2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
「空より鮒の降る図」 応永二十七年(1420)六月二十九日条 (『看聞日記』2─59頁) 廿九日、晴、晡夕立降、 (中略) 抑室町殿仕女局ニ鮒自天降下云々、不思儀事也、陰陽師火事之由占申云々、此局 洞院娘西御方也、其後此女房室町殿背御意、被成尼云…
二 野間興勝補任状 (安藝郡安南郡) (得) 屋能郷祝師役之事、親國重大夫任二幣次一助六ニ申付所也、社領存知徳分儀者有二 別紙ニ一、仍爲レ後證状如レ件、 (1530) 享禄三年〈庚寅〉卯月一日 興勝(花押) (異筆) 「香川 祝師所へ 助六」 *割書は〈 …
解題 当社の社掌の香川氏は、同氏の系図によると鎌倉権大夫家正にはじまる。子経高は源義平の命によって相州高座郡香川庄に移ったことから香川氏を称したという。 その後、香川氏は尾張国内海庄の宇津海八幡宮に奉祀した。文安二年(一四四五)領主野間重能…
四 狐爪木神社制札 ◯木札 禁制 大宮司 一甲乙人等亂入事 一竹木伐取事 一網張鳥類取事 (1552) 天文廿一年八月 「書き下し文」 禁制 大宮司 一つ、甲乙人等乱入の事、 一つ、竹木伐り取る事、 一つ、網を張り鳥類を取る事、 「解釈」 禁止する。 大宮司 一…
三 狐爪木神社制札 ◯木札 禁制 一甲乙人等亂入事 (竹木伐取之事ヵ) 一[ ] (殺生之事ヵ) 一[ ] (1542) 天文十一年八月 「書き下し文」 禁制 一つ、甲乙人等乱入の事、 一つ、竹木伐り取るの事(ヵ)、 一つ、殺生の事(ヵ)、 「解釈」 禁止する。 …
二 毛利氏奉行人連署打渡坪付寫 本勅司分 田六町一反 一分錢 四拾九貫四百五十文 畠七町二反小 柳 一分錢 四貫文 大御堂 一分錢 三貫六百文 (1552) 宍 戸 左 馬 助 天文廿一年五月一日 元親 児玉二郎右衛門尉 就久 (源ヵ) 波多野⬜︎兵衛尉(兼ヵ) ⬜︎信 …
応永二十七年(1420)六月二十七日条 (『看聞日記』2─59頁) 〔釈〕 廿七日、晴、酉時有大地震、帝尺動也、又有焼亡、〈申時歟、〉北小路油小路辺 云々、天狗洛中荒云々、先日中京辺在家四五間菖蒲を逆ニ葺云々、天狗所為歟、 炎旱非只事、御祈禱雖…
解題 木村氏は戸坂村(広島市戸坂町)狐爪木(くるめぎ)神社の神主職を勤めた家である。 一 大内義隆下文 (木村) 補下 大宮司藤原正廉 (マ丶) 安藝國佐東郡狐爪木八幡社神料田畠壹町玖段余地事 右件料田事、全知行、不三陵二夷礼奠一、可レ奉レ祈二國家…
九 毛利輝元書状(折紙) 爲二御音信一ねり酒両樽并蚫一折被二送越一候、懇志之段祝着候、則令二賞翫一候 恐入候、いつれも可レ申候、謹言、 (輝元) 正月廿九日 (花押) 神保源右衛門尉殿 「書き下し文」 御音信としてねり酒両樽并に蚫一折を送り越され候…
応永二十七年(一四二〇)二月十日条 (『看聞日記』2─24頁) 十日、晴、早旦御堂巡礼、 (中略) 抑便路之間桂地蔵堂参詣、御堂造営奇麗也、暫念誦之間門前有放歌、以太刀刀跳 狂、男共見物、其風情奇得之由申、立輿見之、誠奇異振舞、不可説也、賜扇則…
八 小早川隆景書状(折紙) 追而鶴一羽差上せ候、一段新敷候、獵味之薬食別而祝着候、 (神保源右衛門尉) (包久景相) 神源右肝煎候由、神妙候、弥其心懸干要候、猶従二包次兵所一可レ申候、謹言、 十二月十六日 隆景(花押) 高又兵 神源右 「書き下し文…
七 小早川隆景條々 ケ条 (鵜飼元辰) 一先度蔵田太郎衛門尉差上せ候、我々下向海上にて行違、伏見⬜︎候てう新ニ令二 対談一候而下向候、即可レ被レ下候處、彼是用段等一度ニ可二申下一と、 (神保弥三郎) 一日々々遅々候處、其後神弥兵上着、打続其表之趣追…