周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

願望まみれの夢解釈

  文明十五年(1483)十月二十九日条

         (『大乗院寺社雑事記』8─95頁)

 

    晦日(中略)

 一古市澄胤去八月末蒙夢相子細在之、九月一日社参、神馬・田畠等令寄進之、

                                 (妊)

  其子細近日聞付之、於若宮宝前鳥之卵被下之間、請取手内ト見之、懐任之相

  歟、殊外祝著云々、然則妻女懐任之気有之云々、凡希有事也、不知神慮者也、

             (合点)           (合点)

  予案之、吉凶難是非者也、一卵ハ子也、子ヲ被下条勿論、一皆コハ一寺一社之

          (合点)                (合点)

  雑務成敗之皆コ也、一卵ハランノ音アリ、一家之乱可出来歟、一卵ハ卵堂トテ

  葬所ノ名也、且如何、仍吉凶難弁也、就中進退ヲ見聞ニ、善悪在之如常、就其

  先祖何計之神忠在之テ、如此一寺一社ヲ□取哉、現存又如何様之誓願在之テ叶

  神慮哉、然上者如思ニ子孫繁昌難其意、所詮有其実者、前生ニ修行之分済在之

  歟、

 

 「書き下し文」

 一つ、古市澄胤去んぬる八月末夢相を蒙る子細之在り、九月一日社参し、神馬・田畠等之を寄進せしむ、其の子細近日之を聞き付く、若宮宝前に於いて鳥の卵を下さるるの間、請け取り手の内と之を見る、懐妊の相か、殊の外祝着と云々、然れば則ち妻女懐妊の気之有りと云々、凡そ希有の事なり、神慮知らざる者なり、予之を案ずるに、吉凶是非難き者なり、一つ、卵は子なり、子を下さるる条勿論、一つ、皆コは一寺一社の雑務成敗の皆コなり、一つ、卵はらんの音あり、一家の乱出来すべきか、一つ、卵は卵堂とて葬所の名なり、且つ如何、仍て吉凶弁へ難きなり、なかんづく進退を見聞くに、善悪之在ること常のごとし、其れに就き先祖何計りの神忠之在りて、此くのごとく一寺一社を□取るか、現存また如何様の請願之在りて神慮に叶ふか、然る上は思ひのごとくに子孫繁昌其の意難く、所詮其の実有らば、前生に修行の分済之在るか、

 

 「解釈」

 一つ、古市澄胤が去る八月末に、夢の中で神仏から告知を受けるという出来事があった。九月一日に神社に参拝し、神馬や田畠等を寄進した。私(尋尊)はその事情を最近聞いた。神は春日若宮の神前で、鳥の卵をお与えになったので、古市澄胤はそれを受け取り、手のうちを見た。これは懐妊の相だろうと思い、このうえなく喜んだという。そうしたところ、澄胤の妻に懐妊の兆候が現れたそうだ。まったくもって珍しいことである。神のお考えはわからないものである。私はこの夢について考えてみたが、吉凶・是非の判断は難しいものである。一つ、卵は子である。子を下されるのは勿論だ。一つ、殻子は、春日社や興福寺で行なってきた雑務検断の処置を悔い改めよ、という意味である。一つ、卵にはらんの音がある。家中で騒動が起きるにちがいないだろう。一つ、卵は卵堂といって、墓所のことだ。あるいは、他の解釈はどうだろうか。こうした解釈もできるので、吉凶の判断は難しいものである。とりわけ澄胤の行状を見聞きすると、善も悪もあることは、他者と同じである。それについて、先祖はどれほど神への忠義を尽くして、このように春日社や興福寺の雑務検断を取り仕切るようになったのだろうか。また現在、どのような願いがあって、神の思し召しに叶っているのだろうか、いやそんなはずはない。そうであるからには、思いどおりに子孫繁栄の願いが実現することは難しく、結局のところそれが実現するならば、前世で修行した成果が現世に現れたのだろう。

 

 「注釈」

 夢占いが、これほど恣意的なものだとは思ってもみませんでした。中世にはもっと厳格な診断基準や解釈の型があり、それを純粋に信じているのだと勝手に思っていました。挙げ句の果てに、僧侶である尋尊自身が、メッセージを送ってくれたであろう神仏の意志まで疑う始末。これでは、夢想など何の意味もないのではないかと思われます。中世びとが夢想・夢告を重視していたことは、広く知られていることですが、このような記事を見ていると、ちょっと疑わしくなってきます。尋尊のようなインテリ階層と庶民階層では、どちらが先に神仏の存在やメッセージを疑い始めるのか気になるところですが、15世紀も後半になると、宗教インテリでさえ神仏の思し召しを怪しむようになってくるようです。

 なお、この記事の解釈・解説については、すでに研究があるので、以下に引用しておきます。

 

*安田次郎『尋尊』(吉川弘文館、2021年、187頁)

 

 つぎのようなこともあった。文明十五年の八月末、澄胤は春日若宮社の前で神から卵を授かる夢をみた。これは「懐妊の相」だと澄胤は喜び、さっそく九月一日に社参を行ない、馬と田畠を寄進した。そうしたところ、はたして夫人(越智家栄の娘か)が懐妊した。十月の末になってこの話を知った尋尊は、子孫断絶すべきで「仏神の応護」がないはずの澄胤が子供を授かることに釈然としなかったのだろう、その夢は吉か凶か判断は難しいと神慮をいぶかり、つぎのように考えた。

  一 卵ハ子なり、子ヲ下さるるの条、勿論なり(卵は子だ。子が下されるのは

    勿論だ)、

  二 皆コハ一寺一社の雑務成敗の皆コなり(後述)、

  三 卵ハランノ音アリ、一家ノ乱出来すべきか(卵はランの音がある。一家の乱

    が起きるのではないか)、

  四 卵ハ卵堂(らんどう)トテ葬所ノ名なり(卵は卵堂、墓石〈あるいは火葬

    場〉のことだ)、

 卵は「一家の乱」や卵堂のことかもしれず、澄胤の見た夢は凶夢の可能性もあると尋尊は主張(希望)したいのだろうが、二は何を言っているのか、このままではわからないので、解釈を試みてみよう。最初の「皆コ」は「かいご」=「殻子」で、卵のことである。これで一から四の文の主語は「卵」で揃う。難題は文末のほうの「皆コ」であるが、これを「改寤(改悟)」とすれば、意味が通るように思う。澄胤は一寺一社の雑務検断者として春日の神から「改寤」を授けられた、つまりそれまでの悪行を咎められて猛省、悔悛を神から要求された、その可能性を尋尊は考えたということである。ただ、「改寤」は尋尊の書物には見かけない言葉である。他にもっといい解釈があるかもしれないが、なんとか道筋をつけて不吉な夢だと尋尊は考えたかったことは確かだろう。