周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

喋る芋かも?

  元亀二年(一五七一)三月二十日条(『多聞院日記』2─226頁)

 

   廿日

  近暁夢ニ、鳥ヲトラエシニ、芋カモト云カモ也ト申、奇代ノ鳥也ト思シニ、物ユウ間尋之、此秋いなやニハ何かあるへきそ、草はかり、又尋云、夏の日ハてるや、鳥答云、丸ひてり、又尋云、経をよミたりとも、ひてりならは、屋のふせもあるましき哉、鳥答云、所ニよりてふせハありと、如此申と見て覚了、

 

 「書き下し文」

  近き暁夢に、鳥を捕らえしに、芋鴨と云ふ鴨なりと申す、奇代の鳥なりと思ひしに、物言う間之に尋ぬ、此の秋稲屋には何かあるべきぞ、草ばかり、又尋ねて云く、夏の日は照るや、鳥答へて云く、丸日照り、又尋ねて云く、経を読みたりとも、日照りならば、屋のふせもあるまじきか、鳥答へて云く、所によりてふせはありと、此くのごとく申すと見て覚め了んぬ、

 

 「解釈」

  最近の明け方に見た夢で、鳥を捕らえたところ、その鳥は芋鴨という鴨である、と(捕らえた人物が)申し上げた。珍しい鳥だと思っていたところ、言葉を話すのでこの鳥に尋ねた。「この秋、稲屋には何が保管されるだろうか」と。「草だけだ(稲の収穫はない・不作だ)」と答えた。さらに尋ねて言うには、「夏の日は日照りになるか」と。鳥が答えていうには、「ずっと日照りが続く」と。さらに尋ねていうには、経を読んだとしても、日照りが続くならば、屋のふせ?もないだろうか」と。鳥が答えていうには、「所によってはふせ?はある」と。このように申すと見て、夢は覚めた。

 

 「注釈」

「屋のふせ」─未詳。

 

 

【コメント】

 この夢、さっぱり意味がわかりません。まず、「芋かも」ですが、珍しい「鳥」だと説明されているので、「芋鴨」と字を当てておきました。ですが、どのような種類の鴨を指すのかよくわかりません。

 次に、この芋鴨は喋る鳥だということなのですが、なぜ記主の英俊は、「この秋、稲屋には何が保管されるだろうか」、「夏の日は日照りになるか」などという、稲作に関わる質問をしたのでしょうか。他にも質問するべきことはありそうですが、この記事が書かれた三月下旬にもなると、稲作のことが気になったのでしょうか。それとも、鴨は稲作と深い関わりのある鳥だったのでしょうか。

 実は、豊臣秀吉が現代の合鴨農法のようなことを推奨していた、という伝承が残っているそうです(https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010730469)。正確には、鴨ではなくてアヒル(家鴨)ですが。今回の記事が書かれたのは元亀二年(一五七一)ですから、ちょうど秀吉が活躍していた頃の史料ということになります。ひょっとすると、当時の農民たちは、虫追いのために積極的に鴨を活用していたのかもしれません。そして、そのことを知っていたからこそ、記主の英俊は「芋鴨」に稲作に関する質問をした、などと夢分析をしてみました。

浄土寺文書65

    六五 杉原光房奉書

 

 備後国浄土寺雑掌寂明申、塔婆料所当国上山村・草村・櫃田村等地頭職事、副状〈副具書〉如此、築地六郎次郎秀国・三吉鍛冶屋弥四郎以下輩、致横暴狼藉云々、所申無相違者、可退彼妨、若又有子細者、可参決之旨相触之、載起請之詞、可注申之状、依仰執達如件、

     1351          (杉原光房)

     観応二年七月六日      散位(花押)

        (盛重)

      宮下野権守殿

 

 「書き下し文」

 備後国浄土寺雑掌寂明申す、塔婆料所当国上山村・草村・櫃田村等地頭職の事、副状〈具書を副ふ〉此くのごとし、築地六郎次郎秀国・三吉鍛冶屋弥四郎以下の輩、押妨狼藉を致すと云々、申す所相違無くんば、彼の妨げを退くべし、若し又子細有らば、参決すべきの旨之を相触ふ、起請の詞を載せ、注申すべきの状、仰せにより執達件のごとし、

 

 「解釈」

 備後国浄土寺雑掌寂明が訴え申す、塔婆料所当国上山村・草村・櫃田村等地頭職のこと。副状〈証拠書類を副えている〉はこのとおりである。築地六郎次郎秀国・三吉鍛冶屋弥四郎以下の輩が押妨狼藉をするという。訴え申すことに間違いがなければ、彼らの押妨を退けなければならない。もし再び異議を申すことがあれば、法廷に参って対決せよと告知した。誓約の言葉を記載して注進せよということを、ご命令により下達する。

浄土寺文書64

    六四 工藤右衛門尉施行状

 

                          (三次郡)

 備後国浄土寺雑掌寂明申、塔婆料所当国上山村・草村・櫃田村等地頭職事、副状〈副具書〉如此、築地六郎次郎秀国・三吉鍛冶屋弥四郎以下輩致横暴狼藉云々、所申無相違者、任去月廿九日御奉書之旨、可退彼妨、若又有子細者、可参決之旨相触之、載起請之詞、可注申之状如件、

     1351

     観応二年七月六日      右衛門尉(花押)

      有田三郎左衛門尉殿

 

 「書き下し文」

 備後国浄土寺雑掌寂明申す、塔婆料所当国上山村・草村・櫃田村等地頭職の事、副状〈具書を副ふ〉此くのごとし、築地六郎次郎秀国・三吉鍛冶屋弥四郎以下の輩押妨狼藉を致すと云々、申す所相違無くんば、去月廿九日御奉書の旨に任せ、彼の妨げを退くべし、若し又子細有らば、参決すべきの旨之を相触ふ、起請の詞を載せ、注申すべきの状件のごとし、

 

 「解釈」

 備後国浄土寺雑掌寂明が訴え申す、塔婆料所当国上山村・草村・櫃田村等地頭職のこと。副状〈証拠書類を副えている〉はこのとおりである。築地六郎次郎秀国・三吉鍛冶屋弥四郎以下の輩が押妨狼藉をするという。訴え申すことに間違いがなければ、去る六月二十九日の御奉書の内容のとおりに、彼らの押妨を退けなければならない。もし再び異議を申すことがあれば、法廷に参って対決せよと告知した。誓約の言葉を記載して注進するように命ずる。

 

 「注釈」

「去月廿九日御奉書」─六五号文書。

浄土寺文書63

    六三 高師泰書下案

 

   (品治郡宮内)

 備後国吉備津宮供菜人等、依漁船事、擬奉振神輿於尾道浦浄土寺云々、為事実者、甚不穏便、所詮止強々沙汰、可注申子細之旨、可相触社人等之状如件、

   1346

   貞和二年十二月廿一日  越後守御判

   佐々布次郎左衛門尉殿

 

 「書き下し文」

 備後国吉備津宮供菜人ら、漁船の事により、神輿を尾道浦浄土寺に振り奉らんと擬すと云々、事実たらば、甚だ穏便ならず、所詮強々の沙汰を止め、子細を注申すべきの旨、社人らに相触るべきの状件のごとし、

 

 「解釈」

 備後国吉備津宮供菜人らが、漁船のことで神輿を担いで尾道浦浄土寺で暴れ申し上げようとするという。事実であるならば、ひどく穏やかでない。こうなったからには、強訴を止め、詳しい事情を注進せよ、と社人らに告知しなければならない。以上のことを下達する。

 

 

*『広島県重要文化財 浄土寺文書の世界』(ふくやま書道美術館、2017年、91頁)

浄土寺文書62

    六二 足利尊氏寄進状

 

 寄進

  備後国浄土寺

   同国金丸・上山村地頭職并草村公文職事

 右為当国塔婆料所々寄附也、守先例、可致沙汰之状如件、

   1339

   暦応二年十月六日 在御判

 

 「書き下し文」

 寄進す

  備後国浄土寺

   同国金丸・上山村地頭職并びに草村公文職の事

 右当国塔婆料として所々を寄附するなり、先例を守り、沙汰致すべきの状件のごとし、

 

 「解釈」

 備後国浄土寺に寄進する、同国金丸・上山村地頭職ならびに草村公文職のこと。

 右、当国塔婆料所として、所々の権益を寄附するものである。先例を守り、領有しなさい。寄進状は以上のとおりである。

 

 

*『広島県重要文化財 浄土寺文書の世界』(ふくやま書道美術館、2017年、88・89頁)