師如来像を信仰した。勅命によって建立されたから、当寺を一院の御願所と名乗っている。
「注釈」
「令誅純友勢不及倫実力」
─この部分を返り点・送り仮名のとおりに解釈すると意味が通じないので、上のように意訳しました。おそらく、「誅せしめんとする純友の勢ひに倫実が力及ばず」と書き下すほうがよいのかもしれません。