五 小早川仲好安堵料足免状
(継) (堵)
安芸国沼田庄梨子羽郷南方内蟇沼寺院主職繾目安緒料足事
右、於二彼安堵料足一者、自二往古一雖レ令レ致二其沙汰一、依レ有二各別宿願一、
自二仲好代始一而至二子々孫々一、所レ令三停二止之一者也、不レ可レ有二異変之
儀一、然者守二彼置文之旨一、可レ致二其沙汰一状如レ件、
(1393)
明徳四年五月 日 平仲好(花押)
「書き下し文」
安芸国沼田庄梨子羽郷南方内蟇沼寺院主職継目安堵料足の事
右、彼の安堵料足に於いては、往古より其の沙汰を致さしむと雖も、各別の宿願有るにより、仲好の代始より子々孫々に至り、之を停止せしむる所の者なり、異変の儀有るべからず、然れば彼の置文の旨を守り、其の沙汰を致すべきの状件のごとし、
「解釈」
安芸国沼田庄梨子羽郷南方のうち、蟇沼寺院主職の継目安堵料のこと。
右、この安堵料に関しては、大昔から支払わせていたが、特別な宿願があることから、私仲好の代始から子々孫々に至るまで、安堵料の徴収を停止するものである。この取り決めを破ることがあってはならない。したがって、この置文の内容を守り、安堵料の徴収を停止するべきである。
「注釈」
「継目安堵」
─①将軍・大名の代替わりに、その家臣や寺社の所領・所職を安堵すること。②例えば、農民がその所職(名主職)を相続するとき、荘園領主がこれを安堵すること(『古文書古記録語辞典』)。この史料の場合、蟇沼寺院主職を相続する者は、認定者である小早川家に安堵料を支払うことになっていたようですが、小早川仲好の代始徳政によって、以後永久にそれを免除したということになります。