周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

仏通寺文書3

    三 愚中周及規式写 ○住持記ニヨル

 

     滅後定門徒寺坊主事〈大通禅師御自筆」自判有之、〉

                       (清唯) (真知)

 留心〈金山第二世諱安久」阿州人俗ハ安宅〉  諾渓  覚隠

                               (玄胤)

 宗孚庵主字希淳  春岩〈諱妙育濃州人」末后為大衣鉢侍者〉  覚伝

 隣月〈定山和尚子高公」侍者東福侍某〉  崗権管  捴権管

 寧権管

 已上十人不僧臘上レ次、相与評議可坊主典座、永代当斯式

      (応永十四年)

       正月十九日        病僧周及判

 

 「書き下し文」

     滅後に定むる門徒・寺坊主事〈大通禅師御自筆」自判之有り、〉

 留心〈金山第二世諱は安久、」阿州人俗は安宅、〉  諾渓清唯  覚隠真知

 宗孚庵主字は希淳  春岩〈諱は妙育、濃州人、」末后は大衣鉢侍者と為る、〉  覚伝

 隣月〈定山和尚の子高公」侍者、東福侍某、〉  崗権管  捴権管

 寧権管

 已上十人僧臘を以て次と為さず、相与に評議し坊主・典座を定むべし、永代当に規式に依るべし、

 

 「解釈」

 以上の十人は、出家してからの年数によって、各役職の後任を決めてはならない。みなが一緒に評議し、坊主や典座の後任を決めなければならない。永久に必ずこの規則に依拠せよ。