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史料紹介という修行

仏通寺住持記 その7

 「仏通寺住持記」 その7

 

 (1409)

 十六己丑 今年愚中和尚在金山賜紫方袍、八月念五日遷化、

      九月十三日勅諡仏徳大通禅師

 十七庚寅

 十八辛卯 留心和尚住 〈今年含暉院仏殿造立、棟札有之」

             大檀越越前作州太守沙弥常建〉

 十九壬辰

 二十癸巳

 二十一〈甲午〉 覚隠和尚住〈見于本」寺宝蔵〉 〈含暉」行翁〉良令 典座安心

                   (杣)

         八月念一日 昔仏殿始柮一衆普請

       (記)「二月十日辰時」

 二十二〈乙未〉 三月十一日卯時昔仏殿始番匠、三月念七日巳時

         立柱

 廿三丙申 覚隠和尚住 見于梁牌

      三月十一日卯時昔仏殿上棟、五月三日開堂、十月

      廿日午時本尊安座 大檀越平朝臣沙弥常建立ツ

 廿四丁酉

 

 「書き下し文」

 十六己丑、今年愚中和尚金山に在り、紫方袍を賜る、八月念五日遷化、九月十三日勅諡仏徳大通禅師、

 十七庚寅、

 十八辛卯、留心和尚住す、今年含暉院仏殿を造立す、棟札之有り、大檀越越前作州太守沙弥常建、

 十九壬辰、

 二十癸巳、

 二十一〈甲午〉、覚隠和尚住す、本寺宝蔵に見ゆ、含暉行翁良令、典座安心、八月念一日、昔の仏殿杣一衆普請を始む、

     (記)「二月十日辰の時」

 二十二〈乙未〉、三月十一日卯の時、昔の仏殿番匠を始む、三月念七日巳時立柱、

 廿三丙申、覚隠和尚住す、梁牌に見へたり、三月十一日卯の時、昔の仏殿上棟、五月三日開堂、十月廿日午の時本尊安座、大檀越平朝臣沙弥常建立つ

 廿四丁酉、

 

 「解釈」

 応永十六年(1409)己丑。今年愚中和尚金山天寧寺にいて、紫衣をいただいた。八月二十五日亡くなった。九月十三日、勅命によって仏徳大通禅師という諡が与えられた。

 十七年庚寅。

 十八年辛卯。留心和尚が住持に就任した。今年含暉院の仏殿を造立した。棟札に書いてある。大檀越越前作州太守沙弥常建(小早川則平)が建立した。

 十九年壬辰。

 二十年癸巳。

 二十一年甲午。覚隠和尚が住持に就任した。本寺宝蔵に書いてある。含暉院は行翁良令。典座は安心。八月二十一日、杣一衆が昔の仏殿用の材木伐採を始めた。

 二十二年乙未。二月十日辰の時、昔の仏殿の建設工事を始めた。三月二十七日巳の時、立柱が行なわれた。

 二十三年丙申。覚隠和尚が住持を勤める。梁牌に見えている。三月十一日卯の時、昔の仏殿の上棟が行なわれた。五月三日開堂した。十月廿日午の時本尊を安置した。大檀越平朝臣沙弥常建が建立した。

 二十四年丁酉。

 

  つづく