周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

恥─激怒─自殺の相関性

 人間はさまざまな動機(原因や目的)によって、自ら命を絶とうとするのですが、その原因の1つと目されるものに恥があります。私がこれまでに紹介した記事のなかにも、恥と自殺の関係をうかがわせる事例がいくつもありましたが(「自殺の中世史30」・「自殺の中世史 吾妻鏡1・9・11」「自殺の中世史3─4・10」)、いったいなぜ恥と自殺が結びついてしまうのでしょうか。

 こうした疑問に1つの解答を与えてくれるのが、マイケル・ルイス『恥の心理学』(ミネルヴァ書房、1997年)です。この著書の目的は、情動としての恥を分析し、その特徴や発生過程などを明らかにすることにあるので、直接、自殺を分析対象にしたものではありません。したがってここでは、恥と自殺を結びつける説明に絞って、ルイスの主張をまとめてみようと思います。

 

 そもそも、恥とはいったいどのような状況によって発生するのでしょうか。それは、自己が所属する社会集団の基準(規則・規範・目標・信念)を、自分自身の基準として内在化し(多少の変化はある)、それに基づいて失敗の評価を自ら下し(あるいは他者から下され)、かつその失敗の責任を自分自身に負わせた(全体的自己に帰属させた)ときに起きます(注1)。恥の情動はとても否定的な状態であり、自己に強い破壊的効果をもたらすので、恥の状態に直面した個人はそこから解放されようと、あるいはこの状態を帳消しにしようと、特別な行為をするそうです(前掲ルイス著書、78、88、89頁)。その1つが抑うつで、もう1つが激怒なのです。人間は慢性的な恥に対峙することが不可能で、かつ、恥を押し付けている世界から逃げられないとき、極端な場合には、激怒あるいは抑うつをあらわすことになり、もっと極端な例では、精神医学的な自己の破壊(多重人格障害)を経験するそうです(前掲ルイス著書、192頁)。

 

 では、なぜ失敗の責任を全体的自己に帰属させる人と、そうでない人(自己の行為や他者に責任を帰属させる人)がいるのでしょうか。また、どうして恥が抑うつに置き換わる人と激怒に置き換わる人がいるのでしょうか。

 実を言えば、この2つの問題の根っこは同じなのです。責任帰属問題も、抑うつ・激怒転化問題も、その人物が所属している集団の文化や価値観などが強く影響しているそうなのです(「第6章 恥の社会化」、「第8章 恥への慢性的反応」前掲ルイス著書)。

 たとえば、子どもの失敗に対して、親があざけりや嫌悪、刑罰を与える場合、子どもはその責任を全体的自己に帰属させるようになるので、恥をかきやすくなります。反対に、子どもの失敗に対して、どうやったらよりうまくできるかを子どもに説明する場合、子どもはその責任を自己の行為に帰属させるようになるので、罪悪感を抱きやすくなります。また、攻撃的な性質が許容される集団や文化であれば、恥の情動的置き換え反応として、激怒を用いることになるそうです(「第6章 恥の社会化」、「第8章 恥への慢性的反応」前掲ルイス著書)。

 

 このように、恥の置き換え反応として、抑うつ・激怒が生じることになるのですが、いったいどちらの情動が人を自殺へと誘うのでしょうか。以下の文章を見てみましょう。

 

 自殺は、たいてい抑うつの究極の指標だと考えられている。自己の破壊が、この状態の指標として用いられている。しかし、家族と自殺の研究をしているランスキーは、「しかし、患者が抑うつにのめりこんでいることを恥ずかしく思うという原因に比べて、抑うつ自体が原因で自殺する可能性は低い」と述べている。自殺は、内面にむかった激怒と関連する恥の結果である可能性がある。デュルケムは、自殺に関する彼の古典研究のなかで、自殺が恥と関連することを指摘している。恥と関係する自殺には文化差が存在する。戦前の日本では、恥は自殺と関係があった。自殺は恥の後で生じることが予期される反応であり、妥当な反応であった。殺人は恥─激怒の螺旋が外にむかってあらわれたものであり、自殺は内にむかったあらわれである(前掲ルイス著書、191頁)。

 

 どうやら、自殺は抑うつよりも激怒によって、そして、その激怒の対象が自己に向かったときに引き起こされやすいようです。つまり、内在化された基準から外れるという失敗経験によって、その責任を全体的自己に負わせることで恥をかき、恥に耐えられなくなると、それが激怒へと転じ、さらにその対象が自己へと向かった場合に、自殺を遂行してしまうのでしょう。ルイスの指摘は、抑うつが自殺を引き起こすとする理解を、完全に否定したものではありません。しかし、激怒のほうが自殺の自己攻撃的性質を的確に説明できる点で、説得力があるように思われます。

 

 以上のように、「恥─激怒─自殺」という一連の過程の背景には、自殺者の所属している集団の文化や価値観が大きな影響を及ぼしていると考えられます。では、ルイスの仮説が中世日本にも適用できるとすれば、当時はどのような社会だったと評価することになるのでしょうか。おそらく、中世は怒りや攻撃性が許容された社会であり、慢性的に恥をかきやすく、恥の責任を自己に帰属しがちな傾向をもっていた、ということになるのかもしれません。これを歴史資料によって実証するのはなかなか難しい作業になりそうなのですが、次のルイスの指摘は、傍証する際の参考になりそうです。

 

 激怒は、人に対しても物に対しても暴力の形をとりやすい。アメリカ合衆国の大都市をちょっと歩くと、物に対する多くの暴力の跡を見て、衝撃を受ける。公衆電話のボックスから引きちぎられた電話、壊された建物、落書きだらけの記念碑や彫像などである。これは、人々が住んでいる建築物に対して市民の一部がもつ破壊的要素を反映している。こうした行為は、他の国でも見られるが、明らかにヨーロッパやアジアよりも合衆国では激しい(前掲ルイス著書、187頁)。

 

 この著書の初版が出版されたのは1992年ですが、その当時のアメリカと現在とで、それほど大きな違いがあるとは思えません(むしろ、悪化したか…)。近年では、ジョージ・フロイド事件に端を発する暴動や、コロナ禍を原因としたアジア系住民へのヘイトクライムが記憶に新しいのではないでしょうか。

 実のところ、こうした殺伐とした社会状況は室町時代にも散見されます。当時の人々の心性を的確に説明した一節を、そのまま引用しておきます。

 

 この時代の人々は、侍身分であるか否かを問わず、みなそれぞれに強烈な自尊心「名誉意識」をもっており、「笑われる」ということを極度に屈辱と感じていたのである。もちろん室町人のなかにも個人差はあり、その程度は人それぞれであるが、それはおおむね現代人の想像を超えるレベルのものだったようだ(清水克行「室町人の面目」『喧嘩両成敗の誕生』講談社選書メチエ、2006年、16頁)。

 

 この文章は、現代の日本人以上に、中世びとがキレやすかったことを説明したものです。具体的な事例もこの著書には豊富に記されており、たとえば、立ち小便を笑われたことを理由に、僧侶が稚児を投げ飛ばし、言い合いの挙句、両者の所属する集団どうしで刃傷沙汰に発展した事件(「ウツワの小さな小便坊主」の記事参照)、酔ったうえでの不始末を笑われたことを理由に、田舎人が遊女を殺害した事件(「自殺の中世史3─16」の記事参照)などが紹介されています。いったい、なぜ中世びとはこれほどキレやすいのでしょうか。どうしてこれほどまでに名誉意識が強すぎるのでしょうか。

 前掲清水著書には、次のような一節もあります。

 

2 殺気みなぎる路上

無礼な輩は袋叩き

 そんな彼らが胸に秘めていた自尊心が火花を散らす最も危険な場が、路上であった。この時代、路上で行き逢った者のいずれかが必要な配慮を怠ったために、喧嘩にいたるという例が頻繁に確認される。とくに室町時代は、京都という都市がこれまで公家や寺社の拠点であったのに加えて、あらたに武家(足利氏)もそこを政治拠点とした。そのため、結果的に京都は公・武・寺・社、それに一般庶民という異なる多様な社会集団がひしめき合う場と化したのである。これにより、最盛期の京都の人口は「二〇万戸」にまで達したともいわれている。そうした多種多様な集団が日常的に交錯する京都の大路・小路は、室町人にとってつねに殺気に満ちた危険な場だった(前掲清水著書、17頁)。

 

 室町時代の都市には、公・武・寺・社、一般庶民や被差別民といった、多様な社会集団に属し(あるいはそこから排除され)、それぞれの文化や価値観をもった人間がひしめき合っていました。こうした状況は、人種のるつぼと言われる現代のアメリカとさほど変わらないように思えます。

 

 では、マイケル・ルイスは、アメリカで散見される物に対する暴力を、どのように理解しているのでしょうか。さらに引用を続けてみましょう。

 

 この国で見られる物に対する暴力を、どのように理解すればいいのだろうか。貧しい人々や、黒人たち、公民権を剥奪されている人々がいつも辱められているためだろうか。ここで恥─激怒の螺旋を、われわれの身近に起こる反社会的行為に当てはめることができると思う(前掲ルイス著書、187頁)。(中略)

 

 私の恥─激怒の螺旋の分析が正しいとすれば、このモデルが個人のレベルだけではなく社会レベルにも適用可能なことがわかるだろう。街や施設への非論理的な破壊行為は、恥の精神内現象と関係があるに違いない。特に、貧困な黒人男性は、彼らがその中で生活している文化によってさまざまな形で恥をかかされているのである。また、彼らは、学校での処遇で恥を経験している。さらに仕事を見つける能力がない者とされて、恥を経験しているのだ。彼らは警察からも恥をかかされている。彼らは白人が主流の社会の中で黒人のマイノリティだというだけで、恥を感じているのである。これらの恥や、私が言及しなかったもっと多くの恥のすべての原因が、激怒を生じさせる可能性があるのだ(前掲ルイス著書、188頁)。

 

 多民族国家自由民主主義国家であるアメリカは、内部にさまざまな差別を抱えた社会である。このような指摘は取り立てて珍しいものではないのでしょうが、特筆すべきは、この差別が恥を生み、恥が激怒を生み、最終的にその激怒が暴力事件を引き起こしているという指摘です。室町時代の社会をアメリカ社会のアナロジーとして捉えることが許されるならば、恥─激怒が生じやすい背景には、同じように差別が存在することになります。

 

 では、中世とはどのような社会だったのでしょうか。それは言わずと知れた身分制の社会であり、いたるところに支配─隷属関係や差別─被差別関係が蔓延していました(注2)。身分は、各種自律的集団や諸組織によって生みだされるのですが、そこには厳格な序列があり、同一集団・階層内でも厳しい差別があったのです(注3)。現代アメリカとは社会的な背景は異なりますが、中世社会も同様に、恥をかきやすい社会だったという推測が成り立ちそうです。

 このような社会では、反社会的で攻撃的な人物が増えることになるのですが、そのような人々はなぜ暴力を振るうのでしょうか。ルイスは、次のように述べています。「自尊心の低さが攻撃的行動を引き起こすだけではなく、攻撃行動そのものが自尊心を高めるように働くと思われているのである」(前掲ルイス著書、190頁)。つまり、恥によって自尊心が低められているがゆえに暴力を振るい、暴力を振るうことで、低められた自尊心を高めようとしているのです。慢性的に恥をかきやすい社会であれば、暴力事件が頻発するのも、これで納得できます。

 前述のように、清水氏は「この時代の人々は、侍身分であるか否かを問わず、皆それぞれに強烈な自尊心『名誉意識』をもっており、『笑われる』ということを極度に屈辱と感じていたのである」と指摘していましたが、ルイスの研究を踏まえると、以下のような表現に改めたほうがよいかもしれません。

 

 「この時代の人々は、身分差別や序列の厳しい社会に生きていたので、慢性的に恥をかきやすく、あらゆる身分の人々の自尊心が現代の日本人に比べて低い。そのため、『笑われる』ということを極度に屈辱と感じていたのである。」

 

 以上、『恥の心理学』と『喧嘩両成敗の誕生』を頼りに、中世社会の特徴と、恥─激怒─自殺の相関性について推測を重ねてみました。最後にこの記事で考えた仮説をまとめておきます。

 

 ①中世びとは身分差別や序列の厳しい社会(基準の厳格な社会)に生きていたので、慢性的に恥をかきやすく、あらゆる身分の人々の自尊心が現代の日本人に比べて低い。

 ②中世びとは、恥によって自尊心が低められているがゆえに暴力を振るい、暴力を振るうことで、低められた自尊心を高めようとしている。名誉を過剰に望むのも、自尊心の低さゆえである。

 ③中世は、怒りや攻撃性が許容される殺伐とした社会である(注4)

 ④中世社会では、恥の原因を全体的自己に帰属させる傾向があり、そのような教育がなされている、あるいはそうした思考傾向が社会に浸透しているがゆえに、恥を理由に自殺したと考えられる事例が散見されるようになる(注5)

 

 以上の仮説の妥当性を証明するには、中世の社会全体だけでなく、各集団内の差別や序列の厳しさを示す史料、そして抑うつよりも激怒(攻撃性)が容認されていることを示す史料を博捜する必要があります。加えて、恥の原因や激怒の対象を、全体的自己に帰属させる史料も見つけ出さなければなりません(注6)。はたして、身分差別や序列の厳しさが中世びとのキレやすさを規定していたのか、それとも、別の原因が考えられるのか。また、恥の責任を自身に背負わせたり、激怒の対象を自分自身に向けたりする思考傾向が存在するとして、それらはどこからどのようにして生まれてきたのか。さらに検討を深めていこうと思います。

 

 

「注」

(1)以下の架空事例を通して、この説明を具体化しておきます。

 A氏は株式会社Zに勤務する営業マンである。彼の所属する部署では、個々人の年間の売り上げ目標を、前年度の110%に設定していました。このノルマはかなり厳しいもので、それを達成できる社員はAぐらいのものでした。Aは自身があるセクションのリーダーに就任した年、前年度約200%(年間売上額3000万円)を達成しました。その翌年は前年の約150%(4500万円)、その翌年は前年の約125%(5600万円)でした。彼は同僚ばかりではなく、経営陣からも期待される会社のエースとなっていました。このように、Aは会社が設定したノルマを毎年達成しつづけていたのですが、自身の達成率が200%→150%→125%と低下していることを気に病み、そうした不甲斐ない自分を大いに恥じたのです。

 株式会社Zで課されたノルマは、ほとんどの人間が達成できない極めて厳しいものであり、そのことは全社員の周知の事実でした。したがって、多くの社員は達成できなくても、それほど強く恥じ入るようなことはありませんでした。つまりこのノルマは、名目上、必達目標として定められておきながら、多くの社員にとっては自分自身の基準として強く内在化されていなかったのです。ところが、Aはそのノルマを達成しつづけたため、いつの間にか遵守するべき絶対の基準として内在化してしまいました。それどころか、会社の設定したものよりも厳しい基準を自身で設定してしまったのです。そのため、他の社員が感じないような恥を、一人だけ感じて思い悩むようになっていたのです。

 また、Aは売上増加率の減少傾向を克服するため、あらゆる改善策を試みたのですが、どれもうまくいきませんでした。そのため、自己の行動に失敗の責任を帰属することができず、自分自身に責任を負わせたことで、慢性的に恥をかくような状況に陥ってしまったのです。

 さて、この架空の事例から見えてくるのは、①所属集団の基準がそのまま所属人員の基準になるとは限らない、むしろ恣意的にその基準を高めたり低めたりする場合もあること、②集団内のいわゆる負け組が恥をかくとは限らない、勝ち組が強く恥を感じる場合もあること、③内在化した基準の高さや厳格さによって恥を感じる度合いが異なることです。もっとも身近な家族を含め、同じ集団に所属し、同じように生活していれば、同じような考え方や感情の抱き方をすると思いそうなのですが、このように、恥の感じ方一つとっても、人によって違うことがわかります。人間は恣意的に基準の厳格さを変えてしまい、それが他者に伝わらないことがあるからこそ、「あれだけ優秀で恵まれている人がなぜ自殺したのか、理由がさっぱりわからない」という状況も発生するのです。

 

(2)日本中世の身分制については、高橋昌明「中世の身分制」、「付論1 『中世の身分制』執筆にあたって力点をおいたこと」(『中世史の理論と方法 ─日本封建社会・身分制・社会史』校倉書房、1997年)が、もっともまとまった研究になります。なお、当時の差別とは、けがれ差別と卑賤視だけではなく、悪人と決めつける差別もあったそうです(河田光夫『中世被差別民の装い』河田光夫著作集・第2巻、明石書店、1995年、29頁)。

 

(3)たとえば、公家社会では大まかに、公卿、殿上人、諸大夫(地下人)というようなランク分けがなされており、その人物の出自・家格によって上級ポストへの昇進条件や極位極官が決まっていました(百瀬今朝雄「第Ⅱ部 桎梏の家格」『弘安書札礼の研究』東京大学出版会、2000年)また、寺院社会もその影響を受けており、僧侶たちは出自によってランク分けがなされ、公家社会と同様に出自によって出世のスピードが異なっていたそうです(前掲高橋著書138〜141頁、呉座勇一『応仁の乱中公新書、2016年、7頁)。こうした取り決め自体がそもそも不条理と言えそうですが、その一方で取り決めを無視した不条理な出世によって、自身の官位を超越されたり、規定通りに昇進できなかったりした場合、公家や僧侶たちは、不出仕・籠居・暴動といった抵抗の姿勢を見せたり、なかには出家したり自殺未遂を図ったりするものもいました(平雅行「日本中世における在俗出家について」『大阪大学大学院文学研究科紀要.』55、2015.3、24頁、このブログの記事「不当な出世で大喧嘩! 出世間なのに…」・「自殺の中世史3─6」参照)。

 ちなみに私は、国家の全体的な身分秩序よりも、個々人が日常的に所属している集団内(朝廷・幕府・公家・武家・寺社といった国家機構や権門組織、町・村などの地縁的共同体など)の序列こそが、恥を生み出す源泉ではないか、と考えています。そこでは、不利益や実害を被るような差別によって恥をかき、激怒することもあるでしょうが、それだけでなく、序列から生じる日常的な蔑視や侮言が慢性的な恥を蓄積させ、激怒を引き起こすのではないでしょうか。国家全体の身分秩序で言えば、貴族の身分は高くなりますが、その貴族社会のなかにも身分の高下はあるので、自身のポストゆえに恥をかき、激怒することは十分にあり得たはずです。

 

(4)永原慶二氏は、中世の荘園・村落の様子を次のようにまとめられています。「一般に一つの荘園、一つの村落は、いわば封鎖的・牧歌的小宇宙と考えられやすい。だが現実はそれとは逆であって、一つの荘園の内部でも、荘民たちのある者は領主の神人・供御人などという特定身分となり、あるものは荘官たる在地領主の下人・所従的身分となっている。一つの荘園・村落の農民たちが、個別に上位者とのあいだに特定の人的結合=保護隷属関係をとりむすぶのが中世社会の特有の在り方であったから、農民たちのあいだの身分的分裂は、しばしば、生産・生活面における共同体的関係を破綻させる役割を演じた。またそれに加えて、一つの村落や荘園は、しばしばそれ自体完結的な政治的世界ではなく、支配関係が交錯し、また周辺荘園とのあいだに、山野・水利利用や境界問題などをきっかけとしてたえず小規模な紛争をくりかえし、荘官・在地土豪はたがいに隣荘に勢力を浸透させて、百姓たちを個々に味方に引き入れようとするのが常だった。従ってそこではたえず荘民のあいだの分裂と抗争がさけられず、したがって叛逆者がくりかえし生み出される可能性が大きいのである。」(「村落共同体からの流出民と荘園制支配」『永原慶二著作選集 第三巻 日本中世社会構造の研究』吉川弘文館、2007年、初出1968年、250頁)。

 この指摘を踏まえると、中世社会を生き抜くためには、どうしても攻撃性が必要だったと考えられます。ただしその攻撃性は、生き抜くという目的に反して、自身を自殺へと導く可能性もあったということになります。

 

(5)古代では、「恥」と「自殺」がセットで現れる事例は存在しませんでした(「自殺の中世史 吾妻鏡のまとめ」参照)。

 

(6)直接結びつくわけではないですが、因果応報観が影響を与えている可能性が考えられます。たとえば、下級貴族に生まれたのは前世からの因縁であると考えた場合、前世の自分を他者として捉えれば、現在の不遇な状況による恥の生起の責任を現在の自分に向けることはないでしょう。しかし、前世・現世の自分を、一貫性をもった同じ自分として認めるならば、不遇な状況にある責任を全体的自己に背負わせることになります。生まれたときからこうした思考傾向が教え込まれ、染み付いていれば、あらゆる責任を自己全体に帰属させやすくなるのではないでしょうか。