六 足利義持御内書
就播州事早々馳参候、神妙候、於向後弥可抽忠節也、
(異筆)
「応永三十四年」(1427) (義持)
十二月十一日 (花押)
(吉資)
村上備中入道殿
「書き下し文」
播州の事に就き早々に馳せ参じ候ふ、神妙に候ふ、向後に於いていよいよ忠節を抽づべきなり、
「解釈」
京都の自邸を焼いて播磨国に帰った赤松満祐を討伐するために、貴殿は備後守護山名時熙のもとに早々急いで参陣しました。感心なことです。今後もますます忠節を尽くすべきである。
*解釈は、川岡勉氏「因島村上氏と守護権力」(広島県立歴史博物館公開講座、2024年9月14日)のレジュメを参考にしました。