2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧
解題 山野井氏は中世には能美氏を称し、おそらく能美島生え抜きの庄官武士の系譜を引くものとみられるが、伊予方面との交渉が深く、長年にわたって河野氏一族と再三の婚姻関係を重ねた結果であろうか、現存の系図では河野氏の支族とされており、河野秀清の子…
四三 本尊點眼回向法語 (端裏書) 「佛工大宮 本尊安座點眼回向 金岡和尚御自筆」 仰惟三寶 俯埀昭鑒 (金岡) 大日本國安芸州佐西郡應龍山洞雲禅寺住持比丘用兼普勧二 諸大旦那貴賤道俗上下 男女之結縁一、募二浄財一以奉二彫刻釈迦文佛佛文殊普賢大權逹磨…
文安四年(1447)五月一日条 (『建内記』8─122) 一日、壬辰、晝雨、 (中略) 政所 (貞國) 伊勢入道眞蓮許へ女房十六七歳ナルカ於庭徘徊、老若成畏怖、又狂人かと尋之、彼 (足利義教) 云、非物狂也、我ハ普廣院殿御使也ト云、其證如何ト問ケレ…
四二 毛利秀元書状 (輝元) 呉々、殿様御判物一通令二拜見一、則返進候、 洞雲寺并末寺等之儀、代々任二證文之旨一、播書記へ可レ有二与逹一之由、得二其 (毛利輝元)(穂田) 意一候、宰相様元清御帰朝之時、御判等申調可二進レ之置一候、聊不レ可レ有二…
四一 洞雲寺賢逹寺領付立案 (端書) 「此目録者、元清ヨリ吉田之輝元へ被上候、爲二向後一之重書へ相添置也、」 洞雲寺領之事 雲室壽慶之位牌免 一佐方清末之内五貫百目 興藤之位牌免 一宮内東光寺分四貫三百目 松岩之位牌免 一坪井之内薬師寺分五貫七百目 …
四〇 穂田元清書状 ○東大影冩本ニヨル (毛利元就) 態令二啓上一候、爲二洞春様仁御意一一寺建立仕度覚悟候、然間箕平本多田之内満願 寺領田壹町小分錢四貫八百文目致二寄進一候、内々可レ被レ成二御心得一候、何茂 連々可レ得二御意一候、恐惶謹言、 二月…
文安四年(1447)三月二十一日条 (『建内記』8─41) 廿一日、壬子、天霽、 (中略) 今夜向寺門、初夜如法念仏聴聞之、大炊御門前内大臣信、参会、於同局聴聞之、彼仏 事料貳百疋、・諷誦文一通・麻布代百疋、被送之、依親懇之舊好也、 初夜了唐人於…
三九 穂田元清書状(切紙) (包紙ウハ書) 「 治部大輔 洞雲寺尊報 元清」 其以来依レ爲二遠境一絶二音問一候之處、預二貴翰再三一令二拜披一候、殊更両種被レ (宗用) 懸二御意一候、御厚情之至本懐候、貴寺之御事、全室和尚被レ任二御与奪之旨一、 被レ…
三八 毛利輝元書状 先度者洞春寺御越之由候、對二我等一快然之至候、向後常令二来臨一給候者、尤可レ 爲二本望一候、恐々謹言、 三月十日 輝元(花押) 洞雲寺床下 「書き下し文」 先度は洞春寺に御越しの由候ふ、我等に對して快然の至りに候ふ、向後常に来…
三七 毛利輝元安堵状 安芸國佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領之事、任二代々證文之 (友田) 旨一諸役等令二免許一訖、并興藤寄進之地坪附別在之 等之事、以二宗用和尚譲状之 辻一、執務領掌不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1580) 天正…
文安四年(1447)三月十四日条 (『建内記』8─32) 十四日、乙巳、天霽、 (中略) 傳聞、中御門大納言宗継卿、新妻者、月輪右衛門督家輔卿、息女也、元爲喝食在光香 院〈二条家門内也〉、宗継卿⬜︎[ ]許見付之、奪取令同輿、入室作女房、不可説事 …
三六 穂田元清書状 (端裏書) 「 四郎 洞雲寺 衣鉢閣下 元清」 (全室) (毛利元就)(毛利隆元) 藝州佐西郡佐方村洞雲寺領之事、先住宗用御与奪之上者、任二 洞春寺殿常栄寺殿 殊輝元御判形之旨一、無二相違一有二御知行一、御寺家御建立并勤行等、無二…
三五 毛利元就同輝元連署安堵状 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満薬師寺領、同永興寺領之事、任二代々證文 (友田) 旨一諸役等令二免除一畢、并興藤寄進地坪付在レ之、執務領掌不レ可レ有二相違一之状 如レ件、 (1571) 元亀貳年卯月九日 輝元(花押) …
三四 新里元勝下地引渡證文 (端裏書) 「坪井永代也」 永代本銭返下地之事 合米坪井年貢舛三斗入五拾貳俵一斗六舛請取申所実也、并爲二礼銭一廿貫文請取申 候畢、 右引渡申候下地之坪本者、芸州佐西郡坪井村之内、坪本一所大畠五百田一段、一所 (垣) 衛門…