周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

浄土寺文書62

    六二 足利尊氏寄進状

 

 寄進

  備後国浄土寺

   同国金丸・上山村地頭職并草村公文職事

 右為当国塔婆料所々寄附也、守先例、可致沙汰之状如件、

   1339

   暦応二年十月六日 在御判

 

 「書き下し文」

 寄進す

  備後国浄土寺

   同国金丸・上山村地頭職并びに草村公文職の事

 右当国塔婆料として所々を寄附するなり、先例を守り、沙汰致すべきの状件のごとし、

 

 「解釈」

 備後国浄土寺に寄進する、同国金丸・上山村地頭職ならびに草村公文職のこと。

 右、当国塔婆料所として、所々の権益を寄附するものである。先例を守り、領有しなさい。寄進状は以上のとおりである。

 

 

*『広島県重要文化財 浄土寺文書の世界』(ふくやま書道美術館、2017年、88・89頁)

中世の医療 Part7 付:食品保存法

中世の医療 Part7 付:食品保存法

  永禄十一年(1568)年五月二十一日条(『多聞院日記』2─72頁)

 

 廿一日、為養性薬種取寄了、百八十八文カケ也、薬屋甚介へ重テ可遣之、人参〈代八十文、」一両〉一段高直也、

 一串柿ヲ久ク置ニ虫クワヌ様、冬ノ寒夜ノ霜ニ一夜ソトヲキテウタセテ置、上々、

 一サウメンノ久ク置ニカヒテクサルニハ、上ニ樒ノ花ヲ一フサヲ置ハカヒス、上々、

 一ウトンノ粉ヲ子クサラセヌハ、クロ金ヲ入テ置也ト、

 一童部ノ夜シトタルヽ并シモ腹ナトニ、板ノ上ニスクニタヽセテ、竹ニテホソノ寸を取テ、又セナカヘアテヽ、セスチノホネノ上ホソノトヲリヲ十一火ホト焼テ上々、

 一毒ヲクヰタルカト疑フ時、器物ニ水ヲ入テツハキヲ吐ニ、毒クヰタレハ其ハク所ノツハキ水ノソコニシツム、毒クワ子ハシツマスシテウク也ト、

 一丹ノノトニセキテ、ステニ及迷惑ニ時ハ、クシカキヲヤキテソノマヽ湯ニ付テ、カミテソノユナカラノメハ上々、

    已上長印房ノ説、

 一ナツトウヲホシテ雨気ニシメラセヌ様、子タルナツトウニ塩ヲマスル時、能々塩ヲヰリテアツキ所ヲナツトウニマセテホシタレハ、アマケニモシメラヌ也ト、明禅房説、

 一銭瘡薬、大黄ヲコマカニスリテ、米ノ酢ニトキテ、竹ノ筒ニ入テ、赤石ヲ焼テソノアツキヲ中ヘ入テ、クツヽヽト云ワセテ薬ヲアタヽメテ付ハ、一付ニテ吉也ト、陽賢房説、

 

 「書き下し文」

 廿一日、養生のため薬種取り寄せ了んぬ、百八十八文掛けなり、薬屋甚介へ重ねて之を遣はすべし、人参〈代八十文、一両〉一段高直なり、

 一つ、串柿を久しく置くに虫食はぬ様、冬の寒夜の霜に一夜外置きて打たせて置く、上々、

 一つ、索麺の久しく置くに黴びて腐るには、上に樒の花を一房を置かば黴びず、上々、

 一つ、餺飥の粉を根腐らせぬは、鉄を入れて置くなりと、

 一つ、童部の夜尿垂るる并びに霜腹などに、板の上にすぐに立たせて、竹にて臍の寸を取りて、又背中へ当てて、背筋の骨の上臍の通りを十一火ほど焼きて上々、

 一つ、毒を食ひたるかと疑ふ時、器物に水を入れて唾を吐くに、毒食ひたればその吐く所の唾水の底に沈む、毒食はねば沈まずして浮くなりと、

 一つ、丹の喉に咳きて、既に迷惑に及ぶ時は、串柿を焼きてそのまま湯に付けて、噛みてその湯ながら飲めば上々、

    已上長印房の説、

 一つ、納豆を干して雨気に湿らせぬ様、子たる納豆に塩を混ずる時、能々塩を煎りて熱き所を納豆に混ぜて干したれば、雨気にも湿らぬなりと、明禅房の説、

 一つ、銭瘡薬、大黄を細かに擦りて、米の酢に溶きて、竹の筒に入れて、赤石を焼きてその熱きを中へ入れて、ぐつぐつと云わせて薬を温めて付けば、一つ付するにて吉なりと、陽賢房の説、

 

 「解釈」

 二十一日、養生のために薬の材料を取り寄せた。費用は百八十八文である。薬屋甚介へ再びこれを送らなければならない。人参は重さ一両につき八十文。一段と高値である。

 一つ。串柿を長く保管しておくとき、虫が食わないように、冬の寒い夜に一晩外に置いて、霜に打たせておく。このうえなくよいことだ。

 一つ。索麺を長く保管して黴びて腐るときには、上に樒の花を一房置くならば黴びない。このうえなくよいことだ。

 一つ。餺飥の粉を腐らせないためには、鉄を入れておくそうだ、と。

 一つ。子どものおねしょと寝冷えなどには、子どもを板の上にまっすぐ立たせて、竹で臍の寸法を計り、さらにその竹を背中に当てて、背骨の上の臍のちょうど反対の場所を十一回ほど火で焼くと、このうえなくよい。

 一つ。毒を食べたのではないかと疑うときは、器に水を入れて唾を吐くと、毒を食べていたら、その吐いた唾は水の底に沈む。毒を食べてないならば、沈まずに浮くそうだ、と。

 一つ。痰が喉に詰まって咳き込んで、ちょうど迷惑しているときは、串柿を焼いてそのまま湯に浸けて、噛んでその湯と一緒に飲めば、このうえなくよい。

    已上長印房の説。

 一つ。納豆を干して雨気で湿らせないようにするため、こねた納豆に塩を混ぜるとき、十分に塩を火で炙って熱くなったものを納豆に混ぜて干すと、雨気でも湿らないそうだ、と。明禅房の説。

 一つ。たむしの薬。唐大黄を細かくすり潰して、米の酢で溶いて、竹の筒に入れて、赤い石を焼いてその熱くなったもの竹筒の中に入れて、ぐつぐつといわせて、薬を温めて付けると、一度付けるだけで、このうえなくよいという。陽賢房の説。

 

 

【コメント】

 今回の記事は、中世寺院に伝わる民間療法の第7弾です。それと同列に、食品の保存法も記してありました。当時の僧侶たちが医食同源という考え方をもっていたのかどうかは知りませんが、食品を安全に長期保存する知識は、医療や薬学の知識と同じくらい大切なものだったと考えられます。

浄土寺文書61

    六一 光厳院院宣

 

 備後国浄土寺塔婆事、為 勅願之儀、遂修造之功、殊可奉祀天下泰平者、院宣如此、仍執達如件、

   1339      (勧修寺)

   暦応二年六月一日 按察使経顕奉

  空教上人御坊

 

 「書き下し文」

 備後国浄土寺塔婆の事、勅願の儀として、修造の功を遂げ、殊に天下泰平を奉祀すべしてへれば、院宣此くのごとし、仍て執達件のごとし、

 

 「解釈」

 備後国浄土寺塔婆のこと。勅願の事業として修造をおこない、とくに天下泰平のために祀り申し上げよ。というわけで、院宣はこのとおりである。よって、以上の命令を下達する。

 

 

*『広島県重要文化財 浄土寺文書の世界』(ふくやま書道美術館、2017年、88頁)

浄土寺文書59・60

    五九 杉原泰綱請文

 

        (御調郡)

 浄土寺領備後国因島地頭職事、去二月十九日将軍家安堵御下文并今月四日御教書謹拜見仕候了、任被仰下之旨、太田弥五郎相共莅彼所、打渡下地、仍為俊請取執進之候、以此旨可有御披露候、恐惶謹言、

     1336           (路)    請文

     建武三年三月七日     淡治守平泰綱(裏花押)

 

 「書き下し文」

 浄土寺領備後国因島地頭職の事、去んぬる二月十九日将軍家安堵御下文并びに今月四日御教書謹んで拜見仕り候ひ了んぬ、仰せ下さるるの旨に任せ、太田弥五郎と相共に彼の所に莅み、下地を打ち渡す、仍て為俊の請取之を執り進らせ候ふ、此の旨を以て御披露有るべく候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

 浄土寺領備後国因島地頭職のこと。去る二月十九日付の将軍家安堵の御下文と今月四日付の御教書を謹んで拜見しました。ご命令になった任務のとおりに、太田弥五郎と一緒に因島に行き、浄土寺雑掌為俊に下地を引き渡す。そうして為俊の請取状を受け取って進上いたします。この契約内容をご披露になってください。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

*「去二月十九日将軍家安堵御下文」は「足利尊氏寄進状」(九号文書)、「今月四日御教書」は「畠山貞国細川顕氏連署執行施行状」(五七号文書)のことか。

 

 

 

    六〇 三善貞冬請文

 

 (端裏書)

 「       建武三三十六

  大田弥五郎注進      」

        (御調郡)

 浄土寺領備後国因島地頭職事、 将軍家安堵并今月四日任御施行之旨、杉原淡路(泰綱)守相共莅彼所、打渡下地於雑掌畢、仍請取状取進之候、以此旨可有御披露候、恐惶謹言、

     1336

     建武三年三月六日 (附箋)

              「大田弥五郎殿」

                 三善貞冬(花押)

   進上  御奉行所

        ◯本文書ノ真中辺ノ裏ニ花押アリ

 

 「書き下し文」

 浄土寺領備後国因島地頭職の事、将軍家安堵并びに今月四日御施行の旨に任せ、杉原淡路守と相共に彼の所に莅み、下地を雑掌に打ち渡し畢んぬ、仍て為俊の請取之を執り進らせ候ふ、此の旨を以て御披露有るべく候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

 浄土寺領備後国因島地頭職のこと。将軍家安堵状と今月四日付の御施行状の内容のとおりに、杉原淡路守泰綱とともに因島に行き、下地を雑掌に引き渡します。そうして為俊の請取状を受け取ってそちらに進上いたします。この契約内容をご披露になってください。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

*「将軍家安堵」は「足利尊氏寄進状」(九号文書)、「今月四日御施行」は「畠山貞国細川顕氏連署執行施行状」(五八号文書)のことか。

浄土寺文書57・58

    五七 畠山貞国細川顕氏連署執行施行状

 

             (御調郡)    (泰綱)

 浄土寺雑掌為俊申、備後国因島事、早杉原淡路守相共莅彼所、任安堵状之旨、沙汰付為俊、可被執進請取之状如件、

     1336

     建武三年三月四日      源貞国(花押)

                   源顕氏(花押)

     (三善貞冬)

     大田弥五郎殿

 

 「書き下し文」

 浄土寺雑掌為俊申す、備後国因島の事、早く杉原淡路守と相共に彼の所に莅み、安堵状の旨に任せ、為俊に沙汰し付け、請取を執り進らせらるべきの状件のごとし、

 

 「解釈」

 浄土寺雑掌の為俊が訴え申す備後国因島のこと。早く杉原淡路守泰綱とともにそこに行き、安堵状の内容のとおりに、為俊に引き渡し、為俊の請取状を受け取ってこちらに進上してください。施行状は以上のとおりです。

 

 

    五八 畠山貞国細川顕氏連署執行施行状

 

             (御調郡)  (三善貞冬)

 浄土寺雑掌為俊申、備後国因島事、早大田弥五郎相共莅彼所、任安堵状、沙汰付為俊、可被執進請取之状如件、

     1336

     建武三年三月四日      源貞国(花押)

                   源顕氏(花押)

       (泰綱)

     杉原淡路守殿

 

 「書き下し文」

 浄土寺雑掌為俊申す、備後国因島の事、早く大田弥五郎と相共に彼の所に莅み、安堵状に任せ、為俊に沙汰し付け、請取を執り進らせらるべきの状件のごとし、

 

 「解釈」

 浄土寺雑掌の為俊が訴え申す備後国因島のこと。早く三善貞冬とともにそこに行き、安堵状のとおりに、為俊に引き渡し、為俊の請取状を受け取ってこちらに進上してください。施行状は以上のとおりです。