周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

極楽寺所蔵文書21(完)

    二一 上里領門田村役人五郎右衛門尉抱分畠坪付

 

      上里領

        門田村役人五郎右衛門尉抱分畠

 国兼                  役人

  屋敷小                五郎右衛門

 同所

  屋敷小 □屋              藤二郎

 同所

  畠参反       代五百文     五郎右衛門

 かねひろ同所               下作

  畠壹反       代貳百文     二郎兵衛

 同所二所合                下作

  畠壹反       代百文      彦五郎

 かずかミノ前

  畠半        代五十文     五郎右衛門

 水一ノ同所                下作

  畠三反       代四百五十文   源五郎

 行友 同所                下作

  畠壹反       代百文      弾介

 同所                  下作

  畠貳反大      代五百文     大郎右衛門

 同所                  下作

  畠二十歩      代十文      同人

 福光                  下作

  畠貳反       代三百文     三郎兵衛

 同所                  下作

  畠壹反半      代百五十文    同人

 (後闕)

 

*書き下し文・解釈は省略します。

 

 「注釈」

「丸門田村」

 ─まるもんでんむら。現御調町丸門田。上野村と今田村の東に位置する御調川流域の村。北岸の緩傾斜地に字本郷平があるところから御調本郷の地で郡衙の所在地とも考えられている。御調川沿いに古代山陽道が通っていたと推測され、条里制の遺構も認められる。「御調郡誌」によると、室町時代末期には栗原(現尾道市)の千葉氏の一族今田氏領であった。(中略)

 仁治二年(1241)千葉豊後入道直翁が建立、文保元年(1317)再造、延徳二年(1490)再建と伝える東中倉八幡神社(萩宮八幡宮・萩八幡神社)が御調川北岸山麓に鎮座。南岸の独立丘陵東麓には浄土真宗本願寺派の円玉山正典坊がある。同寺はかつて本庄村(現三原市)にあった禅宗願成寺で、はじめ村内の御調川北川山麓に移ったが、のち現在地に移転。享禄年中(1528〜32)尼子氏の一族近安源吾正房が出家して了念と号して願成寺に住み、三世了光が浄土真宗に改宗、元亀年中(1570〜73)に現在地に移寺して正典坊と号したという(芸藩通志)。正徳六年(1716)御調郡寺社縁起帖写(三原市立図書館蔵)には、元亀二年専西のとき禅宗から浄土真宗に改宗したとある。東中倉八幡神社の南、標高142メートルの独立丘陵に上里氏の居城丸山城跡がある。上里周防守実秀が明応年間(1492〜1501)に三次より来て在城、四代が居城し、天正十八年(1590)四月に落城したといい、一族の上里豊後守は天文十三年(1544)尼子氏が三吉氏を攻めたとき加勢して功があったという。上里氏の知行所は郡内では丸門田、丸河南・徳永・植野・今田・大原・綾目・野間・三郎丸の諸村であった(御調郡誌)。丸山城跡西南には千葉豊後の居城と伝える峠山城跡がある(芸藩通志)。

 御調川流域や支流の八幡川流域の微高地から弥生式土器や住居跡が発見されている。古墳には箱式石棺・人骨・刀などの出土した明神山古墳群があり、横穴式石室をもつ円墳のなかには市山一号古墳のように、刀・勾玉・須恵器・土師器の出土した例もある(『広島県の地名』平凡社)。