一二 小早川常嘉則平書状 ○東大影写本ニヨル
(端裏書)
「含暉院開檀那」
当院開基檀那
松岩寿大師 碧渓重禅門両人事、造営以下被二成功一候之上者、追善事末代如レ今
御計候者、就二可レ然存候一進レ状候、此趣於二寺家一被二定置一候者目出度候、
恐惶敬白、
応永卅一(1424)
二月十五日 常嘉(花押)
(禅慶)
一笑和尚含暉方丈
「書き下し文」
当院開基檀那
松岩寿大師・碧渓重禅門両人の事、造営以下成功せられ候ふの上は、追善の事末代今のごとく御計らひ候はば、然るべく存じ候ふに就き状を進らせ候ふ、此の趣寺家に於いて定め置かれ候はば目出度く候ふ、恐惶敬白、
「解釈」
当院開基檀那、松岩寿大師・碧渓重禅門両人のこと。造営などに寄付なさいましたうえは、現在のように、永久に追善供養のことをお取り計らいになりましたなら、非常にすばらしいことであると存じております、ということについて書状を進上します。この内容を含暉院で取り決めてくださいますならば、すばらしいことでございます。以上、謹んで申し上げます。