中世の医療 Part7 付:食品保存法
永禄十一年(1568)年五月二十一日条(『多聞院日記』2─72頁)
廿一日、為養性薬種取寄了、百八十八文カケ也、薬屋甚介へ重テ可遣之、人参〈代八十文、」一両〉一段高直也、
一串柿ヲ久ク置ニ虫クワヌ様、冬ノ寒夜ノ霜ニ一夜ソトヲキテウタセテ置、上々、
一サウメンノ久ク置ニカヒテクサルニハ、上ニ樒ノ花ヲ一フサヲ置ハカヒス、上々、
一ウトンノ粉ヲ子クサラセヌハ、クロ金ヲ入テ置也ト、
一童部ノ夜シトタルヽ并シモ腹ナトニ、板ノ上ニスクニタヽセテ、竹ニテホソノ寸を取テ、又セナカヘアテヽ、セスチノホネノ上ホソノトヲリヲ十一火ホト焼テ上々、
一毒ヲクヰタルカト疑フ時、器物ニ水ヲ入テツハキヲ吐ニ、毒クヰタレハ其ハク所ノツハキ水ノソコニシツム、毒クワ子ハシツマスシテウク也ト、
一丹ノノトニセキテ、ステニ及迷惑ニ時ハ、クシカキヲヤキテソノマヽ湯ニ付テ、カミテソノユナカラノメハ上々、
已上長印房ノ説、
一ナツトウヲホシテ雨気ニシメラセヌ様、子タルナツトウニ塩ヲマスル時、能々塩ヲヰリテアツキ所ヲナツトウニマセテホシタレハ、アマケニモシメラヌ也ト、明禅房説、
一銭瘡薬、大黄ヲコマカニスリテ、米ノ酢ニトキテ、竹ノ筒ニ入テ、赤石ヲ焼テソノアツキヲ中ヘ入テ、クツヽヽト云ワセテ薬ヲアタヽメテ付ハ、一付ニテ吉也ト、陽賢房説、
「書き下し文」
廿一日、養生のため薬種取り寄せ了んぬ、百八十八文掛けなり、薬屋甚介へ重ねて之を遣はすべし、人参〈代八十文、一両〉一段高直なり、
一つ、串柿を久しく置くに虫食はぬ様、冬の寒夜の霜に一夜外置きて打たせて置く、上々、
一つ、索麺の久しく置くに黴びて腐るには、上に樒の花を一房を置かば黴びず、上々、
一つ、餺飥の粉を根腐らせぬは、鉄を入れて置くなりと、
一つ、童部の夜尿垂るる并びに霜腹などに、板の上にすぐに立たせて、竹にて臍の寸を取りて、又背中へ当てて、背筋の骨の上臍の通りを十一火ほど焼きて上々、
一つ、毒を食ひたるかと疑ふ時、器物に水を入れて唾を吐くに、毒食ひたればその吐く所の唾水の底に沈む、毒食はねば沈まずして浮くなりと、
一つ、丹の喉に咳きて、既に迷惑に及ぶ時は、串柿を焼きてそのまま湯に付けて、噛みてその湯ながら飲めば上々、
已上長印房の説、
一つ、納豆を干して雨気に湿らせぬ様、子たる納豆に塩を混ずる時、能々塩を煎りて熱き所を納豆に混ぜて干したれば、雨気にも湿らぬなりと、明禅房の説、
一つ、銭瘡薬、大黄を細かに擦りて、米の酢に溶きて、竹の筒に入れて、赤石を焼きてその熱きを中へ入れて、ぐつぐつと云わせて薬を温めて付けば、一つ付するにて吉なりと、陽賢房の説、
「解釈」
二十一日、養生のために薬の材料を取り寄せた。費用は百八十八文である。薬屋甚介へ再びこれを送らなければならない。人参は重さ一両につき八十文。一段と高値である。
一つ。串柿を長く保管しておくとき、虫が食わないように、冬の寒い夜に一晩外に置いて、霜に打たせておく。このうえなくよいことだ。
一つ。索麺を長く保管して黴びて腐るときには、上に樒の花を一房置くならば黴びない。このうえなくよいことだ。
一つ。餺飥の粉を腐らせないためには、鉄を入れておくそうだ、と。
一つ。子どものおねしょと寝冷えなどには、子どもを板の上にまっすぐ立たせて、竹で臍の寸法を計り、さらにその竹を背中に当てて、背骨の上の臍のちょうど反対の場所を十一回ほど火で焼くと、このうえなくよい。
一つ。毒を食べたのではないかと疑うときは、器に水を入れて唾を吐くと、毒を食べていたら、その吐いた唾は水の底に沈む。毒を食べてないならば、沈まずに浮くそうだ、と。
一つ。痰が喉に詰まって咳き込んで、ちょうど迷惑しているときは、串柿を焼いてそのまま湯に浸けて、噛んでその湯と一緒に飲めば、このうえなくよい。
已上長印房の説。
一つ。納豆を干して雨気で湿らせないようにするため、こねた納豆に塩を混ぜるとき、十分に塩を火で炙って熱くなったものを納豆に混ぜて干すと、雨気でも湿らないそうだ、と。明禅房の説。
一つ。たむしの薬。唐大黄を細かくすり潰して、米の酢で溶いて、竹の筒に入れて、赤い石を焼いてその熱くなったもの竹筒の中に入れて、ぐつぐつといわせて、薬を温めて付けると、一度付けるだけで、このうえなくよいという。陽賢房の説。
【コメント】
今回の記事は、中世寺院に伝わる民間療法の第7弾です。それと同列に、食品の保存法も記してありました。当時の僧侶たちが医食同源という考え方をもっていたのかどうかは知りませんが、食品を安全に長期保存する知識は、医療や薬学の知識と同じくらい大切なものだったと考えられます。