周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

蟇沼寺文書13

    十三 賢阿譲状

 

 (前闕)

     (弥ヵ)

 一畠一所□二郎作        一畠一所ミや木野か作

 一林一所〈アツし原」但半分宛〉 但公方之所当ニ宛也、又桑代拾貳文宛、

       うとし

 一中四郎屋敷畠 此所当者毎年上貳斗文料貳舛也

 一林一所〈神の迫」半分宛〉 但両人寄合て別合て無勝劣もたるへし、

 一小林一所           一佃尾八十歩文書面小内

 一内検文書之時追損大追損壹匁同

 一赤筆者毎年坪々ニ文書之時被置之上者不注置者也、

 一下人一人右近殿         一右写一 又取人一 又小つほ一

 一鑵子一            一葉茶つほ一

 一な畠三分二但下のより又ならひの藤九郎か作の畠

 右件田畠林以下并雑具等所譲与也、兄弟相互儀水魚之思不威儀

 者也、若又背彼遺命或致違乱或企濫訴者、雖親子庶子

 不是非之理、可不孝之仁上者、雖段歩彼田畠等不

 有其望者也、仍為後日亀鏡譲与状如件、

     (1360)

     延文五年〈庚子〉十月八日八日    賢阿(花押)

         ○本書ハ、東禅寺文書十二号ノ後半部分トミナサル

 

*割書とその改行は〈 」 〉で記載しています。

 

 「書き下し文」

   (前略)

 右件の田畠・林以下并びに雑具等を譲与せしむる所なり、兄弟相互の儀水魚の思ひ異儀有るべからざる者なり、若し又彼の遺命に背き、或いは違乱致し、或いは濫訴を企てば、親子たりと雖も、庶子たりと雖も、是非の理を云はず、不孝の仁たるべき上は、段歩たりと雖も、彼の田畠等其の望み有るべからざる者なり、仍て後日の亀鏡の為譲与状件のごとし、

 

 「解釈」

   (前略)

 右、この田畠・林以下、および雑具等を左衛門五郎に譲り与えるところである。兄弟が互いに水魚のように仲睦まじくし、双方異論を唱えてはならないものである。もしまたこの遺命に背いて、一方では秩序を乱し、一方では無法な訴訟を企てるならば、親子の関係であっても、庶子であっても、是非の道理を論ずるまでもなく、不孝者に違いないので、たとえわずかな土地であっても、この田畠等を望んではならないものである。そこで、後日の証拠のため、譲状は以上のとおりである。