九 茂義打渡状
正月十三日御礼二月十二日到来、委細承候了、
抑梨子羽郷内乃力名公方御年貢等、御二寄進蟇沼寺一之由、先以目出存候、如二
此事一仏陀御寄進之上、公私御祈祷候之間、急速打渡候了、其子細定被二注進一候
欤、恐々謹言、
二月十七日 少尉茂義(花押)
謹上 西野田殿
「書き下し文」
正月十三日の御礼、二月十二日に到来す、委細承り候ひ了んぬ、
抑も梨子羽郷内乃力名公方御年貢等、蟇沼寺に御寄進するの由、先ず以て目出存じ候ふ、此の事のごとく仏陀に御寄進するの上、公私御祈祷し候ふの間、急速に打ち渡し候ひ了んぬ、其の子細定めて注進せられ候ふか、恐々謹言、
「解釈」
正月十三日のお礼が、二月十二日に到来しました。委細承知しました。
さて、梨子羽郷内乃力名の公方年貢などを、あなた様(西野田殿)が蟇沼寺に寄進しなさったことは、まずもってすばらしいことと存じ上げます。この件のように、あなた様は御仏に寄進しなさったうえに、公私にわたりご祈祷になっておりますので、急いで公方年貢等の収取権を、蟇沼寺に引き渡しました。その詳細は、きっとあなた様に報告されるでしょう。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
*「打渡状」とは、「下地(土地)を権利者に引き渡すときに与える文書」(『古文書古記録語辞典』)です。この定義に従うと、文書の充所は新しい権利者である蟇沼寺にならなければなりません。しかし、充所が寄進者(旧権利者)である「西野田殿」になっているので、この文書は引き渡しが完了したという情報を伝えた「書状」であって、「打渡状」ではないと考えられます。