十一 金剛仏子尊範外五名連署置文并座主増恵証判
(前闕)
「 (座主増恵ノ裏花押アリ)
一如法経間事
自二河原観如方一買得田地三段号行本、為二尊範後生菩提一所レ令二寄進一也、経衆
与同心奉二寄合一、遂二検注納所一当如法経中時料仁可レ被レ用レ之、此外同観如
寄進田地又三段在レ之、同致二沙汰一可レ被レ用二時料一也矣、
一正教事
可レ為レ要正教者為レ所レ可レ令三安二置于経蔵一、其外私尊範聞書等、可レ入二
火中一也矣、
一笙笛事
為二当山重宝一之間、不レ可レ出二于他所一之上者、随二于其器量一出二借書一者、
可レ被三預二置之一歟矣、
-------------------------------------------(紙継目裏ニ座主増恵ノ花押アリ)-----
一尊範死荒間事
(マヽ)
不レ可レ用二火葬一、不動堂西岸前深堀レ穴、乍レ棺落入埋レ之、上畳石同立石、
阿字一字挑二申于座主御房一可レ用二于卒塔婆一也、其外者一切不レ可レ有二別
子細一者也矣、
右尊範跡之仁等、面々令三存二知之一、且成二住山之思一、且致二孝養之誠一、可レ
令三知二行之一、於二未来一者、又守二其器用一交衆中同朋之間仁令三相二伝之一、若
不慮之外雖レ令二里住他住一、自二他所一不レ可レ令三知二行之一、何況女姓在家人等
令二相伝一事、殊以可レ令二禁制一也、仍為二後日一之状如レ件、
-------------------------------------------(紙継目裏ニ座主増恵ノ花押アリ)-----
(1338)
建武五年十一月廿二日
金剛仏師尊範(花押)
僧尊成(花押)
僧安尊(花押)
僧尊善(花押)
保弟房
僧増勝(花押)
為証人座主増恵(花押)
「書き下し文」
一つ、如法経の間の事
河原の観如方より買得する田地三段〈行本と号す〉尊範後生菩提の為寄進せしむる所なり、経衆与に同心し寄り合ひ奉り、検注納所を遂げ当如法経中の時料に之を用ゐらるべし、此の外同じく観如寄進の田地又三段之在り、同じく沙汰致し時料に用ゐらるべきなり、
一つ、正教の事
要たるべき正教は経蔵に安置せしむべき所と為す、其の外私尊範の聞書等、火中に入るべきなり、
一つ、笙笛の事
当山重宝たるの間、他所に出だすべからざるの上は、其の器量に随ひ借書を出ださば、之を預け置かるべきか、
一つ、尊範死荒の間の事
火葬を用ゐるべからず、不動堂西岸前に深く穴を掘り、棺ながら落とし入れ之を埋め、上に畳石同じく立石、阿字一字を座主御房に誂へ申し卒塔婆に用ゐるべきなり、其の外は一切別の子細有るべからざる者なり、仍て後日の為の状件のごとし、
右尊範跡の仁ら、面々之を存知せしめ、且つうは住山の思ひを成し、且つは孝養の誠を致し、之を知行せしむべし、未来に於いては、又其の器用を守り交衆中同朋の間に之を相伝せしめよ、若し不慮の外里住他住せしむと雖も、他所より之を知行せしむべからず、何ぞ況んや女性在家人ら相伝せしむ事、殊に以て禁制せしむべきなり、
「解釈」
一つ、如法経会のこと。
河原の観如方から買得した田地三段〈行本と呼ぶ〉は、尊範の後生菩提のために寄進するところである。蟇沼寺の寺僧たちはみなともに同心し結束し申し上げ、検注・納所を遂げ、この如法経中の費用として、田地の得分を用いなさい。このほかに、同じく観如が寄進した田地がもう三段ある。同じく検注・納所を遂げて如法経会の費用に用いるべきである。
一つ、経典のこと。
寺院の要であるべき経典は、経蔵に安置するべきこととする。そのほか、私尊範の記録等は、火中に入れ焼却するべきである。
一つ、笙の笛のこと。
当山の重宝であるので、原則、他所に貸し出してはならないと決めているうえは、(貸し出すときには、)その人物の能力を見定め、その人物が借書をこちらに出すならば、それを貸し出してもよいだろう。
一つ、尊範死亡後のこと。
火葬を用いてはならない。不動堂西岸前に深く穴を掘って、棺のまま落とし入れて埋め、上に畳石を敷き、同様に立石も置き、阿字一字を座主御房に書いてもらうように依頼し申し上げ、卒塔婆に用いるべきである。そのほかは、一切格別の事情はあるはずもないのである。
右、尊範の跡を継ぐ人々は、おのおの以上のことをご承知になり、一方では、寺に止まって修行することを思い、一方では誠意をもって供養し、この田地を領有するべきである。未来においては、またその能力にしたがって、蟇沼寺の寺僧として認められた同朋の間で、この田地を相伝させなさい。もし不慮の事態によって、里に住んだり、他所に住んだりすることがあったとしても、他所からこの田地を領有してはならない。まして女性や在家人らが相伝することは、とりわけ禁止しなければならないのである。そこで、将来のため置文は以上のとおりである。
「注釈」
「経衆」
─交衆の誤記か。「交衆」は「寺僧として活動をすることを許された僧侶(藤井雅子「中世醍醐寺における他寺僧の受容」『日本女子大学紀要』文学部66号、71頁、https://jwu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2583&item_no=1&page_id=4&block_id=99)。一方、「如法経衆」の略称、つまり「写経僧の集団」を意味するのかもしれません。ここでは一応、前者の意味を採用しておきます。