周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

天狗のイタズラ その4 〜天狗の女房による未成年者略取〜 (Pillage of minors by Tengu's wife)

  文明十四年(1482)四月二十九日条

         (『大乗院寺社雑事記』7─392頁)

 

    廿九日(中略)

 一東門院僧正来、(中略)龍花院方ニ可有祈祷云々、其故ハ天狗之女房松林院之

  前ニ出現、人之子ヲ取テ東山内エ行了、其子取返云々、

 

 「書き下し文」

 一つ、東門院僧正来る、(中略)龍華院方に祈祷有るべしと云々、其の故は天狗の女房松林院の前に出現し、人の子を取りて東の山内へ行き了んぬ、其の子取り返すと云々、

 

 「解釈」

 一つ。東門院僧正孝祐がやって来た。(中略)龍華院方で祈祷があるはずだという。その理由は、天狗の女房が松林院の前に出現し、人の子どもを奪い取って、東の山中に連れ去ってしまったからだ。その子を取り返したそうだ。

 

 Kouyuu, the chief priest of Toumonin Temple, came to me. (Omitted) A Buddhist  devotion will be held at Ryugein Temple. The reason is that the tengu's wife appeared in front of the Shorinin Temple, kidnapped children and took them to the eastern mountains. I heard that the child was taken back.

 (I used Google Translate.)

 

 

 「注釈」

「龍華院」

 ─竜華院ともいう。「南都七大寺礼記」に「本堂尺迦阿弥陀薬師在諸経律論摺形木、件院者法務権大僧正頼信之建立(中略)又在頼信之墓号円塔」とある。当初、一条院の東(現文化会館の南側)にあったが、「寺務相承記」に竜華院が春日大鳥居の南方、菩提院の東にあったことがみえる。正暦年中(990─995)菩提山に移したが、残っていた堂は、正中年中(1324─26)に焼失した。のち勧修坊(荒池の南にあった)の南隣に再興され、大乗院領となり、いわゆる三箇院家を形成した。明治の中頃、さらに南円堂の北側に移した(「竜華樹院跡」『奈良県の地名』平凡社)。

 

「松林院」

 ─高畑町にあった興福寺の子院(https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/240/1/BA67898227_2002_006_007.pdf、https://www.kkr.mlit.go.jp/plan/happyou/thesises/2019/pdf03/katu-15.pdf)。

 

 

*天狗とは、夫婦そろってロクでもない奴だったようです。ダンナのイタズラ(イタズラと呼べないものも含めて)については、これまで3度にわたって紹介してきましたが、今回はヨメのほうです。天狗の女房は人間の子どもをさらって、山中に連れ去っていたそうですが、いったい、何のためにそんなことをしていたのでしょうか。

 斉藤研一「子取り」(『子どもの中世史』吉川弘文館、2012年、141頁)によると、このような未成年者略取事件の犯人は、人身売買を生業とする人商人(ひとあきびと)であることが明らかにされています。以下に、斉藤氏の所説をそのまま引用しておきます。

 

 幼い子どもが人身売買の対象となり得たのは、社会において子どもが重要な労働力の一端を担っていたからと考える。つまり、少なくとも中世社会においては、「子どもの労働」なるものが存在しており、子どもは貴重な労働力としての価値、ひいては売買の対象となる商品価値を持っていたということである。「子取り」による子どもの誘拐は、商品である子どもの入手・確保の営みなのだ(前掲著書、141頁)。

 

 このように、当時の子どもたちは、貴重な労働力としての価値をもっていたがために誘拐されていたのですが、理由はそれだけではありませんでした。どうやら中世びとのなかには、子どもを殺してその肝を取っていた連中がいたそうなのです。こうした風習ついても、すでに前掲斉藤著書で詳細に検討されており、子どもの肝(児干)が創傷の特効薬として服用されていたことが明らかにされています(これについては、「死人を食べること」で紹介済み)。

 子どもを誘拐し、生きたまま売り飛ばすのもひどい話ですが、殺して肝を取るというのは、それ以上にひどい悪魔のような所業です。このような残忍なことができるのは人間ではないと考え、「天狗の女房」の仕業などという噂話が生まれたのかもしれません。

 それにしても、なぜ「天狗」ではなく、「天狗の女房」だったのでしょうか。犯人の多くが女性だったということなのでしょうか。斉藤著書に提示された犯人の捕縛事例は2件あるのですが、いずれの犯人も「尼」でした。たしかに、子どもに近づきやすく、手懐けやすいのは女性の方かもしれません。あるいは、身体能力や体力的な問題で、逃亡に失敗して捕らえられたり、姿を見られたりする確率が、男性よりも高かっただけなのかもしれません。詳しいことはわかりませんが、ひとまずこの史料を「子取り」の事例として追加しておこうと思います。