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仏通寺住持記 その9

 「仏通寺住持記」 その9

 

 (1423)

 三十癸卯

    安心庵主  道文書記  咸一侍者

                字東谷

    聖崗庵主  案捴上座  聖日庵主

    字笑花    字宝林

    祖間上座  真琢上座  真璨侍者

    永存蔵主  周竹侍者  禅慶上座

 仏通・天寧両寺住持老僧四員交代十二年後、此十二人次第可住持者也、

 依衆評議老僧四人加判、

 応永三十年三月十四日         玄胤 字ハ覚伝

                    〔慧〕

                  字宗綱 恵統 〈耆旧侍者」作州人〉

                    真知

                    清唯

 

 安心上座  道文書記  咸一侍者

    〔主〕

 永存蔵司  周竹侍者  禅慶上座

  仏通・天寧両寺住持、老僧四員交代十二年後、此六人次第可住持者也、

  依衆評議、老僧四人加判、

 応永三十年三月十四日

                    玄胤

                    〔慧〕

                    恵統

                    真知

                    清唯

 

 一 当寺住持可三年之規式

                〔二〕

   始於当年三月、至来々年三月、凡三十六月、

 一 番衆不懈怠

   若怠慢者不両寺門中出入

 一山中僧不無伴而出入

 一山中諸庵除含暉昭堂之外、不尼女出入

 一寺家自今以後、不自買田畠、但有檀方之置文其旨

  右件々以衆評議、永為仏通寺不易之規式

     応永三十年三月十四日     玄胤

                      〔慧〕

                    恵統

                    真知

                    清唯

 

 卅一甲辰  含暉塔主一咲

 

 「書き下し文」

  (前略)

 仏通・天寧両寺の住持、老僧四員交代する十二年後、此の十二人次第に住持せしむべき者なり、衆の評議に依りて老僧四人判を加ふ、

  (後略)

 

 仏通・天寧両寺の住持、老僧四員交代する十二年の後、此の六人次第に住持せしむべき者なり、衆の評議に依りて老僧四人判を加ふ、

 

  (前略)

 一つ、当寺住持三年の規式を守るべき事、

   当年三月に始まつて、来々年の二月に至る、凡そ三十六月、

 一つ、番衆懈怠有るべからざる事、

   若し怠慢せば両寺并びに門中の出入りを許すべからず、

 一つ、山中僧無伴にして出入るを許さざる事、

 一つ、山中の諸庵含暉昭堂を除いて外、尼女の出入りを許さざる事、

 一つ、寺家今より以後、自ら田畠を買ふ事を許さず、但し檀方の置文有らば、其の旨に随ふを許す、

 右の件々衆の評議を以て、永く仏通寺不易の規式と為す、

  (後略)

 

 卅一甲辰、含暉塔主一咲、

 

 「解釈」

  (前略)

 仏通寺・天寧寺両寺の住職は、我ら老僧四人(清唯ら3名・各任期3年)が交代で勤めた十二年後、この十二人が順次住持となるべきである。評定衆の評議により、我ら老僧四人が判を加える。

  (後略)

 

  (前略)

 仏通寺・天寧寺両寺の住職は、我ら老僧四人(清唯ら3名・各任期3年)が交代で勤めた十二年後、この六人が順次住職となるべきである。評定衆の評議により、我ら老僧四人が判を加える。

  (後略)

 

  (前略)

 一つ、当寺の住職は、在任三年間の規則を守らなければならないこと。

   当年三月から始まり再来年二月に至るまで、およそ三十六ヶ月。

 一つ、番衆は怠けてはならないこと。

   もし怠けたら、仏通寺・天寧寺両寺ならびにその門派の出入りを許してはならない。

 一つ、山中の僧侶は、供なく出入りするのを許してはならないこと。

 一つ、山中の諸庵は、含暉院・昭堂を除いて、尼女の出入りを許してはならないこと。

 一つ、寺家は今後、自ら田畠を買うことを許してはならない。ただし、檀那方の置文があれば、その取り決めに従うことを許す。

 右の条項は衆議によって、永久に仏通寺不変の規則とする。

  (後略)

 

 三十一年甲辰。含暉院塔主には一笑禅慶が就任した。

 

 「注釈」

*三十年の記事は、『仏通寺文書』9・10・11号とほぼ同文。

 

  つづく