就河野伊予守通春帰国事、被致忠節云々、尤神妙、弥可被抽戦功之由、所被仰下
也、仍執達如件、
(1453) (細川勝元)
享徳二年五月十五日 右京大夫(花押)
(吉資)
村上備中守殿
「書き下し文」
河野伊予守通春帰国の事、忠節を致さると云々、尤も神妙、いよいよ戦功を抽でらるべきの由、仰せ下さるる所なり、仍て執達件のごとし、
「解釈」
河野伊予守通春の帰国の件で、忠義を尽くしてくださったという。本当に感心なことである。ますます戦功を上げなさるべきであるとのご命令である。よって、以上の内容を下達します。
「注釈」
*因島村上氏は宝徳元年には河野教通方だったが、この年になると管領細川勝元が支援する河野通春方へ転身する。これを機に伊予河野氏や管領細川氏とも関係を深めていくことになる(川岡勉氏「因島村上氏と守護権力」広島県立歴史博物館公開講座、2024年9月14日のレジュメを参照)。