2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧
三 小早川隆景書状寫 猶々一二ヶ条、次而なから此者申聞候、可レ有二分別一事干要ニ候、 其方數年之忠儀辛労之段、誠ニ無二比類一候、内々雖下無二忘却一候上、あまり心安 思候て、無二申聞儀一候、弥別而大小事及レ心長久可二相替一事干要ニ候、然間焼山 之…
二 豊臣氏奉行人連署書状(切紙) 従二 関白様之御使丹羽五平次殿歸朝候一、人數拾九人小荷駄壹疋さきゝゝ送之 儀、被レ入二御念一使夫ニ可レ有二御申付一候、五平次殿乗馬并小荷駄等之儀、 さきゝゝの城迄、御馳走肝要候、恐々謹言、 増田右衛門尉 二月二日…
解題 田中氏は長浜の神職をつとめる。本文書の伝来関係については明らかでない。 一 豊臣氏奉行連署書状(切紙) ◯以下三通ハ、東大影寫本ニヨル 其方御代官所此方ゟ、近年者以二金銀米一被二召置一候へ共、自今以後者公用にて、 百姓於レ被二取納一、可レ有…
二 安藝国佐西郡寺田村打渡坪付寫 神領寺田村之内 (割書)「打渡坪付」 おき田 田四反 米貳石五斗 惣兵衛 きしの下 田貳反 米壹石四斗 同 人 よこたけ (米) 田壹反小 ⬜︎九斗 同 人 にし (米) 田貳反 ⬜︎壹石六斗 同 人 同所 田貳反小 米壹石七斗 同 人 …
解題 山県郡穴村(加計町)の地は古くは佐伯郡に属していた。この地の小田氏は源頼政の二男山県先生国政の後といい、国政は美濃国山県郡を経て、治承四年(一一八〇)安芸国豊田郡へ来住し、後に穴村へ移ったという。 西村氏は小田氏の女が嫁したことから親…
宝徳三年(1451)九月十三日条 (『康富記』3─278頁) 十三日戊申 晴、 (中略) 是日或語云、今月七日就春日神木御入洛事、被制止之由、綸旨御教書等被成下南都、 使節奉行三人下向之日、朝之程、於宇治邊、自或藪中猪走出、(割書)「自元負手歟 …
一 五行祭文 その7 (衆生) (佛體) (具足) されハしゆしやうハもとよりふつたいなり、三しんおくそくせり、いかなる (悪霊) (悪) (悪魔)(悪)(邪魔)(外道) ゑ あくりやうあく鬼あくまあく神しやまけとうもそのたよりおへからす、仏神とも …
一 五行祭文 その6 (抑) (行) (木) (阿閦佛) (招提龍) そもゝゝかの五きやうのはしめもく神と申ハ、東方あしゆくふつしやうたいりう王と (現) (青)(色) (以) (春) (甲)(乙) (領) (火) けんし、あおきいろおもんて、はる三月き…
一 五行祭文 その5 (曰) (云) かるかゆへに、あるもんにいわく、ふもしよしやうしんそくせう大かくいとゆふ、 (凡夫) (悪口) (崇) (經論) しかりといへともほんふハあくかうしんちうニして仏神ヲあかめす、きやうろんお (信) (敬) (罪業)…