周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

三原城城壁文書18

    一八 小早川隆景書状(折紙)

 

 (前闕)

 「

  勿論岡山下着候、

 一備中境依之いつもの雑説等申乱様候、兎境目不慮難斗候、此節御油

            (福原)

  にてハ無勿体候、元春貞俊重畳被仰談[

  被仰付、銀子早々可被差出候、

             (就長)

 一惟五左書状に木原所より林木工へ下申之条、彼方より可進上候、猶重畳可申上

  候、恐惶謹言、

                左衛門佐

 (後闕)

 

 「書き下し文」

  〜?〜勿論岡山に下着し候ふ、

 一備中境之によりいつもの雑説等申し乱るる様に候ふ、兎に角に境目不慮斗(はか)り難く候ふ、此の節御油断にては勿体無く候ふ、元春・貞俊重畳被仰せ談ぜられ〜?〜

  〜仰せ付けられ、銀子早々に差し出でらるべく候ふ、

 一惟五左書状に木原所より林木工へ下り申すの条、彼方より進上すべく候ふ、猶ほ重畳申し上ぐべく候ふ、恐惶謹言、

 

 「解釈」

  〜?〜勿論岡山に下着しました。

 一つ、備中の境目は、これによっていつもの雑説が飛び交っているようです。とにかく境目はどうなるか予測がつかず、見当もつけられません。このような情勢ですから、油断なさるのはもってのほかでございます。吉川元春と福原貞俊が重ねがさねご相談になって〜?〜

  〜ご命令になり、銀子を早々に差し出しなさるべきです。

 一つ、丹羽長秀の書状にあった、木原某のところから林就長へ下し申す件は、あちらから進上するはずです。さらに、重ねがさね申し上げるつもりです。恐惶謹言、

 

*書き下し文・解釈ともに、よくわかりませんでした。

 

 「注釈」

「惟五左」─惟住五郎左衛門長秀(丹羽長秀)のことか。

 

「木原」

 ─毛利氏の被官(村井良介「芸備国衆家臣団一覧表」『市大日本史』2、1999年5月、https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E0000017-2-4.pdf)。