周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

西福寺文書2(完)

    二 沙弥円教施入摺仏墨書

 

 為僧都定真後生善処 願主沙弥円教 三十三体

                   (教)

 為沙弥証円後生善処施入 願主沙弥円□ 三十三体

 為二親現当二世施入 願主沙弥円教 三十三体

      

 為僧重真○後生善処 願主沙弥円教 卅三体

 為法界衆生平等利益 願主沙弥円教 三十三体

 為亀壹丸後生善処也 願主沙弥円教 卅三体

 為沙弥円教所生男女現世安穏後生善処 三十三体

 心阿弥陀仏

 心内子為

 二人の子ため

     (め脱)

 やい四郎た 内子のため

 とくいち かため

 さいきのため

 しやミさいゑん

 五らう たらう

 やくわう 御めん

   *以上、一行ニツキ一枚ノ墨書。

 

            (1332)

 (裏)黒瀬村内海方 〈正慶」元年〉

     □田検注支配事

    合

 (裏)馬上貳拾捌町陸段六十歩

      進国四町六反大

 (裏)公文[

           (半)

    地頭 五反内免斗

    書生 一丁内免一反

    御使[ ]内免二反

 (裏)恒頭五反[

      四

       (半)

     一反斗

    のこる三反

      二反

      一反

    吉たけ二反

    わりをか一反

    又一反わり[

    (1320)

 (裏)元応二年

 

    かねひろ

     四反

     一反

     二反

     二反

     二反

     一反

   *以上、(裏)ノ記載ゴトニ一枚ノ墨書。

 

*書き下し文・解釈は省略します。

 

 「注釈」

「黒瀬村」

 ─「芸藩通志」によると、現黒瀬町に含まれる十六カ村と、北東に続く現東広島市域の馬木村、西南に続く現呉市域の郷原村を含めた十八カ村を黒瀬郷としている。正応二年(1289)正月二十三日付の沙弥某譲状(田所文書)に「惣社二季御神楽料田畠栗□□事」として「栗林二丁内黒瀬村五反 杣村一丁五反」と見える。大永三年(1523)八月十日付の安芸東西条所々知行注文(平賀家文書)には「黒瀬 三百貫 大内方諸給人」「黒瀬乃美尾 百貫 金蔵寺領」とあり、黒瀬が東西条に含まれており、のちの乃美尾村を含む広域の地名であったらしいことがわかる(「黒瀬郷」『広島県の地名』平凡社)。