周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

広島県史 古代中世資料編Ⅳ

稲葉桂氏所蔵文書2

二 景経奉書写 信成申梨子羽郷弁海名間事、民部大夫奉書并七郎左衛門入道内々状如レ此、子細 (所ヵ) 見レ状候処、停二止違乱一、如レ元御安堵候て、可下令二下知一給上之旨仰レ候也、 仍執達如レ件、 (1321) (判) 元亨元年四月六日 景経在ー (マヽ) …

稲葉桂氏所蔵文書1

解題 鎌倉時代後期から室町時代にかけての弁海名に関する史料は約二十通あり、楽音寺・東禅寺・弁海神社・稲葉桂氏の各所蔵文書の中にみることができる。 本文書は十通あり、明治七年原本を県庁へ進達した時の写であるが、うち九通は鎌倉時代末期から南北朝…

弁海神社文書2(完)

二 弁海名得分取帳 (安芸豊田郡) 永和元年〈乙卯〉取帳 弁海名一丁九反三百歩 永和之帳前 弁海分 領家分延米 二石七斗七合 吉書 四百七十七文 地頭分同 九斗八舛一合 吉書 百六十文 領家代 九斗六合八夕 吉書 七十文 地頭代 一斗四舛三合 公文分 三斗三舛…

弁海神社文書1

解題 当社の創立年代は不詳であるが、男山(石清水)より勧請した八幡をまつるという。周辺が小字弁海(豊田郡本郷町)であり、この称がある。弁海は中世の弁海名に由来する地名であろう。今川了俊の『道行ぶり』にこの辺のことを記し、男山八幡宮とみえるの…

蟇沼寺文書14(完)

十四 僧鏡賢譲状 (端裏書) 「楽音寺西方譲状 □□□僧鏡賢」 譲与 楽音寺西方寺務職三分二事 僧頼真所 右於二寺務職一者、依レ為二師資相承之職一、鏡賢令二伝領一地也、而間弟子頼真仁 三分二相二副手継文書等一所レ令二譲与一也、於二有レ限寺役等一者守二…

蟇沼寺文書13

十三 賢阿譲状 (前闕) 「 (弥ヵ) 一畠一所□二郎作 一畠一所ミや木野か作 一林一所〈アツし原」但半分宛〉 但公方之所当ニ宛也、又桑代拾貳文宛、 うとし 一中四郎屋敷畠 此所当者毎年上貳斗文料貳舛也 一林一所〈神の迫」半分宛〉 但両人寄合て別合て無…

蟇沼寺文書12

十二 楽音寺例時懺法并念仏番置文 (端裏書) 「楽音寺置文」 定 (安芸沼田庄) 楽音寺例時懺法并念仏番闕如置禁制帳〈文事〉 右守二結番之次第一、雖レ為二一時一日一、無二懈怠一可レ致二勤行一、例時懺法者 及二薬師経一、已後於二念仏番一者不レ可レ過…

蟇沼寺文書11

十一 金剛仏子尊範外五名連署置文并座主増恵証判 (前闕) 「 (座主増恵ノ裏花押アリ) 一如法経間事 自二河原観如方一買得田地三段号行本、為二尊範後生菩提一所レ令二寄進一也、経衆 与同心奉二寄合一、遂二検注納所一当如法経中時料仁可レ被レ用レ之、此…

蟇沼寺文書10

一〇 楽音寺院主良承申状 安芸国沼田庄梨子羽郷内楽音寺院主権律師良承謹言上 (職) 欲下早任二譜代相伝之旨一下中賜安堵之 令旨上当寺院務識兼懸木御前学頭職事 副進 一通 寺務職相伝系図 (藤原) 右当寺者 朱雀院御願所、天慶年中為二純友追討之勅願一、…

蟇沼寺文書9

九 源内覚右連署譲状并沙弥西道証判 (端裏書) (を) 「□とやさとのゝゆつりしやう」 ゆつりわたす元末名之事 合一反六十歩者むかい田なり 半卅歩後家分 但後家一期後さやくそ女 下人さやくそ女後家 半卅歩田ハをとやさとのにつくへき也、 をうとしの林後…

蟇沼寺文書8

八 某安堵状 梨子羽郷楽音寺免田内午所田地五段者、頼賢相伝由申レ之、然者早如レ元令二 安堵一、有レ限御年貢等可レ致二其沙汰一之状如レ件、 (1318) 文保貳年四月十日 (花押) 「書き下し文」 梨子羽郷楽音寺免田内午所田地五段は、頼賢相伝の由之を申…

蟇沼寺文書7

七 沙弥眞阿売券 (端裏書) 「□やしきのうりけん おきの五郎入道 正和三」 売渡屋敷之事 在壹所 四至〈限東万才家 南限大道」限西小路 限北大道〉 宛直銭五貫文者〈在四郎太郎売券案」是ノ通候」但正文ハ眞阿ニ留此、〉 右件於レ地者、相互ニ依レ有二用要一…

蟇沼寺文書6

六 一宮修正会勤行所作人注文 (1314) 正和三年五月十八日 一御宮正月御修正勤行所作人注文事 一初夜導師 一人 平坂寺付十十道一人 一呪願師 一人 〈有羽寺」又大長寺〉 一守護人 三人 江良 平坂 舜海 一後夜導師 一人 学頭付従僧一人 一三十二相頭一人 定…

蟇沼寺文書5

五 四郎太郎友氏嫡子孫六連署売券案 (端裏書) 「四郎太郎売券案」 「正文ハ眞阿ニ是留」 (売 渡) うりわたし候地の事 在壹所者 限東万才助家 限南大道 四至 限西小路 限北大道 宛直銭伍貫文 即時請取了、 (相 互) (沼田)(市) 右件の地ハあひたかい…

蟇沼寺文書4

四 楽音寺座列次第規式 (端裏書) 「楽音寺座烈次第」 六円覚房 五明道房 五戒円房 四蓮乗房 四定月房 三乗円房 三法泉房 二乗性房 二心浄房 一明了房 一和尚 北東 南東 北西 南西 一寂蓮房 一道円房 二境妙房 二法乗房 三境乗房 三寂法房 四乗光房 四明静…

蟇沼寺文書3

三 某仏供米等注文 (前闕) 「 僧膳料 白米五斗 清酒三斗五舛分 乃米七斗 濁酒三斗五舛分 乃米三斗五舛 一二季彼御仏供一日分白米一舛宛 白米一斗四舛 一六月十八日講米 乃米二斗 一毎日御仏供一月分三舛宛 白米三斗六舛 一八月十六日 八幡御祭料物 御供料 …

蟇沼寺文書2

二 僧頼賢仏供米等注文 (前闕) 「 一二月十一月鎮祭両度御散米乃米六舛 已上白米一石七斗分 乃米二石一斗二舛五合 乃米一石七斗七舛 已上乃米三石八斗九舛五合 残五石九斗九舛一合 一畠四反已六舛代 所当二斗四舛 交分一斗六舛八合 延四斗八合已燈油也 一…

蟇沼寺文書1

解題 蟇沼寺は東禅寺の旧称である。本文書は弘安五年(1282)から至徳元年(1384)までの十四通からなっているが、鎌倉時代末期から南北朝期にかけての蟇沼寺に関するものを主体とし、楽音寺に関するもの五通が加わっている。 本文書は東禅寺文書と…

東禅寺文書19(完)

十九 東禅寺寺領注文 ○東大影写本ニヨル 定 東禅寺 所当米年貢等 小足 合 一 所当米四反上一石 吉書百六十八文 公事物 二斗八舛二合四舛 林代 二百文 一 畠二反 所当 麦二斗 大豆二斗 以上 池迫分 七 一 所当米二反小上■斗 吉書八十文 五 公事物 一斗八舛八…

東禅寺文書18

十八 弁海名内知行注文 弁海名内門田五反ハもとよりぬけ候、 一助太郎分田五段大 同人分 畠一段 屋敷一所 林〈屋奥」風呂奥〉 麻畠 以上失原殿御恩にて候、下地進候、 是ハ元道端持分内公事免ニて候、 一弥二郎作田一段半 畠一段半 一藤九郎作田一段六十歩 …

東禅寺文書17

十七 弁海名内不知行在所注文 (譲分ヵ) 弁海名内御[ ]之外又金剛坊不知行之在処之分 一田一段 柳坪末松殿知行 一田半 堀田末松十郎二郎知行 一畠一段 田九十歩 味原末松道玖知行 一林一所 味原末松道玖知行 一林一所 神迫末松十郎二郎知行 一小林一所 小…

東禅寺文書16

十六 弁海名内年貢注文 (端裏書) 「小足」 弁海名一丁九反三百歩内 船木村〈只神田」除一段〉一丁六反三百歩〈赤三百卅歩」損六反小十歩」辻損 一反〉 尾原村 二段〈不六十歩」損小〉 以上一丁八段三百歩 損不二反百十歩 一斗二舛五合上分〈代一舛九合五夕…

東禅寺文書15

十五 弁海名内私注文 (端裏書) 「弁海名田職事」 弁海名内私注文 道光分 道教跡 六百 六百 除 屋敷一所 上士前田 一段 同大町 神田町三 コウ屋岡田一段 油木坪畠一反 弥二郎作田一貫一反半 同作畠 一反半 石町田小五百 同田九十歩五百 林一所神迫 味原半分…

東禅寺文書14

十四 弁海名名主職知行注文 (端裏書) 「名主職之内」 三分二ノ公事足ハ失原殿給分助太郎分 弁海名内 三分一ノ公事足ハ九郎大夫持て候 御公事足之外ニ和気知行候之名主職内ぬけ候分 田一段〈御代管分とて」末松殿知行〉 畠一段〈名主のさたし候鳥銭桑代花 …

東禅寺文書13

十三 弁海名主職知行注文 一弁海御公事足之外名主職よりもとさた仕候分 料足二貫文領家公領 米九斗〈地頭年貢」是ハ失原殿給分いまは無そく〉 小公事物代 (矢ヵ) 桑代花代鳥銭等以上二百文是も失原殿とられ候 文料麦四舛 大豆二舛 道祐方へ調候 以上名子分…

東禅寺文書12

十二 賢阿譲状 譲与 梨子羽郷南方弁海名内田畠林屋敷并下人雑具等事 合 左衛門五郎 一所田四段 〈額坪大道ヨリ上」弥六作まて〉 一所田貳段 横田 一所田参段 羽坂地頭御門田五段内 上ノヨリ 一神田内自屋敷前助太郎作ノ上まて三とほり 但三分二定 一助太郎作…

東禅寺文書11

十一 小早川隆景書状 (安芸) 為二厳島節分一、為二名代一有二社参一、御祈念憑入候、委細従二両人一所レ可レ申レ 候、恐々謹言、 極月廿六日 隆景(花押) (捻封ウハ書) 「 左衛 東禅寺 まいる 隆景」 「書き下し文」 厳島節分のため、名代として社参有…

東禅寺文書10

十 小早川興景申渡状 依二蟇沼寺一四分一之儀、度々蒙レ仰分特寄進状披見候、更以雖下不レ及二分別一 候上、貴僧之儀者、別而御辛労事候条、為二其賞一、向後者四百疋之内百疋合力 申候之間、三百疋御納専一候、弥祈念之儀可レ為二肝心一之状如レ件、 (1535…

東禅寺文書9

九 茂義打渡状 正月十三日御礼二月十二日到来、委細承候了、 抑梨子羽郷内乃力名公方御年貢等、御二寄進蟇沼寺一之由、先以目出存候、如二 此事一仏陀御寄進之上、公私御祈祷候之間、急速打渡候了、其子細定被二注進一候 欤、恐々謹言、 二月十七日 少尉茂義…

東禅寺文書8

八 小早川弘景寄進状 東禅寺御寺領段銭之事、権律師増威御一期之間、奉二為年始歳末之愛染供一 寄進者也、如レ此申定候上者、雖二公方之儀一不レ可レ有二違乱一候、然者子孫長久 奉レ憑二御祈祷一候也、恐々敬白、 寛正五(1464) 十二月十五日 弘景(花押)…