己斐文書(完)
一五 毛利輝元假名書出(折紙) 任 惣兵衛尉 (1571) 元龜二年十二月廿一日 輝元(花押) *書き下し文・現代語訳は省略します。 「注釈」 「仮名書出」 ─「仮名(けみょう)」は、武士が実名の他につけた名前(『日本国語大辞典』)で、主君に当たる人物が…
一四 毛利隆元宛行状 (玖珂郡) 於二防州岩國一分錢七貫百目、爲二給地一遣置候、全可二知行一候、仍一行如レ件、 隆元(花押) 弘治三 九月十八日 ○宛名ヲ欠ク 「書き下し文」 防州岩国に於いて分銭七貫百目、給地として遣はし置き候ふ、全く知行すべく候…
一三 光珍請文 三たの(正覚) (道) しやうかく寺の御事ハ、代々申をかるゝしたい候によて、入たうのしやうかく寺をと (坊主) (仰) りたて申候、代々はうすのをほせおかれて候ハん寺しきの事、いけいきにおよひ候 (周防守) (文書) はゝ、御そうり…
一二 厳島社神主藤原了親(親詮)書状 御礼委細承了、 抑舊冬入二見参一申奉之条、于レ今難レ忘悦入候、自然之御次者可レ有二御尋一候、 又御茶大勢賜候之条、返々喜入候、自二當方一こそ可レ進候ニ、結句送給候之条 難二申盡一候、委細定荘原坊主御物語候歟…
一一 光珍寄進置文 (神領) (土橋)(湯屋谷) 御しんりやうの内三田しんしやう下村のうち、つちハしゆやたにゝさきたち候て、 (正覚) た二たんきしん申候き、かさねて彼所のうちの田二たん、しやうかく寺へきしんた てまつり候なり、もし寺りやうの田は…
一〇 前能登守親冬寄進状 寺⬜︎修理之時ハ面々人夫御出候て可レ有二修理一候、親冬も人夫以下可二進上仕一候 也、 畏申入候、 抑眞如庵 成佛寺 引導寺 常楽寺 念福寺 万福寺寺領等、私之用要仁不レ可レ (反ヵ) (以) 有⬜︎⬜︎態申事候、但公方事社役⬜︎下事ハ…
九 前能登守親冬寄進状 安藝国三田新庄下村内寺原之良心知行分⬜︎⬜︎田一反、寄進申候由申候者間、親冬 (地) 寄進申候也之内一反者、道専之位拜料處寄進申處也、 一土橋湯屋谷田二反 本眞如庵敷地畠 同林之内田一反 妙光之位拜料處、岡之當庵 敷地畠寄進申處…
八 前能登守親冬寄進状 (牌) 安藝国三田新庄下村栗原之内池坪田一反、道専并栗原右京助親家之二親爲二位拜 (違) (親房) 料處一眞如庵寄進申處也、若彼所韋乱之於二友族一者、親冬之嫡子宮内少輔可レ致二 其沙汰一状如レ件、以二此旨一可レ有二御披露一…
七 前能登守親冬寄進状 (三) 安藝国⬜︎田新庄下村内成佛寺々領等事、親候物良阿依二⬜︎進申一、田畠林以下親冬 (申處) (違) 寄進⬜︎⬜︎也、若於二⬜︎乱友族一者、親冬之嫡子宮内少輔親房可レ致二其沙汰一、坊主 (持) 御死去之後者、住地可レ爲二御計一候…
六 前能登守親冬寄進状 安藝国厳島御神領内三田新庄下村内正覚寺寄進申候田畠林事 一所 眞如庵敷地畠林之内壹反 一所 湯屋谷田貳反 (峠) 一所 眞木かたをに田壹反 同所林屋敷一所 一所 栗原内池坪田壹反 寄進申候也、 若於二親冬子孫一違乱申者候者、惣領…
五 中務少輔親冬寄進状 畏申入候、 下栗原之内田一反進上仕候、親冬⬜︎⬜︎子孫者彼田異儀申候者、可レ有二不孝友 (族) (競望) から一候、就レ其眞如庵奉二請之一、於二御寺領一愚身之子孫親類けいはう成申物 候者、可レ有二不孝仁一候、爲レ後如レ此申入候…
四 良親寄進状 (端裏) (う) 「ほうせいの御きしんしや⬜︎」 安藝國三田新庄下村内ほうせいの田畠栗林の事 成佛寺のほん寺りやうとともに、しんによあんそううん僧へ永代き進したてまつり候 也、かもんのすけ入道道秀禅門の菩提所として取興行可レ有候、惣…
三 掃部頭親貞譲状 (奉請) ゆつりわたすあきのくに三田しんしやうのうちほうせい田はたけはやし、ふさいちよ まつによにゆつりわたすものなり、いちこののちハ親貞かほたいそとして、しそんの あとをとふらうへし、 (境) 右このところのさかへの事、かミ…
二 慈雲譲状 (ゆつり) [ ]わたす入たうさこのやまはやしはたけこ田の事 (手) (限) 右かの入たうさこは、こ入たうとのゝ御てより、ゑいたいをかきりてゆつりゆるとこ (甥) (蔵) ろ也、しかるをおなしをいなからくら人二らうにふちされ、心やすく…
解題 南北朝時代十三通、戦国時代二通からなる。前者は厳島社領であった高田郡三田新庄下村の在地の状況を示す文書で、譲状三通、寄進状七通を含んでいる。後者は毛利氏からの宛行状と仮名書出である。 本文書は三田村(広島市白木町)の正覚寺に伝来した文…