四 愚中周及書状
(足利義持)(則平)
京都を罷出候者軈可二罷下一存候処ニ、上意小早川しわさと被仰候、雖レ然其方へ
不レ下候間無二子細一候、雖二何時候一其方へ罷下候者、可レ為二同辺一間無二其儀一
(真知)
候、背二本意一存候、随而仏通寺の事覚隠之方へ委細申付候、諸事可レ有二
御談合一候、恐々謹白、
(応永十五年・1408)
十二月十五日
周及(花押)
政所殿
「書き下し文」
京都を罷り出で候はば軈て罷り下るべく存じ候ふ処に、上意小早川の仕業と仰せられ候ふ、然りと雖も其方へ下らず候ふ間、子細無く候ふ、何時に候ふと雖も、其方へ罷り下り候はば、同辺たるべきの間其の儀無く候ふ、本意に背き存じ候ふ、随ひて仏通寺の事覚隠の方へ委細申し付け候ふ、諸事御談合有るべく候ふ、恐々謹白、
「解釈」
京都を退去するならば、すぐに下向するべきだと思っておりましたが、将軍足利義持様のお考えでは、小早川則平の仕業だとおっしゃっております。しかし、私はそちらへ下向しませんので、問題はありません。いつでありましょうと、そちらへ下向しますなら、同じはずなので問題はありません。本来のあるべきさまに背いていると思います。だから、仏通寺のことは覚隠真知方へ申し付けます。さまざまな事柄をご相談になってください。以上、謹んで申し上げます。
*解釈がまったくわかりません。