2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧
文安五年(1448)七月二十五日条 (『康富記』2─315) 廿五日己酉 晴、於三福寺講述而篇了、 傳承分、今朝飯尾四郎右衛門尉遁世云々、加賀入道次男也、此間與細河讃州被官人、 有公事之子細、一昨日屬無為分也、尚有其憤之故歟如何、其謂聞及分ハ、…
小童祗園社由来拾遺伝 その7 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 貧道生質愚昧にして」目睫さへ見ること不叶、…
小童祗園社由来拾遺伝 その6 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 又伝ふ素盞嗚尊の御童児の御時は」御名を牛頭…
小童祗園社由来拾遺伝 その5 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 于茲当山に金牛正銀と云者あり」十方勤化して…
小童祗園社由来拾遺伝 その4 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 又山かつの昔語ニ素盞嗚尊ハ」伊弉議尊の第四…
小童祗園社由来拾遺伝 その3 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 人王四十九代」光仁天皇御宇宝亀二年辛亥」詔…
小童祗園社由来拾遺伝 その2 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 時に前なる」松の樹小鳩壱つがひ来り、是より…
【参考史料1】 小童祗園社由来拾遺伝 その1 「解説」(『甲奴町誌』資料編一、一九八八) この記録は小童祇園(現在の須佐神社)の神宮寺別当(貧道か)が小童祇園社の由来にかかわる種々の伝承を書き遺したものである。「二、須佐神社縁起」と同じ内容の…
文安五年(1448)五月二日条 (『康富記』2─289頁) 二日丁亥 晴、 (中略) 一昨日室町殿祗候了、其時分、自大方殿、椿枝ニ餅之生タル被送進之間、人々稱奇異 見了、同於御前拜見之由令語給、此椿樹ハ嵯峨雲居庵之庭之椿也、赤キ餅ノちいさき が出…
一 須佐神社縁起 その5 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 一ひごのくにせらごおりひち村、むとうざんきおんしやふじやこずてんのふちん ざしだいき 座次第記 さんじや おうミやうちこさつす ひかしにじやどくきちんてんのふ、…
一 須佐神社縁起 その4 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (讃岐) 太郎王子、そふかふてんのふ、さぬきの國たきのやしろ、こすてんのふ、 (本) (日光菩薩) (大歳神) (魔王天王) ほん地につかふぼさつ、だいさいぢん…
一 須佐神社縁起 その3 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 いそ もちゆき (疑) 一ふてあそばし給はゝ、急ぎ持行娘と娵とにかけけれバ、うたがいなくたすかり、 のかる 遁るものなり、 (札守) (立) (弓) こたん將來處に…