四〇 小早川氏奉行人連署書状
就二向上寺夫丸之儀一、両度蒙レ仰之条、遂二披露一、対二彼百姓四人一為二
(向上納所)
公事恩一、田数可レ被レ遣之由、致二口才一相調候、今度之儀ハ文賀長々被レ成二
(文賀)
御逗留一、別而御辛労候、御分別所レ仰候、猶趣者、御納所可レ有二御演説一候、
恐々謹言、
永禄五〈壬戌〉(1562) (真田)
五月五日 景久(花押)
(桂)
景信(花押)
(磯兼)
景道(花押)
(日名内)
慶岳(花押)
仏通寺
御塔頭 参
「書き下し文」
向上寺夫丸の儀に就き、両度仰せを蒙るの条、披露を遂ぐ、彼の百姓四人に対し公事の恩として、田数を遣はせらるべきの由、口才を致し相調へ候ふ、今度の儀は文賀長々御逗留に成られ、別して御辛労に候ひ、御分別仰する所に候ふ、猶ほ趣は、御納所御演説有るべく候ふ、恐々謹言、
「解釈」
向上寺への人夫徴発の件について、再び小早川隆景様からご命令を被りましたことを、向上寺へ披露した。あの百姓四人に対し、夫役を勤めた恩賞として、田地をお与えになるべきだ、と隆景様へはっきりと主張し調整しました。今度の件は、向上寺御納所文賀様が長々とご逗留になって、とりわけ苦労をいとわずお働きになりまして、この件について道理をおっしゃいました。なお、この内容については、文賀様がご説明になるはずです。以上、謹んで申し上げます。