二五 毛利輝元書状(折紙)
]得其心候、□衆境目罷出、然者従安国寺被打入之由被申候由委細従林右
所可申候、恐々謹言、
右馬頭
]月十二日 輝元(花押)
「書き下し文」
]其の心を得候ふ、□衆境目に罷り出づ、然れば安国寺より打ち入らるるの由申され候ふ由委細林右より申すべき所に候ふ、恐々謹言、
「解釈」
]そちらのお考えはわかりました。□衆が境目に出向いた。そこで、安国寺恵瓊から攻め込みなさるように申し上げなさいましたことを、使者である林右から詳しく申し上げるはずです。恐々謹言。
*書き下しも解釈も、まったくできませんでした。
二六 某書状(折紙)
]といつとなく[ ]候、一人を遣[ ]計候、養生之[ ]折々被
加 御意[ ]ハと存候、此等之趣可預御披露候、謹言、
次郎衛□
]月三日 [ ](花押)
*書き下しも解釈も、まったくできませんでした。